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コバルトブルー・リフレクション📷第六章 君が見えない

第六章 君が見えない

「すみません。まだお辛い時に……。」
 私と葵は彼女さんと約束した場所へ行き、話を伺う。彼が好みそうな純喫茶だった。
「いいえ、私も彼とよく来た此処に来たくて。……でも、彼がいなくなってから……独りで来る勇気もなくて。」
 と、彼女は話す。大人しめで……でもしっかりした口調の、優しそうに笑う人。穏やかと言う言葉が似合う、派手ではないのにふんわりとした印象の人だ。彼が溺愛していたのも分かる気がする。彼を支え、彼はいつもそれに感謝し、書いていた。彼はこんな記述を残している。……彼女がいなければ、涙で書けない。彼女がいるから今、笑顔で書ける……。
「彼氏さんの本……まだ勿体無くて、少しずつですが読ませてもらっています。」
 私がそう言うと、仄かに彼女の顔が晴れ、
「そうですか……。あの人……きっと喜んでくれています。有難う御座います!」
 と、深々と一礼する。
「いえ、そんなっ。あ、あの頭を上げて下さい。私はただ、楽しませて貰っているだけで……。」
 と、あまりに頭を上げてくれないものだから、私は慌ててそう言った。
「……そう、ですよね。……すみません。……それでもあの人、ちょっと変わっていますから。読んでいたら分かるでしょう?あの人……自分の物語を愛して、それを愛してくれた人を愛するんです。だからあの人の物語の周りは愛ばっかり。私だって嫉妬したぐらい。だから一番の恋人ではなく、あの人の物語のファンでなくては愛されない。……支えるって何なんでしょうね……あの人は出来ていると言ってくれたけれど、私は彼を支えていたのか、彼の物語を支えていたのか……未だに分かりません。」
 と、目の前に出された珈琲を、遥か遠くを見詰め言うのだ。
「――トンッ」
 小さな音がした。何か……固いものをテーブルに置いた様な……。そうだ……これはきっと……。私は気付いてしまった。彼の物語の主人公の探偵がシルクハットを置いたのだ。この事件を解決しに……。
「……彼……本当はまだ生きたかったのだと思います。二月に出した公募の原稿の行方……ご存知ですか?」
 と、私は彼女に聞いた。
「それが一緒に近くのポストには確かに出したんです。けれど、何も音沙汰が無くて。……なにせ、超大作でしたから、私も彼も必死で構成し直したり、一本の原稿にして読み直すのに暫く寝ずの番をしていたようなものです。彼はその間にも、まだ本編の続きを書いていました。……今思えば、しんどい思いでしたが、それも彼と夢を見られた大事な時間でした。……彼は最初今、書いているだけで時間が無いと、応募を諦めていたんです。それが急に、たまには夢を見てもいいか……なんて、覚悟を決めて言い出して……。でも、何の音沙汰もないのだからと落ち込んでいました。彼……選考にも引っ掛からなかった事なんて今まで無かったんです。自信喪失したのも無理はありません。あの人……人一倍、傷付き易い人でしたから。」
 と、彼女はやっと珈琲を一口飲んだ。
「まさか、それで自殺したと貴方も思っているのですか?」
 と、葵はまさかと身を乗り出して聞いた。
「違うのですか?……彼にとって、物語は命です。文章は脈です。」
 と、彼女はそれが理由ならば当然だったと、そんな風に喩える。
「違いますよ。彼はまだ走っている。……彼の物語の探偵がまだ走っているんです!」
 と、葵が言うのだ。
「えっ?それは……どう言う事?」
 と、私は葵に聞いた。
「完結していないんですよっ!二月の公募で一度完結した様に見せ掛け、まだ止める事の出来なかった想いが筆を握らせ、その続きをネット公開しているんです。だから、一瞬終わったように見える……が、それからシーズンを変え新たな形で書き始めていたんです。紫先輩には先を言うなと言われましたが、彼はファンに公募の話なんてしていませんね?絶対に夢を壊すから、夢が叶ってから伝える人だ。同じマンションの五階の住人が先日、彼と似た自殺を遂げました。五階の住人が二月の公募作品を持っていた。……彼の物語のファンではないのに。五階の住人と彼の間に、トラブルはありませんでしたか?因みに……今更かも知れませんが、お二人のその夢……最終選考まで残っていました。……彼を信じて上げて下さい。……彼は、物語を誰よりも愛したからこそ、決して物語では死なない。」
 と、葵は熱の籠った話し方をする。
「……葵?……あの、もしかして……。」
 私は思わず聞かずにはいられなかった。
「ええ!すっかり僕もあの物語にやられましたよ!……でも、彼にはその脳があったんです。彼はもしかして……ADHD(発達障害)ですね。しかも、文章力に恐ろしく長けた。……ただし、他の事は人よりも苦手な事が多い……そうですね?」
 と、葵は言った。
「ええ……。表には出しませんでしたが……。彼、先天性の珍しい脳奇形で、何時死んでもおかしくはないし、寿命まで生きる人もいる……だから、他の人と同じだって笑っていました。ADHDはそれについてまわるもので、彼の場合は半分が人並みより……グラフを振り切る程出来るし、半分は人並みより全く出来ないんです。だから薬の管理も独りで出来なくて……。なのに謎解きや咄嗟の判断力は早くて……集中力は注意しないと世が明けても続いて、倒れるまで熱中するから大変でした。」
 と、彼女は彼を想い出しているのか、朗らかな笑みで話した。
「……因みに……例えば、彼の作品を身近な人が盗作したら、彼はどうしたと思いまか?」
 と、葵が聞いた。
「……盗作ですか……。彼はそう言った響きすら嫌いますが、もし巻き込まれても、彼は法的手段に出たでしょうね。法律関係の事を調べるのも好きでしたから。……それに、知り合いでも突然尋ねて怒鳴れる程勇気のある人では無いです。何事も、穏便に平和解決させたがる人でしたから。……そうだ、多分……丁寧にお手紙でも書いたでしょうね。……けれど、その方……本当に彼と知り合いなのでしょうか?」
 と、彼女は不思議そうに私達に聞いてくる。
「え?……知り合いでは無かったと?……同じマンションで同じ亡くなり方ですが……。」
 と、私はまさかと思って聞いた。
「彼……半分、人並み以下に出来ないんですよ?……だから、今日会った人、何をして何を話したかまで、少し目を離しても戻ると必ず言うんです。基本的に、私がいないと外出も嫌がる程変わっていますから。固有名詞を覚えるのが苦手で、他人に興味が持てなくて、顔と名前が一致しないんですよ。それで、失礼があったらいけないからと、特に人と会う時は私を同行させていました。同じマンションなら……顔ぐらいは合わせて、挨拶はしてもあの人なら多分……20回挨拶しても、長い会話でもしない限り、覚えられませんよ。」
