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人の架け橋。

◼️2023年8月12日。
また一つ私の二年越しの夢が叶いました。
台風6・7号を奇跡的にかわし、関東は今季最高気温を記録する中、尾瀬の玄関口で暮らす檜枝岐村(ひのえまたむら)の子供たちと共に川崎フロンターレのホームスタジアム等々力陸上競技場への訪問が実現した。

兄の飲食事業が、川崎フロンターレさんとパートナー関係にあった事やサポーター団体の川崎華族さんの活動を微力ながら尾瀬小屋でも支援させていただいていた事もあり、2年程前から尾瀬の子供たちに一流のクラブ、そして熱いフロンターレサポーターの応援に触れさせたいとの想いで、コツコツ下準備を重ねていた。

個人的にも応援に行ける試合には駆け付け、最前線で声を張り上げ応援させてもらうような関係でした。選手の誰が好きとかそういうのではなく、クラブと地域の繋がりや関係性、調子が良い時も悪い時も変わらず支え合うクラブと地域の絆に魅せられ『地元密着・地域密着』が私の五感を刺激し、川崎フロンターレというクラブが知らず知らずの間に私の人生の中にすんなりと馴染んでいたような気がします。

ホームもアウェイも川崎を愛する仲間達と

◼️スタジアム訪問となった話のはじまり
尾瀬国立公園(福島県側)の麓には人口僅か500人の小さな村があります。そこは標高1000m付近に位置する檜枝岐村(ひのえまたむら)と言います。

周囲は2000m級の山々に囲まれ、人口密度が日本一低い村であり、一年のうち7ヶ月も雪に覆われ、国からは特別豪雪地帯に指定される厳しい山岳地域の村です。

初めて兄と檜枝岐に訪問した時あまりの積雪量に言葉を失った

檜枝岐村を初めて訪れた2020年の2月。雪に埋もれてどこかも分からない学校グラウンドを見て、『ここで暮らす子供たちはサッカーとか野球とか屋外球技なんてまず無理だろうな』そう思ったのが第一印象でした。それは興味があるとかないとか以前に、厳しい自然環境下にある事で、自然とスポーツの選択肢からサッカーなどは消失してしまうのではないかなと考えた。

様変わりする尾瀬小屋

尾瀬小屋が位置する場所も檜枝岐村に属しており、村よりも標高が更に高い分、積雪量もとてつもない山岳地帯です。その為、営業は5月~10月の約5ヶ月しか許されない。厳冬期の2月には、小屋に積もった雪を下ろすため、檜枝岐村の方の協力をいただき命懸けの作業『雪下ろし』を行います。この作業は村の協力なしでは不可能であり私は雪下ろしに対して、何よりも深い感謝を持っています。こうした感謝の気持ちを何かの形で檜枝岐村に返したいという気持ちが今回のスタジアムツアーの根元にあります。

同時に、檜枝岐村のような雪国の文化や檜枝岐村に住む子供たちに触れる中で、山岳地帯というハンデを感じずに都会の子供たちと同じようにどんな夢も全力で見ていいし、追いかけてほしい、雪を理由に選択肢から夢を消してはいけないと考え、檜枝岐村の子供たちとプロサッカーチームとの架け橋を作りたいという私の『小さな夢』がスタートした。

◼️加速した子供たちの想い

2023年3月に開催した『フロンターレ応援交流会』

上記の記事でも触れたが、今年の3月に檜枝岐村の小学生と中学生の全生徒を集め、フロンターレのクラブ設立からの歴史や、地域密着の活動やクラブの目指す考えなどを学ぶ機会を設けました。一時間という短い時間で全てを伝える事は容易ではないですが、しっかりと授業として受けていただき『カッコいいな』『すごいな』とか浅くても重要な『何かのきっかけ』となるように創意工夫した授業です。

クラブ側も関係者や選手たちの檜枝岐村訪問をギリギリまで調整してくださっていましたが、スケジュール的に難しく、当日は私が司会進行を務めました。訪問できない代わりに橘田選手、小林悠選手からのサプライズビデオレターなどをクラブ側が用意してくださっており、上映されるサッカー選手に子供たちの目がキラキラしていたのがとても印象的でした。

そもそもこの応援交流会を開催する事になったきっかけは、私がお世話になっていた檜枝岐村の民宿の子供たちにフロンターレのキャップをお土産で渡したところ、『私も欲しい、僕も欲しい』と取り合いになるほど喜んでもらい、泣く子も出るほどの出来事があったからだ。そんなに喜んでくれるならと、どうせだったら村の子供達全員がケンカにならないようプレゼントしてあげようとしたのが始まりだ。中には、サッカーなんて興味もない子供もいただろう。知らない大人がいきなりやって来て『今からプレゼント配ります』では意味がない。

何故、尾瀬小屋がフロンターレを選び、
何故、尾瀬小屋が檜枝岐村に感謝し、
応援してくれる人の気持ち、応援される側の気持ち、
人と人とがつながる事で出来なかった事が出来るようになった時の気持ち。

実際に私が体験したその出来事を一時間の授業として、子供たちにお話させてもらう事を組み合わせた応援交流会を実施したのです。

初めて手にしたフロンターレグッズ

福島県にもいわきFCさんや福島ユナイテッドさんなどのJクラブが存在します。本来なら福島のクラブに仁義を切るのが当然だし、地域密着の大切さを知っていた私は、ツテを使って福島のクラブに真っ先にコンタクトを取らせていただきましたが、残念ながら実現には至りませんでした。

