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「もう十分頑張っているよ」と言われたいのです。

Kanaさんが開催するフリーランスセミナーに参加させていただきました。

有料セミナーのため具体的な内容については伏せますが、私も自分にとって重要な気付きを得ることができましたので、次回参加をご検討中の方はぜひどうぞ。

セミナー内で問われた質問の1つに、「自分が死ぬときにかけてほしい言葉は?」というものがあった。

「どう死にたいか」を考えたことはあったが、かけてほしい言葉を考えたことはあまりなかったので、新鮮だった。

改めて考えてみると、自分が死ぬとき、一体何と言われたら嬉しいだろうか。とりあえずザーッと書き出してみてから、それを振り返っていくつかをピックアップすると、以下のような言葉たちが出てきた。

「もう十分頑張ったよ」
「これ以上は大丈夫」
「あとは自分たちに任せて下さい」

これを自分で見てみて、へぇー、と興味深かった。ある意味納得感があるというか、今の自分の無意識的な性質との関連を感じずにはいられない。

それは、何でも自分の力でやろうとするところとか、人を助けるために自分の力を発揮しようとする傾向があるところなどだ。

これらの言葉は、死ぬ間際に限らず、今現在も言われることがある言葉だ。

例えば、「もう十分頑張っているよ」などは、自分としてはまだ全然頑張れていないと思っているにも関わらず、周りの人にはそのように言われて、ありがたいとは思うものの、本当に力を抜いていいのかどうかが心配になってしまうから、結局力を抜けないし、結局こだわって取り組んでしまうことがある。

これらの「言われたい言葉」は、本当は誰かに何かを任せたいと思っていることの現れかもしれない。きっと、自分が納得できる相手には任せたいと思うはずだし、いずれにしても自分のできないことは誰かに任せるしかないのだ。

とにかく、今の自分は「休んでも良い」という許可を求めているようだ。

でも、最終的にはその許しを与えるのは自分自身のなのであって、それはそれで苦しい思いがする。死ぬレベルの状態にならなければ自分を許すことができないとなれば、かなり苦しい生き方になってしまうだろう。

しかし、逆に捉えるとすれば、自分が休まずに取り組めることに死ぬまで取り組み続けることができるなら、それが本望だ。

そういう物事をうまく発見できるように、今後もこうした言語化に取り組んでいきたい。


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