 と、彼女は言うのだ。
「えっ?二十回でも?」
 と、葵はびっくりして聴き直す。
「ええ、二十回で覚えても、また暫く会って会話しなくなったらまた忘れます。彼は慣れたのか気にしないようにしていましたけど。時々、気付いて生き辛さは感じていたみたいです。……ああ、彼の話をしていたらまだ直ぐ近くにいる気がするのに……。あの……珈琲……もう一杯だけ頼んでも良いですか。……彼の為に……。」
 そう言うと彼女は彼の思い出から、ふと現実に戻ったのか長い睫毛を少し下ろし、そう言った。
「ええ、構いませんよ。」
 私は彼女に優しく微笑み、そう言った。不思議な空間だった。三人とも同じ彼と物語の事を考えて想っている。彼が死んだと言うのに、寒寒しくもなく、何故かその一つの会話をするのが温かい。私には分かっている事がある。彼は……悲しみさえ、残す者が人に当てられるものならば温かくしてしまう。明日死ぬかもしれない……だから、誰よりも今を温めるのだと。温かい珈琲が来ると彼女は、
「お疲れ様の粗目と……胃腸の為にポーション一つ。……はい、どうぞ……。」
 と、微笑んで……あの小さな音がした、彼女の隣の席に丁寧に置いた。
 ……有難う……。
 ふと、彼の声か、それとも彼の書いた物語の主人公の声か、そう聞こえた気がした。
「……良かった……良かった……。」
 えっ……?!……何故か隣でこの感動的な一瞬に葵がそう言って号泣している。
「ちょっ、ちょっと何なのよアンタ!刑事が泣いてどうすんのっ!……あっ、……えっとすみませんね、なんか……。」
 と、葵をどついて私は彼女に謝る。
「……良いんです、これで。彼なら……その方が良いって言います。」
 そう言って、彼女は少しだけ微笑んでくれた。温かい二人……。この二人でなければ、きっとあの物語は生まれ無かったのだろうと確信すると共に、玉砕された気もする。嗚呼……泣きたいのは私もだ。
 それにしても彼と五階の住人……物書きである事、一方は本気でも伸び悩み、一方は趣味から少し本気に戻ろうとしていた。僻みだったとしても殺すまでの理由にはならない。
 じゃあ五階の住人が更に追い討ちを掛けて20回声を掛けたが覚えてもらえ無かったとすれば、多少は腹が立つ。何だ、上から目線でってやつだ。彼が無意識だったとしても、病気を知らずに反感を受けて殺されたならば、不運としか良いようにない。彼が死んだ時の事をはっきり覚えていないのは不運だったからなのか?ならば五階の住人は誰に殺されたと言うのだろう。まさか……目の前の彼女が?と、思ってしまう。……でも、待て。だからか。普通はまだ辛いと事情聴取を断っても良かった。でも、断らなかったのは疑われたくないと言う心理があるから。それが普通なのだ。だから彼女も当然同じであると思っていたが、半年……。微かに笑えるようになった半年……。刑事の前で偶然この短時間に……微笑んだ。彼を失って悲しいのは本当のようだ。視線、仕草にも彼の話をする時、慈しみを感じる。……だが、一点だけが気に掛かっている。葵が言った物語の続きに付いて……何故、詳しく聞きたがらなかったのか?……もしかして……その元の原稿を彼女が所持しているのではないか。
「……あの、彼は何時もどんな風に物語を書いていたのでしょう?」
 と、私は彼女に聴いてみた。
「パソコンか、スマートフォンです。同期させて何時でも書けるようにと。充電が切れたり、どうしようもない時だけ原稿用紙やノートを外で慌てて買って書いていました。」
 と、彼女は答える。幽霊になっても、部屋でそうしていたように、パソコンやスマホが無ければ何にでも書いたのだ。
「先程、物語に嫉妬したって言われましたよね?……貴方は、彼の物語……好きでしたか?」
 と、私は聞きたかった事を、遠回しにでは無く率直に聞いた。彼の唯一の遺書めいたあの文を読んだ時、私はこう思った。彼女は誰よりも一番の彼の物語のファンでいなくてはいけないと言う重圧が辛かった。それに気付いたから、彼は筆を置こうとした。……ならば、もう一本の糸が見える。
「……好き……だったと思います。……でも、彼の方を大事に思いたかったので、彼には読まなくなるけれど変わらず応援していますとだけ言いました。だから、まだ……その、二月の公募に出した以降の物語は実はさっき聞くまで知りませんでした。」
 と、彼女は答える。 二月の公募の原稿を二人で作業したならば、その間に寝る間も惜しんで書いたのが、その公募以降の続きとなる。死んだ者は書けないのだから。彼女が知らない訳は無いのだ。何処に上げたかぐらいも知らないのは不自然過ぎる。それこそ、二人共寝る間も惜しんで交代に作業していたのに、だ。彼女は今……時差を間違えて答えている事に気付いていない。……確実に彼女は、パソコンかスマホの元データを持っている。……何の為に?……理由は一つだけ。彼の物語を止めない為に。そして、それは一体何処にあっただろうか?二月の公募原稿があったならば、五階の住人は同時期に既に仕上がっていたその続きの存在を知ったら、欲しがって当然だ。どうやって盗んだかなんて、単純な理由だ。
「では、最後にこれだけ……。彼は貴方からそう言われてから、頻繁に外出をしませんでしたか?」
 と、私は珈琲を飲みながら聞いた。
「……ええ、でも直ぐに帰って来ましたから、そんなに気にも止めませんでしたが……。次の物語を考えに、少し散歩するって。」
 と、彼女は答える。……散歩ねぇ……缶詰めになっても書きそうな人が……。しかも二月の公募の原稿作りに忙しいのに。彼はきっと五階の住人のパソコンを借りたのだ。彼女に気を負わせない為に。そしてそのパソコンからスマホに同期してデータを送る。彼がアップしたのはスマホから。だから彼女は始め気付かなかった。……その、二月の公募原稿の続きの存在を。しかし、彼が亡くなり遺品の中のスマホに続きがあった事を知る。しかし、元のデータが見当たらない。だから彼女は躍起になって探した筈だ。愛しい彼の最後の作品ならば……尚更。しかし、今……データは無事見つかり彼女の手にある。だからこそ、微笑む事が出来た。
 天使の微笑みは……その時、私の推測の中……悪魔の微笑みに変わって行った。
「……ああ、もうこんなお時間ですね。……色々とお聞かせいただいて有難う御座いました。もし、五階の住人の件と何かありましたら、こちらからまたご連絡させて頂くと思いますが、その時はすみませんが、また宜しくお願いします。」
 と、私は葵をせっついて出るよと伝える。
「あっ、あの……彼、彼が……っ!」
 と、葵は名残惜しそうにそう言っているが、葵の言いたい事は私にも分かった。彼女の横で珈琲を幸せそうに飲む彼が、彼女の横の席に見えたから。彼は私の考えにきっと気付いた。だからこそ、彼女の側に出来るだけいてやりたいのだ。

