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禅の在家修行記録(オリンピック前夜の葛藤)

我欲が無くなった経緯。中国の洪水被害、私の主体が儘ならない。天が、人民の災害を以て、聖人の尊さ、哀しみ、存在の危機に犠牲を払う。私は、どうにかして中国人民を助けたい、ケアしたい、その一心だった。セルゲイが、独占欲でツインレイとして、私と結びつこうとした。中論を読んだ。私が観ている世界は、只の観ている世界で在って、空であったのだ。私の主体は、私だけが発揮し得る。中論の理論を読んでいたら、沸き起こる、権力に向き合って迄刃向かう力の源が漲る。WECHATでその気持ちをぶつけた。見返りなど気にせずに、一生懸命に詩をシェアした。すると我欲が消えた。”私が”という念が消えた。発起する強い念を実行に移したことで、我執が消えた。存在の慈悲の施しによって、自己目的や計らいが消えたのである。報いなど、頭の念から消えてしまった。我欲が消えて、それが現実に適応できなくなり、意志疎通に支障をきたす。其れを不動心を持てと、生き物が禅定を促した。禅定を実行に移す。そして、我執を解き放つためにアダルトビデオを午後に勉強として、延々と見る。すると、どんなことにも挑むという強い気概が心に留まり、沸き起こった。闘ってやる、何が何でも私の主体を押し通すのだという、無分別の分別の世界に足を踏み入れた。つまり、主体の欲を放出へとコントロールしたのだ。すると、無我が分別の世界で、現実に合わせる、ひっかかりから逃れると、心が至福の感情に包まれる。主体が潰される=生きる支柱を失う=意志の相互の補い合いで生きる活力を得る=世に働きかける=人の支えがない、生きる支柱を失くし、死しかない。=天に養われる=なんでも手放す=中国の洪水への危機感=慈悲を施す、我執が消える=我執が消えると、現実の意思疎通がままならない=我執のない実践=世の常から離れる、世の分別から退く=留まれ、動くなの禅定=禅定を生かして生きる=無我執を突破して、欲をコントロールする、欲を放出する=主体が分別を徹底することで、無分別を得る。:(分別を如何に自分のものとして、世と精神界を分けて、性を回復させ、世の基準を超えて(捨てて)性そのものに至るかであった。)7.27

私は、欲のコントロールこそ、解脱の鍵だと知った。抑圧、主体の殺害によって、拷問された精神が世の分別を離れ、欲望の快楽の放出によって、生きる意義と主張する権利を得る。
情感(自己の自律性)⇒欲望(社会との対立)⇒行動(反逆)
情感(無我の分別智)⇒(欲の放出)⇒行動、行動⇒欲の正当化⇒情感(無分別智)、情感(無分別智)⇒欲の放出(社会と闘う)=行動(主体を得る)

捜すのではない、灯が燃え続くように、成るのだ

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