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変化する前がいっちゃん怖い

10月から新しい職場へと部分的に移る。

9月から慣らしで職場訪問するが、祝日が多いし、週一での業務レクチャーなどもあり、不安しか大きくなってこない。こういう生殺し状態は抑うつ状態が続いて大変よろしくないのだが、家族の支えがあって何とか前を向いて歩いている。これが何より大きい。

妻とは時間を見つけては互いの不慣れな職場環境でどうすればいいのか?という対話を繰り返せるし、それによって互いに自己研鑽を積めるところは積もうと励まし合ったり、いい情報を交換している。

試練を乗り越える、という大きな挑戦を意識するとへばるので、それなりに落ち着くところへ落ち着くだろうという、ある種楽観的な側面も持ち合わせて事に当たろうと決めている。

また子供も子供らしくてとてもいい。多くのイベントや友達を家に連れてきたり、奇想天外な角度からの意見が突拍子もなく出たりと、そういう大人の解釈外の発想がとてもいいのだ。またモノ作りが好きな子供だから「お父さんへ、挑戦が乗り越えられるお守りを作って」といえば、折り紙を使って素敵な「魔除けステッキ」を作ってくれる。これはとてもいいもので、今は寝る前の緊張を沈めてもらうために寝床の上に貼っている。

こうして家族の信頼を何よりも大切にしているのだが、いずれ子供は巣立つし、夫婦は死別という最終形態を見据えて分かつ時が来るものである。まだ何年も先、何十年も先だと思っているが、共依存にならないように自分自身を支える心の成長も心掛けたいとも思っている。

そういう生煮えな一カ月が過ぎようとしている。

この一カ月、とても苦しい思いをした。前世で何をしたんだと思えるような苦しみの連続である。だからこそ10月に入れば「きっと大丈夫」、という心構えを新たに立ち向かっていけるはずである。

不眠、抑うつ、体重減少などを経て、段々と生活リズムを整えて取り戻しつつある。でも良くも悪くも繰り返しながら長期的に段々と自分自身を取り戻していきたい。

そうして思うのは、「この試練がとても自分にいい時間をくれた、考える時間を」ということである。一番大切にしなければならない家族を強く思い、そして頼りにし、愛をとても身近に感じられたのが美しい瞬間である。とても貴重である。満足の上にあぐらをかいていたなぁ、と反省しているのである。これだけでも気づかさせてくれてとてもよかった。

変化する前のモラトリアムがいっちゃん怖い。

でも僕はできる限りのことをして立ち向かった。そしてまだ手はある。 「もっともっと人を頼って、自分の弱さについて話して、ヒントをもらえるようにしよう」ということである。いろんな人からいろんな助言を得て、自分が作られここにいるのである。

そして何回も思う。僕は今までも、ずっとひどい状況でもなんとか乗り越えてきた。「きっと大丈夫」と「きっと何らかのヒント、救いはある」という2つを手掛かりに、冒険に出るしかない。

よろしく、10月からの自分。

ようこそ、9月までの自分。

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