見出し画像

泳げない海亀 #33 (Elephant in the room)

 理屈は分かっても納得は出来ない。
 リスナーに対する背反ではないのか。生活と音楽の狭間で葛藤の溝は深まるばかりだった。
「とにかく、俺は決めたんだよ。ロガーヘッドをここで終わらせたくないんだ。これでダメだったら本当に最後にしよう。それで悔いはない」背筋を伸ばし昇太は意を決したように言葉を発した。
 ネルソンは再び口元に薄気味悪く笑みを浮かべている。これから先、どうなるのか全く分からない。それは今に始まったことでは無かったが、忍は更に深い闇を突き進むようで恐怖すら覚えた。

          ✴︎


 いや、やはりこの話は飲めない。忍は頭を振って昇太を見る。決意の表れなのか先程よりもさっぱりとしていたが、それでもまだその表情は青いままで生気は無かった。
「メンバーだけで話し合いなさい」
 ネルソンはそう言って部屋を出て行った。四人だけになった空間はどこか居心地が悪く、余所余所しい雰囲気が漂っていた。

「とにかくやるだけやってみようよ。俺だってバンドは続けたいけどさ、曲は書けるし、売れたロガーヘッドってのも見てみたいしな」
昇太は眉を下げて笑った。その顔はやはりどこか物憂げで誰も二の句を継げない。

「俺が死んで広告塔になる。そしてお前らがロガーヘッドを大きくするんだ」
 
 その口調は確認するように事務的だった。
 このまま流されて行くのか。
 音楽の悪魔的な側面に翻弄されているだけではないのか。
 現実と理想を知った彼らにとってそれを判断するのは困難であった。

「絶対に嫌です」既に崩れている表情を更に崩し、懇願するように光明が言った。
「何故だ?」隼人が目だけを昇太に向けた。
「ここで終わらせてはいけないと思ったんだ」
 ネルソンの提案以降、昇太は散々考えた。一縷の望みがあるならば、たとえそれが自分の死と引き換えであってもすがるべきなのではないか。
 自分が死んでもロガーヘッドは死なせてはいけない。安易であり、盲目的かもしれないが純粋にそう感じた。
 そして忍が光明に対する思い。

「一生音楽をやらせてやる」

 ずっとその言葉が棘のように刺さっていた。自分にその覚悟があるのだろうか。

「この四人でないとロガーヘッドじゃあないでしょう」光明は譲らない。
「だとしても」昇太が呟く。
「いずれロガーヘッドは無くなってしまうよ」
 皮肉にも似たその昇太の言葉の意味を忍は噛みしめていた。
 確かにこの四人のうち、一人でも欠けた状態をロガーヘッドと言えるのか。だが昇太の言うようにこのままだとロガーヘッドは消えて行く。現に解散同然、なし崩し的に誰にも看取られないまま死にゆく運命であるのだ。どうしようもない葛藤に忍は意識が朦朧とする思いだった。
「なんとか言ってくださいよ、シノさん」光明がそう言って忍の肩を揺らす。
「俺だって何が正しいのか分からねえよ。けどな、このままじゃ、俺たちいつまでたってもうだつの上がらねえミュージシャンなんだよ」
 咄嗟に口走ったのは本音だった。忍ははっとする。

続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?