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「個人」から「分人」へ

平野啓一郎さんの名著。
私とは何か 「個人」から「分人」へ

文庫本で189ページと、1日2日で読了できる分量ですが、対人関係や自分探しのジレンマに嵌りがちな人にとって、とても有意義な一冊だと思い紹介することにしました。

◼︎私がこの本を薦める理由

社会に出ると様々な人に出会い、時に愛想笑いをし、時に自分をごまがして同調してみたり、また時には本音と建前を使い分ける。

そうしてふとした時に、「自分は何者なのか?」と焦燥に駆られ、自分探しを始める。

自分探しの手段として、海外留学や転職をする人もいれば、新たなコミュニティーに属することもある。

はたまた新しい趣味を始めてみたり、自分を導いてくれる師や団体を支持する人もいる。

その結果、「自分とは何者か」を言語化し、腹落ちできる人は実は相当少ないのではないか。
実は多くの人がそれでもなお、ループにはまり、自分探しのジレンマに陥っているのではないか。

程度問題こそあれ、私も同じジレンマにハマっている節があり、本書はこのジレンマに別の角度からの視点を投げかけてくれます。

それが『分人主義』なのです。

以下、私が良いなと思ったフレーズや要約です。
ご興味を持った方は、ぜひ読んでみては。

◼︎たった一つの「本当の自分」など存在しない。

対人関係ごとに見せる複数の顔が、全て「本当の自分」であるという考え。
対人関係ごとの様々な自分のことを『分人』と呼び、相手とのコミュニケーションを通じて、自分の中に形成されていく。
個人を整数の1とするなら、分人は分数のイメージ。

私たちはごく自然に、相手の個性との間に調和を見出そうとし、コミュニケーション可能な人格をその都度生じさせ、その人格を現に生きている。
複数の人格でそれぞれ、本音を語り合い、相手の言動に心を動かされ、考え込み、人生を変える決断を下したりしている。
それはつまり、複数の人格は全て、「本当の自分」なのである。

◼︎分人には中心が存在しない。

分人は、自分で勝手に生み出す人格ではなく、常に環境や対人関係の中で形成される人格である。
鏡の前で1人で会話していても分人は形成されない。

※人格とは
朝日が昇って、夕陽が沈む反復的なサイクルを生きる中で、身の回りの他者とも反復的なコミュニケーションを重ね、それらの反復を通じて形成される一種のパターンのこと。

◼︎分人の形成プロセス

分人は、特定の誰かとの反復的なコミュニケーションにより形成されるが、その形成プロセスは大きく3つに分けられる。

①社会的な分人
不特定多数の人とのコミュニケーション可能な、汎用性の高い分人

②グループ向けの分人
特定のカテゴリー、グループに向けた分人。
学校や会社、サークル等。

③特定の相手に向けた分人
①②を経て、最終的に生まれるのがこれ。
全ての関係がこの段階まで至るわけではない。
そうなるかどうかは運や相性もある。

◼︎コミュニケーションが苦手な人への提言

コミュニケーションが苦手だと思う人は、その原因を話術の不足に求めがちだが、そうではなくて、相互の分人化の失敗と考えてみると、見方が変わってくる。

コミュニケーションがうまくいかない人は、まず社会的な分人という入りの部分で何か違和感を与えているかもしれない。
或いは、そこから自分の個性を発揮することに気を取られすぎて、勝手なペースで分人化を進めようとしているのかもしれない。
重要なのはまず、『柔軟な社会的な分人』が双方にあること。

◼︎個性とは分人の構成比率

誰とどう付き合うかで、自身の中の分人の構成比率は変化する。
その総体が個性になる。
個性とは、決して生まれつきの、生涯不変のものではない。
だから、例えば「自分は愛されない人間だ」というような本質規定をしてはならない。
「人格は一つしかない」「本当の自分はただ一つ」という考え方は、不毛な苦しみを強いてしまう。
自分が分割できない個人だと思ってしまうと、例えば会社の状態のままで他の人とも接しなくてはいけない。それはきっと楽しくない。

◼︎悩みや好きな分人は半分は他者のせい(のおかげ)

分人が他者との相互関係によって生まれる人格である以上、ネガティブな分人は、半分は相手のせい。
逆に、ポジティブな分人もまた、半分は他者のおかげ。
そう思えば、感謝や謙虚さも芽生える。

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