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正直者になろう。正直とは、正しく素直で、偽り・ごまかしをしない性質・態度です。ですから正直者は他人よりも自分に正直であって欲しいと思うのです。今日の写真は外食しました。

私は心の中を重視しています。心はバランスです。嫌だと思うから嫌な態度を示してその嫌から逃れようとするのです。嫌だと思う心が悪いのでは無くそれを隠そうとするからバランスが崩れるのです。

嫌だと相手に伝える手段が思いつかなくて暴力(暴言)に走るのはバランスを取ろうとする行動だと理解できますが、暴力(暴言)で勝ち得たバランスは相手の暴力(暴言)で打ち砕かられるのです。

自分に正直になって嫌だと意思表示をすることで相手に嫌われても良いと思えれば良いのですが、相手には好かれたい。自分を好きではないと思うから先に嫌いになろうとしていると分析できればさらに良いのです。

嫌われても良い、暴言を吐かれても良い、力に負けても良いなどと思うのは正直では無いと思うのです。なぜなら人間は幸せになる為に生まれてきたからです。

嫌われて幸せですか?暴言を吐かれて幸せですか?力で負けて幸せですか?

良い悪いと幸せは関係ないのです。
好き嫌いと幸せは関係無いのです。
勝ち負けと幸せは関係無いのです。

自分に正直で無いから不幸せになるのです。悔やんでしまうのです。

自分に正直になって気づきを多くすることで人生は幸せになります。
沢山のお金がある事が幸せだと思う人にそのお金が減ると不幸せだと思いますか?沢山の金があっても使うと減りますから使う事のないお金を持っているのは幸せですか?そのように自問自答を繰り返すことで本当に自分が幸せになろうとするのが正直者です。

正直者が馬鹿を見る。

この言葉は不正直者が正直者を馬鹿にする言葉です。正直に生きていれば自分の中では幸せです。人を馬鹿にする事をした自分を恥じるべきです。自分がされて嫌な事を他人にすれば必ず同じ事が返ってきます。

自我が生まれる3歳までが自分の分身となる子どもだと言えます。そして親への恩返しは3歳まで生きた事で返し終わっているのです。自分に正直だと子どもだと言われますがそれは自分の心の中に正直に生きる事だけにこだわって他人の心の中を蔑ろにするからです。

他人の心の中を知ろうとしても自分の心の中でさえ正直になろうとしてもできないのですから他人のことまで考慮した正直者になれないのです。そんな時は、「あなたの幸せを私は知りません。ですから奪ってしまうかもしれません。あなたの幸せのための行動はできませんが、あなたが幸せになれるように願うばかりです」と心の中にあれば相手の幸せと自分の幸せを比べることは無くなるのです。

願っていたらそれを伝えようと行動するのです。自分の幸せは自分で守らなければなりません。相手の幸せを奪ってしまったら自分の幸せを奪われる可能性が高くなるのです。わかっていると言いながらできていない事が多いのです。

正直に生きるには、知識を学ぶ事で増やし、体力を鍛える事でつけ、心の中を自問自答しながら育てていくのです。正直になろうとするのでは無く結果として正直であれば良いのです。

正直であるためには事実を受け入れて、それに対して疑問があれば解決するために行動して解決し納得する事が大事です。

疑問が無いのは質問に答える事ができるのと同じです。自問自答して確認しましょう。納得できていないのに行動するのは無責任と言います。

納得して行動する事を責任ある行動と言います。

正直者は責任感がなければただのお人好しになります。正直者が不正直な事をすると正直者では無く不正直者になるのです。他人には不正直でも自分には正直であればそれは正直者です。嫌を嫌と言う正直者では子どもと同じだと言われても仕方が無いのです。人に嫌わられるのが嫌だから私を嫌って私に嫌われないようにしてください感を出して一言言うのです。

「何もできませんが、幸せになってください」

#たぬきのポッさん #エッセイ #スキしてみて






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