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17歳、1人で台北に行った話(前編)【2018冬台湾旅①】

2018年12月22日土曜日。
私はこの晩、台北まで行くために一人で成田空港に居た。
大人からしたら台北までの旅行は距離も文化も近く、比較的難易度の低いものに思えるかもしれない。しかし私にとってはこれが初めての飛行機搭乗、初めての海外旅行、初めての一人旅であった。
この時両親はパスポートを持っていなかったため、何か問題が起こってもすぐに現地に駆けつけられない、完全自己責任な旅だった。

今回はそんな私の旅で起きたことを4年経った今、これ以上忘れないようにするために今思い出せる限りの情報を小説形式で振り返っていく。

note記事としては長めなので、あとで読むに保存をしてチャプターごとに読むのをおすすめします。


旅のきっかけ

なぜ私は一人で台北に向かうことになったのか。
話は2ヶ月前に遡る。記憶が正しければ10月14日の日曜日だった気がする。
その日私は部活で高校に来ていた。
同じ部活の部員に台湾にゆかりのある友達がいた。
その友達との会話の中で、年末に台湾へ帰省をするという話が出た。
当時海外に行った事がなかった私は、素直に「いいなぁ〜」と心の中で思っていた事が口から溢れた。
そんな私の呟きを聞いた友達が「じゃあ来てみる?」と軽いノリで私に聞いてきた。
私はその言葉を本気で捉えておらず冗談だと思い、二つ返事で「行く!」と答えた。
結局その話は、私と友達の親に伝わり許可が取れたため、正式に台湾に行くことになった。

その後旅のプランを考えるべく詳しい情報を聞くと、友達の帰省先は台湾南部にある高雄市だった。
当時私は台湾について、台北以外の都市を知らなかった。もちろん高雄も例外ではなく聞いた事がなかった。
せっかく台湾に行くんだったら一度は台北に行ってみたい。その意向を友達に伝え、台湾の空港についた日は台北を1人で巡り、その日の夜に高雄で現地集合という旅のプランが決定した。

こうして私の呟きやちょっとしたわがままによって現地集合をするまでの間、1人での一日台北旅がスタートしたのである。

これがきっかけで自分の人生が少しずつ変わっていくとは知らずに…


出国の直前に

成田空港に着いた私はまず、出発前にレンタルwi-fiを借りようとしてカウンターに向かった。
現地でwi-fiが使えれば、言葉が通じなかったり目的地への向かい方がわからなかったりしても大丈夫だろう。私はwi-fiに旅路の安全を委ねようとしていた。
しかし私は17歳の高校2年生。親も空港に着いてきている訳でもなかったため、スタッフの人から「未成年にはレンタルできません。」
そう言われてwi-fiを借りる事ができなかった。

もちろんSIMカードを購入するなど、他にも方法の選択肢はあったものの、手続きの複雑さなどを踏まえて事前に用意していた案がwi-fiを借りる事だったため、当時の私にはこれ以上どうすることもできなかった。

出発直前にこんなトラブルに見舞われてしまったが、その後は何事もなく予定通りにチェックインや保安検査をクリアし、日本から飛び立つことができた。

空港での手続き

翌23日、現地時間午前2時半頃。
私が乗った飛行機は台湾の桃園市にある台湾桃園国際空港に到着した。
海外旅行を経験した事がなかった私は、飛行機を降りたその瞬間から日本とは違う別世界が広がっていると思い込んでいた。
シートベルトを外し、飛行機から降り、空港の入国審査場に向かって歩いて向かった。
目に映る案内表示板はどれも中国語がメインのものなのだが、まだどこか日本にいるような感覚が残っていた。

入国審査の列に並んで、まだ列の先は長いとボーッと自分より前にいる人たちを眺めていた。
まさかとは思ったが、その中に一人知っている顔を見つけた。
おそらく高校の調理室掃除で担当だった先生だ。
一応高校には旅行届を出したのだが、高校側は誰かしら保護者と一緒にいる前提で受理しているのだろう。
こんな海外の空港で一人でいるところを知られたら…
本人かどうかを確かめたくて声をかけたくなったが、面識のある先生だから学校に知られたらどうしよう…
そんな要らぬ心配をしているうちにお互い審査官のところに着き、先生の行方はわからなくなってしまった。

