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手を抜かない 今日の写真は紀州鉄道線路に積もる雪です。

今日の写真は紀州鉄道の線路に積もる雪です。

手を抜くとは、すべきことをしないで手数を減らすことです。手を抜くの対義語は一生懸命です。大雑把やサボるとも違う手を抜くことはいけないことでしょうか?

省力化もしくは節約、軽量化、経費削減と手を抜くは違うと思うのです。
一生懸命し過ぎると手を抜くことを勧められます。それは、手順を手数を手続きを効率よく考えて時間をうまく使う為です。

一生懸命するとそのことだけに集中して他のことは眼中にないのです。
人間は弱い存在です。あらゆる危険から身を守る為には集中するより分散して気を配るのです。一つのことだけでなく色々なことをしたくなるのは本能的なものです。

本能に従って動くと疲れるのです。本能に逆らうことも疲れますからどう動こうかと迷うのです。手を抜かないことも一生懸命することも疲れるのです。ではどうすれば疲れないのでしょうか?

手順、手数、手続きを他人から教えられた通りに動くのです。一生懸命でもなく手を抜くでもなくマニュアルに従って動くのです。マニュアルを自分で作ればさらに楽です。マニュアルを幾らでも書き加えれば良いのです。

記憶に頼らず書類にするのです。紙の書類にして書き足して清書するのです。わたしは仕事の事をチェックシートにしています。

手抜きをしなくて一生懸命しなくても仕事ははかどるのです。

手順を考え、手数を考え、手続きを考える時に手抜きをしてはいけません。一生懸命するのです。それができればそれに従って動けば良いのです。思い通りにならないのが人間の摂理です。自然の摂理で人間も動いています。

愛していても愛されるとは限りません。

愛される手順と手数、手続きを一生懸命考えて手を抜かずに実行しましたが愛されないこともあります。でも、それは自分の経験として次の愛される手順と手数、手続きを作る時の参考になるのです。

一生懸命でなく、手を抜いていたらそれだけの経験になるのです。

愛されるための手続きに一生懸命、手を抜かないがなければ、いつも一生懸命せずに手を抜いても愛される経験になるのです。手を抜いても一生懸命しなくても幸せな人生が送れるという経験が残るのです。

私は、手を抜いたら不幸になった、一生懸命しなかったから不幸になった経験があります。手を抜かずに一生懸命愛したら愛してもらえた経験があります。

手も抜かず一生懸命してもうまくいかなかった経験もありますが、まだ人生経験が未熟で手数も手順も手続きもわかっていなかったのです。

知識も知恵も必要ですがさらに手を抜かない、一生懸命する事が必要です。

#たぬきのポッさん #エッセイ #スキしてみて

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