「愛がなんだ」は良い意味で裏切られる映画
こんばんは。チャン・パムです。
実は先々週末に観ようと思っていた映画「愛がなんだ」。その週はなんと満席で、一度お預けを喰らいまして...今日は1時間前には席を確保して、満を辞して観に行く事が出来ました。
そんな、今大ヒット中の本作、結果から先に述べますと
すごいものを観た。
これに尽きます。本当に。
ライブアートのような臨場感のある、まさに心理劇。想像以上に見応えたっぷりの内容でした。
そもそもまず、想像していた内容としては
・主人公が好きな男に振り回される
・だけど、主人公は一途に好きな男を想い続ける。好きすぎるあまり、自分の身を削り始める。
・鑑賞者側も、主人公の内の気持ちに入り込み自分自身と重ねる
「彼の事は好きだけど、恋人じゃない」
少女漫画でも歌の歌詞でもこういったフレーズはよく目にしますが、従来の物語って上述したような内容が多いんじゃないでしょうか。
だからこそ、同じような経験がある人に響くんだと思います。
しかし、この「愛がなんだ」は、そのようなイメージを持って観に行くと、度肝を抜かれます。
まず、登場人物に誰一人として惹かれない。
これにもびっくり。普通は、観てる側が共感したり、魅力的に思うような人物が1人くらいは出てくるものじゃないですか?
何だこの映画は?そこからも、一気に引き込まれました。そして、鑑賞し終える頃には、まさに
それこそがこの映画の最大の魅力である
と感じます。とても愛おしい内容の映画でした。
「私は、マモちゃんになりたい。」
※以下、ネタバレ含みます。
この映画に関しては考える事が多過ぎて考察を100個くらいにわけたいところではありますが...
今回は、
①印象深かったシーン
②登場人物の魅力、考察
③「愛がなんだ」とは
の3つに絞って考察していきます。
①印象深かったシーン
個人的に、最も印象深かったのは
テルちゃんとマモちゃんのベッドシーン。
片想い中のスミレさんに振り向いてもらえないマモちゃんが虚しさを埋める為にテルちゃんを抱くも上手くいかず、2人で寝転んでピロートークをするところです。
マモちゃんが天を仰ぎながら、
「俺ってさ、世の中でかっこいいかかっこ悪いかの部類でいったらかっこ悪いほうだと思うんだよね。」
ぽつん、と呟く。そして、
「山田さん(テルちゃん)はさ、そんな俺にどうして親切にしてくれるのかなって。」
「そりゃあ、好きだからとかそういうんじゃないの。」
「何で好きなの。俺みたいな良いところがひとつもないやつ。」
台詞は記憶を辿っただけなので曖昧ですが、ざっくりこんな流れで...
この時、私、実はマモちゃんに自分を投影してしまっていました。マモちゃん。マモちゃんがこの場面においてそうやって言ってしまうの、すごく分かる。だから頼むぞ、山田。頼む... 祈るような気持ちで、山田さんの言葉を待ちました。
しかし...
「本当だよ、何でこんなに好きなのか、自分でも分かんないよ。」
あぁ...
ここで、一気に感じた事のある絶望感を感じました。こうやって、人はすれ違っていくんだろうな、と。その時のマモちゃんの表情たるや。
確かに、本作品ではマモちゃんって自分勝手でどうしようもないやつなんです。ただ、この時ばかりは本当に胸が痛みました。
ただ愛されたいだけの男VS.ただ愛したいだけの女
もしくは
ただ愛されたい事をわかってほしいだけの男VS.ただ愛してる事をわかってほしいだけの女
といったかたちですかね。
「俺、自分がいない時に人に部屋入られるの嫌なんだよね。前も言ったと思うけど。」
「え、そんなこと言ってない。だから洗濯もしたし、掃除だってしたんじゃん!」
「あっそ、じゃあ今言いました。(続けて、仕事の事を話し始めるマモちゃん)」
「(段々とマモちゃんの声が遠のき、上の空になるテルちゃん)」
つまり、そういう事ですよね。
②登場人物、それぞれの魅力
登場人物に誰一人として惹かれない、と先述しましたが、
この映画に出てくる登場人物、皆、狂おしい程愛おしいんです。
まず、山田テルコ。
「私は、マモちゃんになりたい。」
その言葉通り、マモちゃんの喜びを自分の喜びとして感じる女の子。「自分は好きかどうでもいいのどちらかしかない」と劇中に語る彼女ですが、本当にその通りで、マモちゃんに出会ってからは仕事が手につかなくなりクビ、それも「自分にはこの仕事が合わなかった」と楽観的に問題を片付ける始末。夜中に友達の家に押しかけ、タクシー代を払ってもらった上にご飯までご馳走になる。
そんな彼女ですが、マモちゃんの前では一変。体調が悪いから職場にいるなら帰るついでに何か買ってきて欲しいと頼まれ、既に家にいるのに職場にいたと嘘をついて夜中でも彼の家へ直行、頼まれていないのにご飯を作る、掃除をする。彼がビールがないと言えば買ってくると言い、出掛ける。彼の為にあの手この手と世話を焼きます。
終いには、彼の事が好きすぎるあまり、彼として生きようとしています。これにはさすがにゾッとしましたが...
