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論理はきっと身につけられるのです。

先日、「わかりやすい文章とは、論理が明快な文章である」ということを書いた。

今日はその続きについて書く。

前回の記事の中では、「論理性を持って文章を読み書きするには、まず文章を適切に『読める』ようにならねばならない」と書いた。

書くことよりも読むことが優先される理由は、自分が書いた文章を客観的に適切に読み、それが論理的に書かれているかどうかを判定することができないと、文章を書けたことにはならないからだ。

では、文章を論理的に読むうえで大事なことは何か。

大事な要素は大きく分けて2つあると私は考えている。

1つは、ある1つの文の意味を適切に読み取ることである。

もう少し具体的に言うと、例えば、文中に含まれる主語・目的語・述語などを適切に捉えて、「何が、何に(を)、どうする」と言っているのかを理解することである。

もちろんこの3要素だけで構成されている文ばかりではないが、その文が述べていることを適切に捉え、脳内でイメージすることができるかが重要になる。

もう1つは、それら文どうしの関係や論理構造を適切に捉えることである。

これを行うのに重要な役割を果たすのが、「接続詞」である。

接続詞とは、文と文の間にある関係を示すための言葉であり、文章全体の論理構造の把握を助けてくれる存在である。私は、この「接続詞」に習熟することこそが、文章を読み理解する力を向上させるためのカギであると考えている。

接続詞を自由自在に使いこなすことができると、論理的に書かれた文章を適切に読むことができるし、仮に接続詞が少ない文章でも、自分で接続詞を補いながら読むことで、かなり理解が助けられるようになる。

そして、それに熟練すれば、自分が文章を書くときにも接続詞の使い方を意識しながら書くことができ、自分の文章を自分自身の手で点検しながらクオリティを上げていくこともできるのである。

実は、日本の義務教育の中で、こういう「論理」に関する技術について徹底して教えられることはあまりない。だから、仮にうまくできない人がいたとしても、それは日本の教育システムの問題であると思うから、その人の責任ではないと私は思う。コツコツ練習すれば身につけることができる、と私は信じている。

この文章が、上記のことを主張するにふさわしい論理性で書かれているかには若干の不安が残るが、私も練習中なので、もしトライしている人がいたら、一緒に頑張っていきましょう。

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