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六月の雨と天気の子

六月、紫陽花がそこはかとなく咲き誇る頃。 

自分の誕生日は暦の上では梅雨入りで、
その日に降る雨が嫌いだった。

雨とは、どこか切ない感じと、
気持ち的に、誕生日は晴れていてほしいという思いがあったからだ。

誕生日はいつも傘をさしていたことを
覚えている。

ボクは子供の頃からピアノを習っていた。

その頃からだ。

降っている雨は音符に見え、雨が打ち付ける音は、絶対音感としてドレミファソラシドという音階で聴こえていた。

音楽が好きで、大人になったある年から、
六月に降る雨を絶対音感の音としてではなく、音楽として感じてみようと思うようになった。

少し、雨が好きになった。


ずっと昔好きだった人は、
雨の匂いが好きだと言った。
それで、自分も雨の匂いが好きになった。

また少し、雨が好きになった。


そんなある年のこと。

季節は五月中頃で、緑が映える新緑の頃、さわやかな風と共に舞い降りすれ違ったその人は、とても素敵な人だった。

ほんの数秒、短い言葉のやりとりを、
ボクはどうして覚えていたのだろう。

おそらく相手は自分のことなんて、
こんな存在なんて知る由もなかっただろう。

縁があるようで縁がなく、
縁がないようで縁がある。

最初から不思議な繋がりだった。

その人の笑顔がとても好きで、
ボクはいつもそれを見ていた。

左腕の小さな黒子を気にしながら
振り向いたその姿に、心惹かれていた。

ひまわりの如くよく笑う人。
でも時に、雨の如く涙を流していたのを知っていた。

出会った頃、
ボクはその人を「天気の子」と名付けた。

「天気の子」が生まれた街で大雨が降ったあの夜、たくさんの人が傘をさしながら足早に街を流れていた。


ボクは六月に降る雨が嫌いだった。

でも、その「天気の子」に再び会ったあの大洪水にも似た六月の夜、雨が好きになった。

ボクは、雨という音楽を聴いていた。

「天気の子」は、幸せそうだった。

人が、嫌いなものを好きになる瞬間は、
いつも単純だ。


大洪水にも似た雨が降った後は、
街に虹が架かっていた。

苦労は嫌だけど、雨の後には虹が出る。


RADWIMPS
『愛にできることはまだあるかい』
愛にできることはまだあるかい
僕にできることはまだあるかい
運命(サダメ)とはつまり サイコロの出た目?
はたまた神の いつもの気まぐれ
選び選ばれた 脱げられぬ鎧
もしくは遥かな 揺らぐことない意志
果たさぬ願いと 叶わぬ再会と
ほどけぬ誤解と 降り積もる憎悪と
許し合う声と 握りしめ合う手を
この星は今日も 抱えて生きてる
愛にできることはまだあるかい?
僕にできることはまだあるかい
君がくれた勇気だから 
君のために使いたいんだ
君と育てた愛だから 
君とじゃなきゃ意味がないんだ
愛にできることはまだあるかい
僕にできることはまだあるかい


こんなところへ行ったよとか、
こんなの食べたよとか、
話したい。

映画の感想も、本の感想も、
話したい。

気温と気持ちの移り変わりについて、
話したい。

山の中の匂いについて、
話したい。

今自分がいる場所の街並みについて、
話したい。

それらは全て、
他の人に話しても意味がない。


雨の後には虹が出る。


今年もそんな今日、誕生日を迎えた。

昨日まであんなに晴れていたのに、
今日は雨が降っている。

今日からしばらく雨が続く。
梅雨入りをした。


「天気の子」は、今日も、笑っている。

時折垣間見える、
雨のような切なさをひた隠しながら。



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