今日の写真は焼きそば。日曜日はカレーか、焼きそばが定番です。なぜならわたしが作るからです。働かないのではなく働けない人に「働かずは食うべからず」と言ってはいけません。働く内容を選ぶ権利があるのに「いくらでも働く場所はある」と言ってはいけません。努力している人に「努力が足りないんだよ」と言ってはいけません。言ってはいけないことを言ってしまうのは、相手の価値観を理解せずに自分の価値観を押し付けているからです。
「働かざる者食うべからず」という言葉は、働くことの価値を説く言葉としてよく使われます。しかし、働けない人に対してこの言葉を言うことは、その人の状況を理解していない上に、働くこと以外に生きる価値はないという考えを押し付けていることになってしまいます。
また、「いくらでも働く場所はある」という言葉も、働く内容を選ぶ権利があることを無視しています。働く内容は、その人の価値観やスキルによっても変わってきます。単に「働く」という結果だけを求めて、働く内容を無視することは、その人の可能性を狭めてしまうことにつながります。
「努力が足りないんだよ」という言葉も、相手の努力を否定する言葉です。努力をしている人は、すでにその人なりに精一杯努力をしているはずです。その努力を認めずに、さらに努力を強要することは、その人を苦しめてしまうことにつながります。
相手の価値観を理解せずに自分の価値観を押し付けることは、相手の気持ちを傷つけたり、その人の可能性を狭めたりすることになります。相手の立場に立って考え、その人の価値観を尊重することが大切です。
具体的には、以下のようなことに気をつけることが大切です。
働けない理由を理解する
働く内容を選ぶ権利があることを尊重する
努力をしていることを認める
また、相手の価値観を理解するためには、以下のような質問をしてみるのもよいでしょう。
なぜ働けないのですか?
働く内容で譲れないことはありますか?
これまでどんな努力をしてきましたか?
などと聞けないですよね。それが聞ける間柄ならば言ってはいけないことは言いません。相手の価値観がわかるまでは疑うことも信用することもできないのです。
よく知らない人を、外見や印象だけで判断して、自分の価値観と同じだと思ってはいけないのです。価値観は無限に近い組み合わせでできているのです。同じ環境で同じように暮らしている一卵性双生児でさえ全く同じ価値観では無いのです。
親でも区別がつかない二人でも右側に立つのが好きだとか好みも少し違ったりするのです。好きになり、お互いの価値観がお互いの価値を高める環境でありたいと思う人と出会う場合もあります。
他人から見ると口喧嘩をしているように見えても実際は価値観の確かめ合いである場面があります。
「なぜ、わかってくれないの」とエキサイティングするのは初期の頃です。時間をかけて違いを理解して納得して、お互いに歩み寄るのです。
いつまでも歩み寄ることなく平行線であっても、理解して納得できないと納得することも必要です。なぜなら平行線が交わるには、平行線と平行線が近寄ってお互いの重力で重なる必要があるからです。つまり近寄るとは納得することだからです。
非ユークリッド幾何学が数字だけの世界ではなく実在すると証明したのは太陽の重力です。太陽によって見えないはずの星の光が太陽の重力によって湾曲して地球から観測できたのです。それはアインシュタインが「重力によって光は曲がる」と言ったからです。湾曲幾何学は見えないはずの星を見ることが可能だと計算したのです。
それと同じように常識と同じぐらい非常識も存在しているのに常識しか信じようとしないのです。常識が間違っていても常識だと信じている人には間違ってはいないのです。
それを指摘しても常識が間違っていると信じないのは自分の価値観、信念を覆すことになるからです。
信念、価値観は間違うものです。間違いを多く経験して育つものですが間違ったとは気づかないのです。なぜなら正解があって初めて間違いに気づくのであって、その正解は誰にもわかっていないからです。
正解がわからない疑問を解かなければならないのが人生です。