 ……だから……それはつまり……この私が、いつか彼女を逮捕するのも覚悟の上で……あの一杯の珈琲を幸せそうに味わっているのだ。今ある時間を……死んでもなお、大切にしようと。だからこれ以上の邪魔は無用なのだ。

今回はいつも通りの約五万文字だけれど、一頁大体4.5千で切ってあるんだ。そろそろ中間地点。
良かったら一緒に食べて休憩する?🎩
珈琲クロワッサン🥐と、珈琲の間違いないセットですよ^ ^

🔸次の↓コバルトブルー・リフレクション 第七章へ↓(此処からお急ぎ引っ越しの為、校正後日ゆっくりにつき、⚠️誤字脱字オンパレード注意報発令中ですが、この著者読み返さないで筆走らす癖が御座います。気の所為だと思って、面白い間違いなら笑って過ぎて下さい。皆んなそうします。そう言う微笑ましさで出来ている物語で御座います^ ^)

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お賽銭箱と言う名の実は骸骨の手が出てくるびっくり箱。 著者の執筆の酒代か当てになる。若しくは珈琲代。 なんてなぁ〜要らないよ。大事なお金なんだ。自分の為に投資しなね。 今を良くする為、未来を良くする為に…てな。 如何してもなら、薔薇買って写メって皆で癒されるかな。