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「異性を愛する」とはどういうことなのか?

これまで何人かの女性とお付き合いしてきたことがあるが、お別れするときにスッキリとお別れしたことが1度も無い。

そして、そうなってしまった原因がいつも私にあることは否定できない。
なぜかと言えば、ある程度再現性のある現象が起きているからだ。

昔話とはいえ、ここに具体的に書くのは恥ずかしくて憚られるほど、当時の私は子どもだったなぁ、と思わざるを得ないようなことだ。極々単純化して言えば、自分から告白して付き合っておいて、自分の気持ちが相手から離れた途端に連絡を全く取らなくなる、といった類のことである。

そんなことをするような人間は、誰に見限られたとしても、文句は言えないのだ。

今現在の私はそれらを大いに反省しているものの、再現性があるのだから、もしかしたらまた同じようなことしてしまうのではないか、と自分でも恐れているのである。おそらく私は、過去にお付き合いした女性たちそれぞれと、きちんと向き合えていなかったのだと思う。

このことについて本気で治療するためには、とにかく自分自身の根本的な思考や意識を冷静かつ徹底的に理解し、必要に応じて改めなければならなかった。

私は、「身体の性」も、「性自認」も、「性表現」も男性であり、「性的指向」の対象は女性である、「いわゆる男性」である。

そういう男性にとって、そもそも、女性と付き合うとは一体どういうことなのか?また、その先にあると想定される、女性を愛するとは一体どういうことなのか?

こういうことをネチネチと理屈っぽく考えようとしている時点で、もう既にあらゆる女性から嫌われ見限られそうだ、という意見については否定しないが、気にせず先に進む。

私のような「いわゆる男性」にとって、ある女性との関係性は、その関係を結ぶ目的や距離感などによってさまざまなパターンがあり得る。

男女のある関係性を表す一般的な用語としては、「婚姻関係」「交際関係」「友達」「仕事仲間」などの他にも、下品な言葉遣いを厭わなければ「セフレ」などの言葉も存在する。

こうした様々な関係性がある中で、これらの言葉に縛られすぎず、私なりにいくつかのパターンに分類してみた。

①生活を支え合う関係
これは、「婚姻関係に基づく夫婦」に一番近い関係性だが、ここでは必ずしも法律上の婚姻関係であることを意味しない。つまり、「お互いが一緒に生活する方が双方にとって都合がいいから結んでいる関係」である。

②心を許し合う関係
これは、「お互いがお互いの気心が知れるほどよく理解していて、相性が良いから結ばれる関係」である。それなりに深く心が通じ合っている関係性である。

③楽しさを分かち合う関係
これは、「一緒にいることで何かを楽しむことができるから結ばれる関係」である。一般的な友達関係に近いものである。

④仕事をうまく進める関係
これは、「ある仕事上の目的を達成するために、お互いが適切に協力した方が目的を達成しやすいから結ぶ関係」である。お互いの能力を補い合うことに主眼が置かれていて、心が通っているかどうかなどは問題にされない。

⑤性的欲求を満たし合う関係
これは、「お互いの性的欲求を満たすために結ばれる関係」であり、上記の①~④と共存する可能性もあるし、共存しない可能性もある。

と、ここまで考えてみて、私は何か違和感を覚えた。

なぜだろうと考えてみると、このように関係性を分類した上で、ある女性に対して、「この関係に当てはまるから、この女性と付き合うことにする」、というような考え方は、「ある1人の女性と真に向き合う関係性を築くものでは無い」のではないか、と思い至った。

上記のような考え方は、相手の女性をいくつかの性質ごとに分類し、自分の目的と合致する部分だけを見て関係を結ぶという考え方であり、相手の女性を型にはめるような行為であって、これは失礼に値するのではないか。

では結局、「女性と付き合う」「女性を愛する」という言葉が意味している関係性とは一体何を表しているのだろうか。

私は以前、「愛」というものについて学び、理解が進んだことについて書いた。

私の理論では、愛とは2つの段階があり、1つ目は広く一般的に人を愛する「意味を与える」愛であり、2つ目はある特定の人と特別な関係を築く「受け入れる」愛である。そして、今ここで「女性を愛する」という言葉が対象にしているのは、後者の愛である。

これは、その相手の自分にとって受け入れ難い部分も含めて受け入れること、その人の全てを1人の人間としてありのまま肯定する、ということなのではないかと思う。

もし本当に特別な関係を築きたい女性がいたとするならば、その人はどの目的に見合った関係である、などと割り切らずに、その人の人間性を丸ごと受け入れること、これが、女性を真に愛することなのではないだろうか。

過去の私が無意識的にやってきたことは、相手と表面的な付き合いをするだけで、真にその相手と向き合ったり、相手を受け入れたりするようなものではなかったのだと思う。

ここまできて、少しずつ謎が解けてきた気がする。

私がやるべきだったことは、相手の女性と向き合い、きちんと心を通わせる努力をすることだったのだろう。

これが本当に正解かどうかはわからないが、こうした反省を経て私はまた前に進むのである。

ちょっと応援したいな、と思ってくださったそこのあなた。その気持ちを私に届けてくれませんか。応援メッセージを、コメントかサポートにぜひよろしくお願いします。 これからも、より精神的に豊かで幸福感のある社会の一助になれるように挑戦していきます。