澄も墨も

自然を愛おしく思った20代、家族を心の底から大切に想った30代、そしていま試練の40代…

澄も墨も

自然を愛おしく思った20代、家族を心の底から大切に想った30代、そしていま試練の40代を迎え、 恐ろしくも楽しく刺激的な毎日を送るため、心の機微を徒然したためようと思います。 まずは7日ごとに。

最近の記事

治療開始となる

再生不良性貧血と診断され8ヶ月。 今年の夏以降血液検査の数値は「重症」に分類され、その後も固定化されていった。 どうやら自然寛解は見込めなかった。 そういう現実を前に、うちの娘は淡々と事実を受け入れていく。 親である僕はどうだろう? やはりさいなやまされている。 眠れない日、鼓動がおかしい日、疲れやすく、めまいがある日などが増えた。でも、いくつかの心の整理をこのnoteにも書き残していることもあり、 どうにかこうにか精神バランスを保っている。 そして今となっては、前向きに

    • その後もするすると

      最初の診察から4カ月が経過。 今のところ入院もなく、かといって数値的にはぎりぎりのラインを行ったり来たりしている。 免疫抑制療法をやるかやらないか、先生も思案している状態が続く。 僕らも毎月1度、緊張しながら診察に赴き、 毎回判決を受けているようで何とも心が重い。 ストレスがつづいているのだ。もちろん彼女もそうだろう。 顔色不良は続いているし、疲れやすさもある。 でも楽しく日々は過ごしているしよく笑えている。 ネットで様々な闘病生活記事や、サバイバーの少年少女たちを見て、

      • 医療介入となるも、考えてもしょうがないことを知る

        最初の診断から2か月後、娘の顔色不良もあり、これはいよいよ怪しくなってきたぞと思っていた矢先、数値の低下が認められ投薬治療開始の合図になってしまった。 予想も覚悟もしていたが、実際その診断を受けるとガクッときて父親が先に倒れてしまった。なんじゃそりゃ? 小児科のベッドで横になる父親に、悲観した娘がしくしくと泣く。怖さ、親への不憫さ、どうしようもない現実に打ちひしがれて、まずったなぁ、と心底反省した。でもここはきっぱり娘を励ます。大丈夫、力の限り、君はこれまでずっと元気にや

        • 再生不良性貧血 中等症の暮らし

          あれから2カ月が経過し、親の心模様もアップダウンを繰り返した。 娘の病状は普通をベースに、生理時に貧血症状が悪化することから、 なんとかトランサミンと高たんぱくの食事と休息で適応している。 生活レベルは何も規制することなく、氷を多く食べてしまう貧血からくる作用が気になるものの、今のところ深刻な害はない。 また犬の散歩、学校での運動、コロナ禍での学校生活、友達との交流、絵画に書道、部活と忙しい日々を送っている。 親は文献が少ない再生不良性貧血の症状をネットで調べては、心を砕

        治療開始となる

          時を計測し、心の波打ち加減を測る

          最初の衝撃からいくつも答えが変わり、最終的にこの病気が判明し、深刻な部分と楽観的な部分が入り乱れ、心が不安定になっている。その時から一週間が経過した。 やはり心は強くはなっていた。自分が今まで経験した精神的不安定な事象から、何度も立ち直ったおかげでもある。そのたびに多くの人に救われたし、自分の知らなかった一面を見ては驚かされることもあるし、失望することもあった。でも全体的にはポジティブに受け止めることができていたのだろう。平穏な日々を送れていたのがその証左でもある。 この

          時を計測し、心の波打ち加減を測る

          お祈り、をする日々

          信心深さを考えてみる。このようなどだいちっぽけな人間の力でどうこうできないものには、もはや神頼みしかないのである。我が家には北の壁に置いてある神棚らしきものがあり、そこにわずかな時間があれば拝むことが習慣化しつつある。ほかにも月だとか星だとか夕日だとか朝日だとかにも手を合わせることが増えてきた。 そしてここ沖縄には病魔に襲われた人が訪れるという北部の無人寺がある。家族でそこに訪れてみた。桜の木が特徴的に植えられ、美しい植栽の中、本当にこじんまりとした社殿がある。3連休最終日

          お祈り、をする日々

          すぐに「答え」を知りたがる

          春の連休に僕らが計画していたものは、山でのキャンプ&ファイアーだった。 その3連休の週末に検査入院することになり、またそこから一転即日退院となり、目まぐるしい人生ジェットコースターに乗ることとなる。おかげで家族は右往左往して疲れ果てている。 次に来たのは前にも書いた病気を調べる、といった情報の洪水。もうこれ以上は耐えられない、というバッドエンドまで調べつくすと心の栄養がほとんどなくなっていた。夜も明け方目を覚まし、だんだんと不眠の気が出てきた。僕の人生は不眠とともになるよ

          すぐに「答え」を知りたがる

          深夜の夫婦会談の結果

          娘の病名がついた後、僕らはとにかく白血病じゃなかったことで大いに楽観してしまった。治療が開始されなかったこともあり、この新たな病気の名前「再生不良性貧血」にピンとこず、日常に戻れたことに安堵を強く抱いたのであった。 娘は長期闘病に向けて膨大に用意した本やアニメに忙しくなり、長期入院から解放されたことを仲のいい友人たちとLINEで報告していた。そうやって自分の前に去来した多くの事象を面白おかしく伝えたいという当然の欲求に逆らわず、気の向くままに一日を過ごしていた。 妻もとに

          深夜の夫婦会談の結果

          note再開!娘の闘病記編、開幕!!

