医療介入となるも、考えてもしょうがないことを知る

最初の診断から2か月後、娘の顔色不良もあり、これはいよいよ怪しくなってきたぞと思っていた矢先、数値の低下が認められ投薬治療開始の合図になってしまった。

予想も覚悟もしていたが、実際その診断を受けるとガクッときて父親が先に倒れてしまった。なんじゃそりゃ?

小児科のベッドで横になる父親に、悲観した娘がしくしくと泣く。怖さ、親への不憫さ、どうしようもない現実に打ちひしがれて、まずったなぁ、と心底反省した。でもここはきっぱり娘を励ます。大丈夫、力の限り、君はこれまでずっと元気にやってきたじゃないか、きっと大丈夫。この1~2年しんどくても輝かしい未来がきっと待ってる。

でもショック先取りしてごめんな、っていうかあれはウケたな、お前かよってかんじだったな。。。と自分でツッコミいれると家族みんなでけらけら笑えてきた。この調子だよな。

それからは1ヶ月におよぶ入院を前に、同伴する奥さんも含めいかに快適に過ごせるかをテーマに、あれもこれも準備してみる。
まずは妻の寝床、3食ご飯、お風呂、洋服、時間を潰せるもの、ACタップ、充電、ネット環境、スリッパ等々挙げたらきりがない。
でもこの快適性が心身を少しでも良くしてくれるものに違いない。僕はそう信じているのである。

そして最終の入院前チェックで、数値は少し良くなり入院が先伸ばしになった。あれ?悲壮感漂う日々、かなり悪夢にうなされた日々であったが、先延ばしになったことでだいぶ心の重さが取れた。
診断が出て初めて心が少し軽くなった日である。
しかし近づく本格闘病に向けて、まずは親が、そして子がこれらを受け入れることができる環境を整えていかなければならない。

愛だよなぁ、最後は愛。

結局、どういう治療になろうとも、どういう治癒の経緯をたどろうとも、未来の過酷な現実に嘆いていても、なんら未来に影響もないし、無力なんだよな、ということをつくづく思い知る。
でも、心配が心配を呼び込む。この悪循環を断ち切り、何とか攻めの人生に転じたいものなんだな。
目の前のことの大ごとさに押しつぶされて、何にも見えなくなり、何にもできなくなったら終いだ。小さな光を見続けよう。彼女はきっともうその小さな光を発している、親がそれに気づかなきゃならんのだ。


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