さて、手荷物のスーツケースを受け取ったら両替だ。
日本にいるときに、「日本の空港よりも台湾の空港で両替をした方が手数料が安くていい!」
という情報を事前に得ていたため、今まで貯めていたお小遣い10万円を両替所に持って行った。
流石は年末。狭い両替コーナーには多くの人が列をなしていた。
順番がやってきて、両替所のお姉さんに紙の書類にサインをする様に指示された。
クレジットカードも持っていないような高校生にとって、お金関連でサインを書くなんてことは初めてだったし、しかも英語で書かなければならなかった。
全部大文字なのか、小文字も混ぜるのかわからなかった私は質問をした。すると、お姉さんは「は?」と高圧的に聞き返してきた。
後になって知ったことだが、日本語で聞き返すときの「え?」は中国語では「ハ?」と言うらしい。
そんな高圧的なお姉さんとのやりとりをなんとかクリアし、無事に約27000台湾ドルを手に入れた。

クレジットカード等、他に金目のものは持っていなかったため、これがこの旅における全財産である。
一応何があってもいいようにかなり多めには持ってきたが、これを無くしたら日本には帰れない。
リスク分散のためにも、1000台湾ドルを1つの財布に入れ、残りはリュックの奥底に入れ、やっと到着ロビーへと出た。

到着ロビーに着いたと言うことは、手続きが終わって自由の身になれたということなのだが、その時点で時間は午前4時頃だった。
この時間帯はMRT(鉄道)は営業時間外で、高速バスやタクシーを使う人以外はみんな空港で待機をするような時間だった。
こんな時間に台北に向かっても何もすることが無いのでMRTが動くまでは空港に残ることにした。
先程の先生とは別に、台湾が好きな高校の先生がいて「台湾は治安がいいから空港で寝てても大丈夫だよ。」と事前に情報を得ていたので、空港で寝てみることにした。
そんな情報を信頼できる人から直接得ていたとはいえ少し不安だったので、電子ロッカーにスーツケースを預け、リュックは前で抱えたまま強く抱きしめるように眠った。

異国の体感はどこから?

そうして迎えた朝6時。
荷物は無事、何も問題なく仮眠をとることができた。
MRTが動いている時間になっていたので私は早速乗り場がある方に向かった。
事前に調べておいて欲しかった"悠遊卡"(ヨウヨウカー)(交通系ICカード)を駅の券売機で購入し、それを使ってホームへと向かった。
台北行きの列車が着き、それに乗ることで無事空港を離れることができた。
早朝であることからまだ寝足りなさを感じ、少しうとうとしながら台北へと近づいていった。
車窓からは日本では見ないような植物で覆われた山が近くに。遠くには台北101が見えた。
明らかに日本とは違う景色が目の前に広がっていたのだが、ここでもまだ台湾に着いた気がしなかった。

そのままぼんやり車内で座っていると、あっという間に台北駅に着いた。
駅に着くと、私のスマホに「フリーWi-fiが周囲にあります。接続しますか?」という表示が出てきた。
その中には外国人観光客向けのフリーWi-fiがあり、画面の手順に進みパスポートの番号まで入力した。
しかし何回やってもWi-fiには繋がらない。このときはなんで…?と焦っていたが、どうやらこのWi-fiを使用する場合は空港で登録申請をする必要があったらしい。
このとき、私はまだこの事実にまだ気づいていなかったが、登録をしていなかったと言う事実から台湾に滞在中は外国人用フリーWi-fiに接続することもできないことが確定した。

なぜか繋がらないなぁとモヤモヤしながら、携帯の地図に頼ることも事実上出来ず、標識を頼りに台北駅の地下を歩いて移動する。
私が到着したのは空港線の台北駅。新幹線や在来線が止まる台北駅とは少し離れている。東京メトロの乗り換えが同じ駅なのに500mあるようなのと同じだ。

初めて来た台北駅、ダンジョンとも言えるであろう地下空間を彷徨い歩くこと約20分弱。
M1出口の近くに行くと見たかったものが突然現れた。
黄色くて丸い鳥の頭に、白くて細い人間の体。
「夢遊」という作品だ。通称「鳥人間」と呼ばれるこのシュールな作品は我々日本人観光客には人気なフォトスポットらしい。
日本における渋谷のハチ公像のようなポジションだろう。
長い間歩いた末にキモカワいいこの像に直接会えたことが本当に嬉しくて、私は像と一緒に写真を撮った。
ただ、周りの台湾人にとっては日常と化してしまってフォトスポットでもなんでもないらしい。
(現在は作品自体が移動してしまって台北駅から居なくなってしまったそう。)

