「とりあえず」動く事で次の道が開かられる。今日の写真はおかゆと梅干し。ただのおかゆではありません。ただの梅干しでもないのです。高いお金を出す事は食事の大切さを教えてくれます。
とりあえずのタイトルを書き込んでそれに見合った内容で書き始めるとあら不思議、次から次へと文章が浮かんでくるのです。それが私の記事を書くスタイルです。
なぜそのようなことができるのでしょうか?
それは、書くためのネタがたくさんあるからです。引き出しがたくさんあって、さらにその引き出しには整理整頓された情報がたくさんあるのです。
経験という引き出しです。
コンピュータの仕事をする中で重要なのは分解、分類、分析、統合です。
簡単にいうと情報を整理整頓することです。やっていない事はできません。
時間がかかるからできない事をするのがコンピュータです。
無いものを作ろうとすると失敗します。想像の世界ではありえる事でも実際の社会ではありえないのがバーチャルです。シュミレーションは、現実にあるものを真似する事で、仮想を現実に近づけているのです。無いものを作ろうとはしていないのです。
例えば手作業で行っていたものを機械化する事は可能です。集金する人がいなくて入金作業ができないのを機械化する事はできません。売掛が増える一方です。請求書を振り込み用紙と一緒に郵送したとしても入金してくれなければ売掛となるのです。
製造、販売に力を入れても取り立てができない会社は潰れてしまうのです。
原価を割って商品を販売することを防ぐのは、機械であればできますが、人の判断で、利益がなく、損をする販売を続けると、その結果は倒産することになるのです。
国が赤字国債を発行しても成り立っているのは借金ではなく国民の財産を担保にお金を発行しているからです。とりあえずお札を刷れば国の歳出は成り立ちます。国民に国の保障をしてもらっているのが国債です。「とりあえず」と動けるのが人間です。変化に気づいたら「とりあえず」動きましょう。その動きでさらに変化が現れるでしょうから「とりあえず」動きましょう。動きが遅ければさらに変化は大きくなるのです。
変化の本質を見極めて少しの動きで済ませられるのは初期の段階です。
「とりあえず」で動いたら、その後に「本格的」に動きます。本格的に動くのはよく考えて動くという事です。たりあえず動くのは情報の収集と命の危険から身を守る行動です。
命があればこそ、悔やむことがあったとしても命があれば悔やむことができるのです。悔やむ事は引き継ぐ事で怨念となってしまうのです。悔やむ事は引き継がせず、自分で終結させましょう。死後の世界があると言われているのは怨念の世界のことです。
恨みつらみを後世に引き継いではいけません。とりあえず引き継いでから忘れれば良いのです。過去の呪縛から解き放されて良いのです。なぜなら今の変化に対応できなくなるからです。
怨念、怨霊、化け物は変化についてこれない心が描いているのだから良く見て、聞いて、話して、触って、感じて見極めましょう。
「とりあえず」で良いのです。その後に「本腰」を入れることをお忘れなく。