          今から2年半ほど前に職場環境の変化によるストレスから、心の栄養と脳の学習を促進するためにnoteをはじめた。察しが言い方はもうお判りだと思うが、やはり今回も心のしんどさに比例して、脳内整理がうまくいっていない現状をできる限り整頓するために「書こう」と思う。 今回は一人娘の病気の発覚だ。 今からひと月ほど前、犬の散歩で家族3人で歩いていたところ、貧血で娘が意識を失うことがあった。救急車を呼び、娘の状態を確認するとすぐに意識が戻った。救急隊の到着後も体を調べてもらったが、現時点

          note再開!娘の闘病記編、開幕!!

          悩みの期間にいろいろしていたこと

          とにかく家事の充実が僕の心のペースを整えてくれた。 まずは何をしたか? 家事というと掃除・洗濯・料理などだが、とりあえず「家のこと」が家事なのであって、それにまつわることを集中して丁寧に仕上げていった。 その間に本当は仕事の知識を増やさなければならなかったのだが、ペース配分というやつもあるし、と言い聞かせてバランスを取ろうとしたのだろう。 まずは犬の散歩を妻とすることである。 不眠の気があるので、僕は早起きになりがちである。その負をプラスに変える、早起きは三文の得になる方

          悩みの期間にいろいろしていたこと

          知識・経験の蓄積が意味するもの

          あれだけ怖がっていた職場もだんだんと打ち解けてきた。 いいですね。 いいですねって、いい言葉だなぁ。 ここに来るまでどれだけ眠れぬ夜を過ごしたか。 どれだけ鼓動を打ち鳴らしたか。 どれだけ苦しい思いをしたのか。 10月の自分はよく頑張ったとほめてあげたい。 ハロウィーンですべてを洗い流した。 と思い切りたいね。 ポカもしたし、それ以上によくできたところもある。 この境地に来てわかったのは、その種の知識や経験をとにかく遮二無二蓄積すること。これがどう考えても早道である。で

          知識・経験の蓄積が意味するもの

          飛び込んだ、あとの風景

          ファーストインパクト(異動勧告)から約ふた月が経過。 新たな職場環境では緊張が緊張を呼び、パフォーマンスを落とさないことに集中し、時間の経過とともに慣れてくる自分をひたすら待ちながら、知識や経験をため込み、諸先輩方のアドバイスを金言として1日1日を送ることに徹した。 過剰な仕事のストレスから解放されるべく、 仕事以外は極力すっぱりさっぱり忘れて家庭に仕事を持ち込まないようにした。ただどうしても専門分野の知識が必要なので、そこは部分的に勉強することにしている。 異動先の課内

          飛び込んだ、あとの風景

          人と会い、人と話せば、まわりまわってきづいてみる

          金曜日はよく人と会って話した。 とても多くの人との関係が出来上がっている。いいことだ。仕事の話もプライベートの話も、多くのトピックスが僕の体を抜けていった。兆候としてはかなりいい感触である。 人間はまわりまわっていくものであるし、ポイントポイントで人は深くつながることがあるだろう。いつも深い関係は必要ではなく、迷ったり不安になったり、苦しい時に頼れる人間関係を気づいていけるかが大切なんだろうな。 とにかくトライ&エラー精神。これが弱ると心も曇ってくる。 誰しも金銭面、

          人と会い、人と話せば、まわりまわってきづいてみる

          ひと区切り

          10月の本格的な仕事以降も10日が経過した。トラブルも数多くあったが、自分の頭でよく考え仕事を前に前にと進め、どうにも進まないところは上司や同僚に教えを請い、仕事の感触を実感し始めてきた。 特に昨日は与えられた仕事、溜まっていた仕事を効率よく消化できたし、上司もそれなりに評価してくれた。その「それなりの評価」を僕は大切にすることにした。「できたことを評価する」というのは心にとって大切な滋養なのだから。 その感触や評価をたっぷり余韻に浸りながら、暮れていく夕景の中家路につく

          ひと区切り

          ストレス直下通過後の風景

          ひと月半前に現在の仕事場へ異動が突如通告されてから、一カ月の慣らし期間を経て週の半分以上は移動先での慣れぬ作業が開始された。 10月一週目を終えて、今のところはだいたいの難局を問題なく乗り越えているといった感じである。最大の問題であったストレスにさらされた抑うつ状態での仕事のパフォーマンスは、今のところ低下されることなく維持しているといえる。次の問題は「慣れ」と「新たな展開による環境の変化」だろうか。 そして抑うつから自律神経を失調し、不眠が引き起こされたが、ようやく落ち

          ストレス直下通過後の風景

          変化する前がいっちゃん怖い

          10月から新しい職場へと部分的に移る。 9月から慣らしで職場訪問するが、祝日が多いし、週一での業務レクチャーなどもあり、不安しか大きくなってこない。こういう生殺し状態は抑うつ状態が続いて大変よろしくないのだが、家族の支えがあって何とか前を向いて歩いている。これが何より大きい。 妻とは時間を見つけては互いの不慣れな職場環境でどうすればいいのか?という対話を繰り返せるし、それによって互いに自己研鑽を積めるところは積もうと励まし合ったり、いい情報を交換している。 試練を乗り越

          変化する前がいっちゃん怖い