他律がマスク、自律が反マスク

教師が出した問題を子供達が解いて答えを出す。
次はこの問題というふうに支持されてやる。
これでは全く子どもたちの「自主性」は育ちません。

しかし世の中の学校というところはいかにこの形式が多いことか。

勉強はなんのためにやるのか。

答えは
自分自身の成長のためなのですが、それを
自覚させない限り、いつまで経っても受け身の学習しかできません。

本当の厳しさとは
「自分を律する厳しさ」です。

「他人に言われて行動を律するのが他律」
「自分で自分をコントロールするのが自律」

「先生、厳しくしてください」という親御さんは多いですが
その意味するところは次のようなことです。

・たくさん怒ってください。注意してください。
・たくさん宿題を強制的にでも出してください。

この二つはある子にとっては重要でも
ある子にとっては苦痛以外の何者でも無いのです。
本当の学習の楽しさがわかれば忘れ物も無くなるし
言わなくても学習するようになります。

自分が動き出さなければ自分を変えることはできない。

このことをわかるようにするのは大変なことです。
しかしこのことこそ子供にとって一番厳しいことなのです。

だから勉強する意味をその都度考えさせるのです。

「算数なんて日常では使わないから意味ない」
「歴史なんて過ぎてしまったことだから意味ない」
「説明文なんておもろしくないから意味ない」

そういった子供たちの疑問、イヤイヤを「なんで勉強するのか」から
考えさせるのです。

これはとりも直さず、僕の生き方です。

なんでマスクをするのか。
なんでレジ袋を有料化するのか。
本当に地球は温暖化しているのか。

算数は物事を数量的に捉える力。
平面や立体を脳の中で構成する力。

そういったものを育て上げるのです。

歴史は繰り返すので、過去を知ることにより
未来を予想することができ、どう行動すべきかの指針を与えてくれるのです。

説明文は新聞でもポスターでもしおりでも
全て解説文、説明文なのです。
人に伝えるときは全て説明文で伝えます。
その解釈の仕方を学ぶことは社会生活を学ぶことなのです。

この時のクラスの子どもたち35人で。そのうち、今でも
9人とFacebookや飲み会などで対等のつながりがあります。
現在、この時の教え子はもう36歳です。

今でも僕の教えた「自律」と「なぜを考える」と
いう教えは生きています。

僕は知識を教えないのです。
知識の知りかた、疑問の持ちかたを教えているだけです。

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