目当ての「夢遊」も見れて満足をした私は、次の目的地に向けて歩き始めた。
今いるのがM1出口付近。ここは台北駅の東側の地下にあたる。
私が次に行きたいのはこの近くの地上にある、有人の手荷物預かり所。お金を少しでも節約したかった私は、日本で事前にどこにキャリーケースを預けるのがいいのかを調べていた。駅のコインロッカーと比べても格安で預けることができる。
そこには地上に出て駅の東側のロータリーを渡ることで行くことができる。

台湾に着いてから、空港、鉄道、駅地下…と台湾の街の空気に私の身を晒していなかったが、M2出口から地上に上がり、やっと台湾の外気に身を包まれた。
目の前には幹線道路。頭上には高速道路。東京の六本木のような光景が広がっていて、"これが台北か"という新鮮さは感じられなかった。

台北駅 東側

そこからロータリー方面に歩くと手荷物預かり所が見えた。日曜日の午前8時前と言うこともあり人が少なかったのか、思っていたよりも閉鎖的な感じだった。
まるで従業員入口のようなクローズドな雰囲気の場所。ここに入るとカウンターに一人のおじさん。その背後には大量の旅行用の荷物が並べられていた。
日数を伝えれば預けられるという情報を持っていたため、「ワンデー! ワンデー!」と英単語でゴリ押しして荷物を預けることに成功した。
日本人観光客だと言うことが分かったみたいで、机上にある受け取り時間の門限など注意事項が書いてある紙を指さされ、受け取り時に使う番号の入った半券をもらった。

大きなキャリーケースを預けた私は手荷物預かり所を後にし、台北駅に戻るべく東口ロータリーを来た時とは逆方向に歩いた。
高速道路がある北側とは違い、タクシーが停まっていたり少し静かな印象を受けた。
その途中、上を見上げると大きな排気ダクトから臭い煙のようなものが出ていた。それだけならば良かったのだが、その成分が地上まで降り注いでいたのか肺の上の気管支が痛くなった。こんなにも呼吸をするのが苦しいのは17年間生きてきて初めてのことだ。ここでは息を止めてその場を早足で通り抜けたが、日本では感じたことのないこの感覚により、ここでようやく"海外に来た"と自覚をする事ができた。

あのお宝を目当てに。

次の目的地へと向かうため台北駅に入ると、私は地下鉄のホームを目指して再び地下街に戻った。私は赤い路線の列車に乗って予定通り士林駅に向かった。

士林駅に着いてからはバスに乗る予定だったから駅にあるフリーWi-fiで道順を調べようとした。しかし、今から行こうとしていた場所は観光客が多い場所。
駅にはそんな人を想定して英語と中国語でバスへの乗り換え案内板があり、それを見ることでバス停へは迷わず行く事ができた。

バス停に着いたら、観光客らしき人が列を成していた。ここに並んでいればいいのかと列の後ろで立っていると、突然ザーッと空から雨が降ってきた。
亜熱帯地域特有のスコールである。教科書などでは見たことがあったが実際に自分の目では見たことがなかったため特異なこの現象を動画に撮った。
そんなことをしていると、すぐに目的地に向かうバスがやってきた。

バスに揺られ目的地のバス停に着くと、ほんの数分しか時間が経っていないのにさっきの豪雨はどこへ行ってしまったのか。ポツポツと弱い雨に変わっていた。

私がやってきたのは「国立故宮博物院」
「ここには数多くの美術品が展示されているから、美術部にいるんだったら絶対に行った方がいい」と台湾ツウの高校の先生に教えてもらった。

正面に聳え立つ門や階段の装飾は台湾の伝統的なデザインだろうか。日本では見慣れない豪華な装飾に迎え入れられ、私は入り口へと向かった。

事前に仕入れていた情報で、「18歳未満(台湾における未成年の年齢)の人は故宮博物院に無料で入れる」というのがあった。
これは本当だろうか。それが本当ならとてもラッキーなことだ。そう思った私はチケット売り場をスルーして入場口へと並んだ。入り口に着くと男性スタッフに止められた。あれ…やっぱりダメか?そう思ったが、男性スタッフは"後ろにリュックを背負っていると危ないからロッカーに入れろ"みたいな事を言っていた。
言われた通りロッカーにリュックを入れると、再度入場口の列に並んだ。今度はパスポートを見せて17歳である事を確認されて中へと通された。無料で入ることができたのだ。

