だから才能って言葉が好き

世の中にはすごい作家先生がたくさんいる。

「文字」という媒体を使って、私達の複雑怪奇な内面を表現してくれたり、空想上の世界へ連れて行ってくれる。映像を見せてくれる。気持ちを追体験させてもらえる。

神様から特別に特定の事象を表現するための文字コードを教わっていて、それを人間の言葉に訳している人たち、みたいな感覚の人達。そういう言葉を知っている人達の本を読むことはちょっと神秘的な体験だとすら思う。

だから(口が悪くて申し訳ないけれど)憧れの作家が多少スピリチュアルがかっていても納得なのだ。あの人たちは魔法使いの素質がある人たちなのだろう。感性が豊かというのはMPが高いことのように例えられると私は考えている。

ドラクエでいう魔法使いがホイミが回復の呪文だと知ってて使うのと、たまたま食べた草で傷が癒えて、回復の薬草と名付けるのは同じ回復でも事象と言葉の関係が逆転している。

たまたまその人にふりかかった運命が小説になる、言いたかったことを言語化したら当たった、だけじゃない。2作目もその次も売れる小説をかける人が魔法使いなのだと思う。MPが高いという自分の素質を、得意な魔法の系統を、わかって使うべき時に使える人。

正しい魔法の使い方を知っている人が社会で日の目をみているケースが多いのではないだろうか。唱える呪文を知っていて、戦術に長けている人か、優秀な指揮官のもと戦っている人か...

いづれにしてもちょっと浮世離れしているはずなのに、私たちの心を揺さぶる文字コードを知ってる人たち...。きっとその背景には編集者という優秀なブレーンもいるに違いない....。そこがいい...使いどころって大事だよなぁって思うもん。自分がどこで輝くか、何者になるのか、社会に与えられるものは何か....いつもは考えないけどやっぱり正解がなくて面白い....。

才能って一つの事象なんだろうな、社会的なものなんだろうなぁってつぶやきたくなった今日この頃。

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