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にがうりの人 #62 (潰された情愛)

 私は思い出していた。
 部屋に閉じこもり、暗闇に迷い込んでいた私がいまや海外という見知らぬ世界へと飛び込もうとしている。こんな大それた飛躍は引きこもっていた私にとって到底考えられないことであった。
 私は感慨深くなり俯いた。津田沼の横で父が笑う。
「お前には俺たち家族がいる。大丈夫だ」
 それは私の背中を押すには十分すぎる台詞だった。母は父の横で俯いている。
 両親の思いが私に伝わり、全身にエネルギーがみなぎる思いがする。
 やれば出来る。
 そんな使い古された言葉も真正面から受け止める事が出来た。
「先生もお前のお父さんもスタートを切ったばかりだ。一年後お互いに成長したところを見せ合おうじゃないか」
 私の頬に自然と涙が伝った。それは決して別れが悲しいという後ろ向きなものではない。彼らの愛情を一身に受け、新しい世界に飛び込める幸せからだった。

✴︎

 やがて搭乗の時間となり、私は両親と津田沼に別れを告げた。母はそれまで押さえていた感情が溢れるがごとく静かにすすり泣き始めた。
 私は一人歩を進める。背中に彼らの視線を感じたが振り向かない。次に両親や津田沼と顔を合わせるときは今よりも成長してからだと心に誓っていたからだった。それでも私の頬は乾く間もなく涙で濡れていた。

✴︎

 イギリスでの生活は順調だった。最初は戸惑いの連続であったが、津田沼の言う通り意思の疎通は比較的すぐに取れるようになった。やがてホームステイ先にも馴れ、同級生の友人も何人か出来た頃だった。二週間に一度の国際電話で父がある事を報告してきたのである。

 それは母の懐妊であった。私を出産して以来、子宝に恵まれなかった私達家族にとって待望の第二子である。しかし、電話越しの母の声に元気は無く、むしろどこか憔悴したような雰囲気があった。父はそれを妊娠中の女性にはよくある事と笑い飛ばしていたが、私には引っかかっていた。あの優しく温厚な母が気を病むことなどかつて見た事が無かったからである。とはいえ私も父もとにかく喜んだ。自分に兄弟が出来る事が単純に嬉しかったし、今となっては遠い日本での吉報はますます私の糧となりエネルギーとなった。

 その五日後、再び母から電話があった。用件は特別あるわけでもなく、母はしきりに昔話に花を咲かせる。家族で行った海や公園を散歩した事、どれもがみな貧しかった頃の話だった。楽しそうに話すその口調に安心する一方、留学先での生活にようやく馴れ、輝ける未来を夢見ていた私にとって過去の思い出など興味は無く、そんな母との会話も煩わしく感じた。
「もう切るよ」
 私がすげなく言うと母は寂しそうに「ごめんね」とだけ答えた。そう言われると無下に受話器を置く事も出来なくなった。

「また電話するから」私は柔らかく言った。

続く

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