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1500文字の短編小説 | 昭和58年の記憶


短編 | 昭和58年の記憶


「手は膝の上に置いてね」

 始業式が始まる前に、大きな声でみんなに語りかけた。気を遣うなんて出来ない年頃の子供たちだから、私の言うことなんてほとんど誰も聞いてはくれない。
 となり同士でおしゃべりしている生徒の手をひとり1人取り、「ここに置いてね」と歩きまわった。

「おしゃべりはしててもいいから、みんなお行儀よくしてね」

 ほとんど流れ作業のように生徒の手を取り、膝にのせていった。ほとんど顔も見ずに。
 小学1年生の手は小さい。ほとんど昨日まで幼稚園児だったのだから当然と言えば当然だ。

「あれっ?!」

 私はその女の子の手を取ったとき、思わず声をあげそうになった。もちろん、「こういう生徒がいるよ」という話は事前に聞いていたが、戸惑ってしまった。何事もなかったように振る舞ったつもりだが、気がつかれてしまったかもしれない。

 その子の手を取ったとき、私が違和感を持ったのは、左手の指が二本しかなかったからだ。当時、奇形児と言われていた女の子との最初の出会いだった。

 生まれつき、その女の子の左手には、人差し指と中指しかなかった。右手には五本の指があるが、左手には二本の指しかない。
 その上、女の子は左利きだったから、二本の指で鉛筆を握って文字を書き、二本の指で挟んでボールを投げていた。

 本来なら、特殊学級と呼ばれていたクラスに入る予定だったが、ご両親の強い希望で、普通のクラスで勉強することにしたという。

 校長先生は女の子のお母さんに「他の子供たちから好奇の目で見られますよ。特殊学級で学んだほうが、夕子ちゃんは傷つかなくて済みますから」と何度も説得したと言っていた。

「大丈夫です。校長先生。この子は強い子ですから。幸い明るい性格ですし。それに左手の指が二本しかないことが特別に異常なことだとは、私、思っていないんですよ。あんなに左手を上手に使いこなす女の子を私は見たことがありませんし。だから、この子みたいな個性的な女の子のことを、他の子供たちにも知ってもらいたいという気持ちもあるんです」


「先生、質問があります」
 ひとりの男の子が私に尋ねた。

「なんで、夕子ちゃんの左手には、指が二本しかないんですか?」
 まるでわざと夕子ちゃんに聞こえるかのような大きな声で言った。

 みんなの視線が一気に夕子ちゃんの左手に注がれた。なのに私は言葉に窮してしまった。

「そ、そんなこと、夕子ちゃんの前で言っちゃいけません」

「夕子ちゃんがいないところなら、言ってもいいんですか?」

 私は自分の言葉を恥じた。きっと正解などないだろう。けれども余計なことを言ってしまったことは間違いない。生徒たちの視線は、夕子ちゃんの左手から、今度は一気に私に注がれた。

 痛い。
 何も生徒の質問には答えられなくなって、頭の中が真っ白になった。さっきまであんなに騒いでいた子供たちは、し~んと静まりかえって、私の次の一言を待っていた。


「生まれつきなの。なんでなんだろう。お母さんのお腹の中に置き忘れてきちゃったのかなぁ。でも、あたし、何も不自由なんかしてないよ」
 夕子ちゃんが笑いながら言った。

「ははは。夕子ちゃん、おっちょこちょいだなぁ。足し算のとき困ったら、あたしの指を貸してあげるからね」
 夕子の幼なじみの里美が笑った。

「里美ちゃん、ありがとね。夕子、とってもうれしい。一緒に勉強、頑張ろうね」

 私はただ、涙を流すことしか出来なかった。
「夕子ちゃん、里美ちゃん。本当にありがとね。先生、あなたたちからたくさん勉強させてもらったよ」
 心の中で、黙って二人に手を合わせた。



…おわり


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