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求められるところにいくんじゃない。“私が求めるところ”へ行くのだ。

■これから先

私がいつか、
やりたいことをやれるようになって今よりももっと広い世界に飛び込もうとするとき。

もしかしたら、今の職場にとってその私の姿は都合が悪いかもしれない。
そして、その私を否定して職場の都合のいいように圧をかけてくることがあるかもしれない。

その時、私は
“働く場所”に求められているから働くというような受動的な生き方ではなくて、私から求めて働く能動的な個体でありたいと思う。

私にとって働くこととは、生きることだ。

生きるように働くこと。

求められることが悪いわけじゃない。
むしろ、どんな形であれ求められるということは価値があるということだ。

ただ、求められるから働くといった受動的なものだと他人の人生を生きることになる。

■私の人生は私のものだ。


私だけのものではないが、自分としての個体が傷つけられてまで他人の人生を生きる必要はない。

自分の人生を振り回していいのは絶対に自分だけだ。
振り回すも、振り回されるも結局は自分次第だ。

私が求めるところへ行って、その先で自分も周りも幸せを実感できる方が絶対いいに決まってる。

それが出来たら誰も困らないって思うかもしれない。
その通りだと思う。

でも、
やる選択をしない人、先延ばしにする人は勇気が足りないだけなんじゃないか?って思う。

決断するためのあとひと押し。

■実は、私が1番必要としているもの

それが勇気なのかもしれない。

自分の夢を『勇気づけのプロになる』と公言しているけど、ここまでこのテーマに固執するのはなんでかな?って考えてみた。

今までの私は勇気が足りなかった。
友達がいなかったわけではないし、親もそれなりに話を聞いてくれていた。でも、1歩踏み出す勇気には満たなかった。

2年前のあの時、あの子があんな風じゃなかったら当時の私に勇気は沸いてこなかっただろうな…って振り返るといつも思う。
(別の機会で“あの子”の話をします)

実際、今でもまだまだ自分は臆病だと思う。
これでも自分自身をかなり改革してきた方だとは思うけど、壁はひとつ越えるとまたひとつ増える。
きっと人生ってそういう構造なんだと思うけど…

側で見守っていてくれている人がいるということがどれだけその人の勇気になるか、私は知っている。何回も何回も実感してきた。知らず知らずのうちに勇気づける方もなんだかパワーをもらえることも分かってきた。

人を勇気づけることで自分の力になり、そして本当はその勇気づけの技術を自分に使ってあげたいとも思っている。なぜなら自分が臆病なことを自分が1番よく知っているからだ。

こんな臆病者でも誰かにとっての原動力だったり、気持ちの切り替えになるような、心の疲れがほぐれるような人になれたらいいなぁ…

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