彼女の魅力は、彼が好きという感情に対して、一切悲観的にならないところだと思いました。
彼女の中にある絶対的な、揺るがない「好き」。「好きに理由とかそんなのなくない?」「愛がなんだってんだよ。」
彼女は、自分の「好き」を等身大で彼にも、周りの人にも、そして自分自身にもぶつけようとしていたのではないでしょうか。
続いて、田中守。マモちゃん。
自由奔放で身勝手、自己中、テルちゃんの愛を踏みにじるクソ男。一見、そのように見えますが、よくよく物語を紐解いてみると、マモちゃんがそれだけの男ではない事が明らかになります。
まず、彼は「将来プロ野球選手になる」だの「動物園の飼育員になる」だのと、コロコロと考えが変わります。私の経験上、こういう人は、人一倍、他人から注目されたい、認められたいという気持ちが強いんですね。自分に自信がないのです。だから、自分を好きでいてくれる人に対して、相手を好き、大切にしたいという感情よりも「好きでいてほしい、注目してほしい」と感じる気持ちの方が大きいんじゃないかな、と思います。だから、自分を雑に扱う存在には注目されたくて魅かれるし、自分を好きでいてくれる存在に対しては、釣った魚に餌をやらないじゃないですけど、一種の飽和状態に陥ってしまうのかな、と。
それに、これは完全に主観になりますが、
マモちゃん自身、山田さんが向ける自分への愛は実は自分への愛ではない、と何処かで気付いてしまっていたのではないでしょうか。
彼のようなタイプは一般的に怪訝されやすいと思いますが、そこに気付いてしまった時の寂しさは絶望的だと思います。孤独にならざるを得ないからです。
他にも中原やスミレさん、魅力的な人物はたくさん出てきますが、長くなってしまうので人物考察はこの辺で...
③「愛がなんだ」とは
そもそも、「愛がなんだ」とは、一体なんだったのだろうというところの考察です。
劇中に度々登場する、小学生の頃のテルちゃん。
大人になったテルちゃんが、幼いテルちゃんに物申したり、幼いテルちゃんが大人になったテルちゃんに話しかけたり。幼いテルちゃんの時の心と大人になったテルちゃんの心の葛藤ですね。これは、この映画においてのキーポイントとなります。
小学生の頃の恋愛って、例えば選択肢が①か②くらいしかないと思うんですね。
好きだから両思いになりたい!とか、仲良くしてほしい!とか。
でも、大人になるにつれて勝手に恋愛を複雑化していってしまって、選択肢が①〜⑩まであるような状態になってしまうんですね。それを、私達自身が「大人の恋愛」として勝手に認識するようになると思うんです。
でも、よくよく考えてみれば、その選択肢って本当に必要なのでしょうか。心の底に押し殺した気持ちを美徳化したり、誰かを思うが故に自らを傷つける行いをする必要があるのでしょうか。
幼いテルコ「本当に好きじゃないの?」
大人のテルコ「好き?なにそれ!」
心が赴くままに行動する、彼女。幼い頃の、ストレートな価値観のテルコと大人になって作り上げた価値観を貫き通すテルコ。
そんな彼女から、様々な事を学びました。
つまり、「愛がなんだ」とは、一つの愛のかたちなのではないでしょうか。
もちろん愛のかたちに正解なんてないけど、彼女が自分自身で導き出したその答えは、決して間違いなんかじゃない、と思いました。
長くなってしまいましたが、語ってたらキリがないと思うので、この辺で...
後ひとつだけ言っておくと、役者さんの表情の演技が本当に素晴らしい。圧巻でした。
それではまた次回。
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