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深夜の夫婦会談の結果

娘の病名がついた後、僕らはとにかく白血病じゃなかったことで大いに楽観してしまった。治療が開始されなかったこともあり、この新たな病気の名前「再生不良性貧血」にピンとこず、日常に戻れたことに安堵を強く抱いたのであった。

娘は長期闘病に向けて膨大に用意した本やアニメに忙しくなり、長期入院から解放されたことを仲のいい友人たちとLINEで報告していた。そうやって自分の前に去来した多くの事象を面白おかしく伝えたいという当然の欲求に逆らわず、気の向くままに一日を過ごしていた。

妻もとにかく心の底からリラックスしていた。かなり精神的に参っていた部分もあるんだろう、今は脱力しゆっくり落ち着いた日々に身をゆだねていた。かく言う私も一喜一憂しないと決めていたのに、完全に一喜していた。リラックスと病魔からの解放という興奮からギターを持ち出し、昨日車で聴いた「風になりたい」を心地よく唄い、岡崎体育の「留学生」で大いに笑い、サカナクションの「新宝島」で思いっきり踊ってしまっていた。

そう、完全に浮かれていたのである。。。

夕方、義父の元へ行き娘の病状の報告をして、あれこれと一日を畳み込んでいると一つの疑問が浮かんできた。「この新たな病気って、けっこうやばいんじゃないだろうか?」そこからあらゆるサイトで調べてみると、かなり深刻な病気であることが分かってきた。

「再生不良性貧血」とは造血幹細胞という主に血を作っている組織を、自己免疫が攻撃することで白血球、ヘモグロビン、血小板などが低形成してしまう。要するに血は造れても、うまく使えない疾患である。またこの病気に関する書籍がほとんどない。100万人に5人しかならない病気であり、闘病記もいくつか読んだがそれはそれは恐ろしいものであった。新たな不安が僕の心に宿り始めた。一憂の出番である。

元来僕は非常にビビりである。局所的に神経質なところもあるし(日常的にはあまりないw)、怖がりであるし焦燥感に際悩むことも多々ある。仕事での調整段取りのこと、集団生活でのレッテルに対しての恐怖心、小さな心に大きなプライドといったことに疲弊する部分。

一度この沼に落ちると長いのである。

僕は娘が寝室に行った後、眠そうな妻を見つめると、僕の由々しき表情を察知してくれたのか深夜会議を持ってくれた。半ば僕が情けない顔で強引にお願いしたようなものなのだけれど。

夕方から集めた情報をもとに、深刻な彼女の病状を訴え、あまり一喜一憂しないほうがいいよと伝える。どの口が言ってんねん、と自分でも思いながら。しかしここでも妻の強さが露呈する。あまりに深刻であったから、その事実から解放されて確かに安堵したけれど、あの病魔からまずは逃げられたということが重要。いざとなればまた家族は深刻な悩みの中にいるのだろうけど「大丈夫よ」と力強い。この根拠のない自信というものは、脳科学的に非常に大切であるらしい。僕はそういう彼女を戒めるどころか、核心に近いものに気づいてしまった。

いままで自分がこの家族の土台だと思って気張っていたが、何を隠そう真の土台は妻だったのだ!と心底脅かされてしまった。彼女の人間力は土壇場でいつも強かった。彼女のシックスセンス、彼女の心の平穏状態こそ我が家を強力に束ねていた根源だったのではないかと、はたと気づかされた瞬間だった。僕のような小心者はその周りでこそこそとこの束ねているもののほつれを見つけ、都度修正するような役割が似合っているのではないか?そう考えると肩の力が思いっきり抜けた。

この娘の病気がなければ日々の喧騒の中で、僕は自分が支えているだのなんだの勘違いも甚だしく調子に乗っていたのではないか?それは平時の時であって、有事の際には何の役にも立たないのである。いや、そんなことないか?しかしもうこの病気には感謝しかないのである。とはいえとはいえ、ビビりな僕は今日も日夜情報収集と、ささやかな心の塹壕を作り後方支援のありがたみを将来感じられるように腐心していくのであった。


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