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ハルキが初恋の作家だったことを思い出した。

だらだらと書いてきた下書きを、今日は書き上げようと思う。

「一人称単数」を読了した。

11月14日に演奏会が終わってから、なんとなく心に余裕が出来て、今までだらだらと読んでいた、村上春樹の「一人称単数」を読み終えた。

全てハルキのオリジナル作品の短編集だが、読み進めるにつれて、久しぶりに切れ味のあるハルキの文章を目の当たりにした。

15年近く前から、わたしは村上春樹にのめり込んだ。

中学の時に初めて読んだ作品が「ねじまき鳥クロニクル」だった。奥さんの失踪を中心に展開していくストーリーが、それまでに読んでいた星新一や重松清、ハリーポッターやダレンシャン、ケータイ小説などその他の作品にはない捉えづらさや、腑に落ちなさ、それから、あの独特の比喩表現が自分の血となり肉となるのが手に取るようにわかった。

その時思春期の真っただ中にあったわたしにとってハルキの作品は、「大人になる」ということを学ぶ大切なバイブルみたいなものだった。セックスシーンが多いことで、同級生の女の子には「エロ本みたいよね」と言われたこともあるが、ハルキの性描写にそういう卑猥さは何故か感じなかった。

ハルキが教えてくれたこと

泣いたってわめいたって「どうしようもないこと」や「ありのままを許容すること」をハルキは切々と教えてくれた。
26歳の今、それを村上春樹の「無常観」と表現することにしている。なるようにしか、ならんのだよ。と、何に対しても思う。

中学から、村上春樹の本だけはお小遣いをためて買って読んだ。部活に明け暮れた中高時代、遊びに行くこともほぼなく、自分の時間というのは行き帰りの電車しかなかった。そこでずっとずっとハルキを読んでいたのだ。
図書室も好きだったので、その時々に流行った本も借りて読んだりしたが、買いたい、とは思わなかった。わたしにとってハルキほどの共感や学びはなかった。

音楽へのあこがれのきっかけもハルキにあった。

また、音楽についてもハルキは様々なアーティストや曲をわたしに教えてくれた。ビル・エヴァンスを知ったのも、マイルス・デイヴィスを知ったのも、サラ・ヴォーンに興味を持ったのも、ハルキの作品がきっかけだ。「ノルウェイの森」なんかは聴いたこともなかった。ハルキの作品に出てくる音楽は全部聴きたい、と思った。そのころまだわたしはガラケー・ウォークマンというごく普通の装備だったので、TSUTAYAでジャズやビートルズのオムニバス版を借りたりしてどんどん取り込んだ。(この時に取り込んだ音楽は今の仕事にも役に立っている、と思う。)

正直なところ

1Q84以降、どの新作を読んでも、今まで作品として仕上がっていた「腑に落ちなさ」が、ただのとりとめのないものになっている気がした。これは自分自身が大人になったからか、ハルキがじいさんになったからなのか、と自問自答した。

だから、今年出た「猫を棄てる」そして「一人称単数」には久しぶりの「作品としての無常観」の表現を感じることができて、あ、ハルキ一歩前に進んだな、と思ったのだ。

あまりにも一緒に育ってきたので、ハルキ、ハルキと勝手に呼んでいて、たいへん失礼な話なのだが、本人に会ったら「むらかみはるきさん…!!」と言って確実に卒倒しちゃうと思う。
わたしにとっては、誰かにとっての憧れのアイドルや俳優やアーティストと同じであり、ヒーローだから。

「ねじまき鳥クロニクル」に通じる「猫を棄てる」

「猫を棄てる」では、一番最初に出会った「ねじまき鳥クロニクル」の根源に出会った。太平洋戦争のシベリア抑留について、満州について、モンゴルについて。井戸に入って別次元の自分と邂逅する。父親の見た世界、みたいなドラマティックさやロマンチックさはないが、そこがハルキの創作のきっかけだったことは間違いないだろう。
この淡々とした文章が、いかに戦争体験が悲惨だったのか、また、それを知ろうとするということが、どこか後ろめたいことであるということが、手に取るようにわかる。戦地に行った人が、その惨状を話したがらないという事実がある、と聞いた。だからなお誇大な表現のなさが、余計リアルで、さらさらっと読める割に、残るものが冷たく重たいのだ。

「一人称単数」でさらなる洗練された文体へ

「一人称単数」では、「無常観」とともに「個という孤独」について鮮烈に表現されていた。ハルキの作品の中で培われてきた、一歩違えば自分にも起こりうるであろう出来事が明瞭に表現されていた。もうこれ以上長い作品が書けないのかもしれないと思ったりもしていたが、これ以上書かなくていい。シンプルに、簡潔に、ハルキの無常観が表現されている。

ピアソラとハルキ

そう、自分が今取り組んでいるピアソラとの共通点が、同じ芸術作品として捉えられる。ピアソラが音楽で表現できなかったものをハルキが表現し、ハルキが言葉で表現できなかったものを、ピアソラは音楽で表現した。そんなつながりがある、と言えば、ちょっと誇張しすぎているだろうか。

この二冊はハルキのバイオグラフィに必ず残るものだと思う。格段に洗練されたしなやかな文体を味わいながら、もう一度読み返したい。


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