そのような経緯もあり、兄を通じて川崎フロンターレのクラブスタッフ様や川崎華族の代表に相談しながら、子供たちの川崎訪問実現に向けご尽力いただき実を結んだ形だ。

繋がりは深まるばかり

◼️広がりの輪
今シーズンから尾瀬小屋の一員として働いてくれている翼君は、川崎華族の一員でもある。フロンターレとの縁が広がり彼は今、尾瀬小屋の一員として大活躍してくれている。我々はサッカーというスポーツとフロンターレという輪を通じて、枠組みとかルールとかでは説明しきれない関係となっていった。フロンターレの近くにいるとこうした事が自然と起こるのだ。

それが川崎フロンターレというクラブである。

◼️仲間の力
8月12日はお盆真っ只中。
尾瀬小屋も宿泊者で満室営業の中、無理を言って私は小屋を離れた。本来ならお客様を対応すべきだし、スタッフに負担をかけて離れるなんて私の経営方針ではあり得ないのだが、尾瀬小屋の仲間達がしっかりと意図や狙いを理解してくれ小屋営業を守ってくれた。

今回の企画の成功の裏には彼ら尾瀬小屋の仲間がいた事を決して忘れてはいけない。この夢を繋いでくれたのも彼らの協力なくしてはあり得ない。ありがとう。

川崎華族のメンバーの訪問
川崎華族の山崎代表と同僚の訪問

応援ツアー開催に先駆け、2日連続で尾瀬小屋へと足を運んでくださったフロンターレ応援メンバー。普段はスタジアムで会う方々と国立公園内で再会を果たす。再会した時の喜びはひとしおで、何時間もかけて会いに来てくれるこの関係はやはり感慨深いものがある。私よりも遥かに長い付き合いの翼君にとっては、本当に嬉しい瞬間だっただろう。ご尽力くださったご褒美だったのか、この日は満天の星空だった。

企画成功を満天の星空に祈った

◼️ツアー当日
8時に檜枝岐村を出発したバスは、24人の子供と12人の大人を乗せ13時過ぎに等々力陸上競技場へと辿り着いた。クラブ側のおもてなしを最大限に受けた子供たちは、スタジアムツアーに参加し、選手ベンチや記者会見スペース、スポンサーシート、ピッチサイドまで歩かせてもらった。本人達はこの価値がどれだけのものか、恐らく理解は出来ていないだろう。でも子供たちのその目は、村で見た時よりもはるかにキラキラしていたのは間違いない。

選手ベンチに座り緊張気味の子供たち
インタビューゾーンで沢山のカメラを向けられる
『いつかお金持ちになってここに座れるようになる』との事。
ピッチをバックに記念写真

◼️ピッチ観戦やフラッグベアラー体験
スタンドからは『あの団体は何だ』と思われていたかもしれません。村民は初めての連続過ぎてサポーターの皆様の視界を邪魔してしまう動きもあったかもしれません。この様な機会をいただけた事は熱狂的なサポーターの皆様のご理解なくしては出来なかったと思います。深く、深く感謝しています。実際にユニフォームに袖を通した子供たちは、まるで雪国の競合サッカー少年団のようにたくましく見えました。選手と同じピッチに立てた事は一生の思い出になる事でしょう。

恐縮ですがトラックフィールドにお邪魔させていただきました
500人の村で育つ子供達が2万人の大観衆に見守られる
フィールドを歩く檜枝岐村の小学生
フラッグベアラーという大役をこなす子供たち

◼️駆け付けてくださった選手たち
試合前や試合後の僅かな時間を見計らい、選手たちが子供たちの元へと駆け付けてくださいました。選手ミーティングやボディメンテナンスなど、忙しい時間帯にも関わらず子供たちの為に出来る事を全力で対応するその姿は、フロンターレの一番の強さであり『愛されるクラブ』の由縁そのものであった。

名願選手と松長根選手
早坂選手
小林悠選手
橘田選手

◼️私達が子供たちに伝えたかった事
『諦めなければ必ず夢は叶う』この言葉を子供たちに贈ったのは橘田選手だ。その言葉がどういう事なのか、私は子供たちに身をもって体験させたかった。

こうした観戦の機会も誰かが諦めずに、熱心に『叶えたい』と願い動き続けたから実現したのである。想えば行動になるし、行動すれば形になる。それは都会も田舎も山もサッカーも関係ない。

今回、ツアーに参加した親子含め40人もの檜枝岐村の村民たちがフロンターレ後援会員となった。実に村民の1割が加入した事になる。これは控えめにいって凄い事だし、心と想いが本気で繋がらなければこんな奇跡みたいな事は起こらない。

10年前からのサポーターも、数週間前からサポーターになった子供たちも、応援し合う関係性にどっちが凄いもない。ただ純粋に誰かを応援したい。頑張れという気持ちを届けたい。きっかけや理由なんてのはそんなので十分だ。

繋がった人やクラブとの架け橋を、誰かの為に応援したいという気持ちを大切に持ち続けられるかが一番大事ではないだろうか。

これは戦う選手たちやクラブ側も子供たちの想いを胸に秘めながら、残りのシーズンを戦い抜いてほしいと願う。

川崎フロンターレさん、サポーターさん、スタッフのみんな小さな夢を叶えてくれてありがとう。

まだまだ私の挑戦は続きます。

尾瀬小屋
工藤友弘

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