故宮博物院は日本における上野の国立博物館のような存在であろうか。様々な歴史的価値のある美術品が収蔵されていて、せっかく台湾までやって来たのだからと順路に沿って1つずつ丁寧に観て回った。

その中でも一際目立っていた作品があった。
「肉型石」だ。この作品は石でできているのだが、まるで柔らかな角煮のような姿をしていた。
トロンと脂が乗っているような状態を石で再現しているのはとても不思議だった。

その後も順路を歩き、特に私が観たいとワクワクしていたのが白菜を模した彫刻作品である。
この作品は素材の色をうまく活かしていて、よく見ると虫の彫刻が施されているなど、ここに来たら絶対に観るべきとも言える有名な作品だ。
作品を見て回るうちに段々と白菜の部屋が近づいてくる。しかし、その部屋の中で一枚の注意書きを見つけた。
「この作品は現在、台中にて出張展示中です。」
そんな…ここまで来たのに生で白菜が見れないのか。

私は残念な気持ちになったが、「肉型石」を観れただけでラッキーだ。そう思って故宮博物院を後にすることにした。ロッカーでリュックを回収し、帰りもバスで元いた士林駅まで戻るが、あまりに広い博物館だったからバス停がどこにあるのかわからなくなってしまった。
館内のインフォメーションセンターの人に英語でバス停がどこにあるのかを聞き出し、なんとかバスに乗ることができた。

バスは士林駅へと向かって多くのお客さんを乗せて走り出した。「この人達について行けばいいや。」と人任せな考えで乗っていたが、明らかに士林駅ではないところでみんな降りてしまい、気づけば乗客は私一人きりになってしまった。

もしかして、降りる停留所を間違えた…!?

私は走行中の車内を前方に向かって進み、バスの運転手にこのバスは士林駅に向かうのかを英語で質問した。
バスの運転手は「停まるから安心して」といった感じで答えてくれた。結局、その後すぐの停留所が士林駅だったらしく、そこで私を下ろしてくれた。

タピオカと電車

美術館で2時間ほど作品に目を奪われていたらしく、士林駅のバス停に戻ってきた頃には午前11時半を過ぎていた。
気づけば私は台湾に来てから何も食べていなかった。駅前には日本にいたときに事前に調べて気になっていたタピオカチェーン"50嵐"があったので、そこのタピオカで腹を満たすことにした。

事前にタピオカ屋の情報を調べていた私は、50嵐の中でも台北限定のメニューだという"一號"(イーハオ)が気になって実際に注文してみることにした。

列に並び自分の番になると、事前に覚えていた注文時の中国語を喋ってみたくなり、店員は私のオーダーを聞く準備が整っているにも関わらず、私の注文は「不好意思(すいません)」という余計な一言から始まった。
その後のメニュー注文、甘さ、氷の量は順調にクリアし、最後にまた私の調べていた知識を使いたくなり、「料多(リャオドォ)」という中のタピオカを増やしてくれる追加注文をした。

私は受け取ったドリンクを駅前のスペースで飲み始めた。
"一號"は四季春茶に大小のタピオカ、ナタデココが入っているドリンクだったのだが、四季春茶自体を飲むのが初めてで味に慣れず、お腹が空いていた割にはゴクゴク飲めるような感じではなかった。

しかもタピオカとナタデココを増やしてしまったせいで、結構飲み切るのが大変だった。
このとき私はタピオカを飲んですぐ次の目的地へと向かおうと思っていたから、なんで「料多」を追加注文したのか後悔した。

次の目的地にはMRT(電車)で移動しようとしていたが、当時の私はMRTについて情報不足で「飲み物を持って改札内に入ってはいけない」と勘違いをしていた。(実際は飲むのがダメで持ち込むのはOK)

そのため、無理にでも飲み切らないと時間を無駄にしてしまう。そう思い込んで、慣れない味とその量に体調を悪くしながら1時間ほどかけてなんとかタピオカを飲み切った。


前編はここまでです。
出国前と現地1日目の午前中だけでしたが、色々なハプニングを起こしすぎて長くなってしまいました。

午後の出来事は後編に書きますので、気になって下さった方は是非いいねとフォローをして待っていて下さると嬉しいです。

それではまた後編でお会いしましょう。

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