縞瑪瑙(しまめのう)の双龍〜オニキスの番龍〜🐉🦋🐉第三章 甲冑
3甲冑
長い長いキスの後、私はふらふらと脱力して立っているのもやっとで……君は気を遣って、私をその場に座らせてくれた。
君もその横に座り、寄り添って肩を借り合う。
愛しさに少しだけ、頭も合わせて。
「……ねぇ……私、ファーストキスだったのに。甲冑の前って、何の冗談?」
私は霊雅の床についた手の指先を握って、そう云う。
「知ってましたよ。他の誰かに渡したくなかったので。甲冑は想定外でしたけど。今、思うと剣士の櫻さんらしい。」
裏切り刀の奧の甲冑も朱色で、此方を見据えてはいるが、もっと遠くを見ているやうだ。
「……この甲冑はまだ生きてるのね。」
私はジーッと甲冑を見詰めながら行った。
返り血を沢山浴びたであろう、朱色の甲冑にもまだ殺された者の恐怖、怒り、無念が呼吸している。
「……其方も片付けなければなりません。明日の予定です。」
と、霊雅が云うのだ。
「明日?!冗談じゃないわっ!まだ今日の事だって……。」
……今日、死に掛けだったじゃない!
あんなに弱っていたのに。
そのくらい……何で分からないのよ!……
私は憤りを感じたけれど、慌てて来た時の事を思い出していた。
龍にしか、分からない事があるんだと。
私が言えば……誰かに伝えれば、分かってもらえるだろうか。
「私……ちょっと、行って来ます!」
私は霊雅をその場に置いて、走り出す。
広過ぎる寺……誰が明日の祈祷を仕切るかも分からないのに、気が付いたら霊雅の為に、何か出来ないかと走っている。
廊下で一人の祈祷師と軽くぶつかった。
磨き上げられた廊下に足袋で走っていたから、急に止まれなくて……。
「あっ、あのすみませんっ!明日の祈祷、見送りになりませんか?誰が取り仕切るんです?教えてもらえませんか。」
私は申し訳ない序でに、その人も祈祷師なら知っている筈と、聞いてみた。
「良かった。此方も探していたのですよ、白龍様。」
「……えっ?」
……白龍様?……急に人として見られなくなったような、少し悲しい響きだった。
……霊雅もそうなのかなぁ……。
何時も「櫻さん」と呼んでくれていた。
……思ったより、景色も良くて綺麗だけれど、此処の人は冷たい……。
「もう、遅いですから。皆、心配して。お祖父様を及びするまで、少し待っていて貰っても宜しいでしょうか?」
と、その祈祷師は聞いて来た。
「……あ、もしかして探していましたか?……すみません、ご迷惑をお掛けして。」
私がぺこりとお辞儀すると、立場上宜しくないのか、祈祷師は慌て始める。
「……あのっ、もっと威厳を持っていただかないと、生き神様そのものなのですから。」
と、祈祷師は早く頭を上げる様にと言うのだ。
……何だか、面倒な人……。
「その、明日の祈祷云々のお話しは、これからご案内する先でゆっくりお伺い致しますので、取り敢えず皆、心配しております。此方へ……。」
と、その祈祷師は案内する。
言われるがままについて行くしかなさそうだ。
「……此処は?」
通された部屋には美しい着物が衣紋掛けに掛かって、風に揺蕩う。一人の着物姿の私と同じ年頃の女が、私を見て正座すると、三つ指を立てて深々とお辞儀する。
丸い窓から月明かりが差して綺麗なのに、菖蒲を模った黒い鉄の水模様が、少し邪魔に見えた。
誰も何も言わない。
「……あの、此方で待っていれば……。」
私が振り返った時だ、
「申し訳ありません!」
そう、目も合わせずに先程の祈祷師が言うと、扉を閉める。
外でガチャガチャ音がした。
「えっ?!どう云う事ですか!祖父は?!」
聞いても返事などありはしない。
私は……閉じ込められてしまった様だ。
そんなに、じゃじゃ馬に見えたのだろうか?
「……貴女は?」
私は、奥にいた女に声を書けた。
「わっ、私は竜胆(りんどう)です。白龍様の世話係に御座います。宜しくお願い致します。」
と、竜胆はまた深々とお辞儀をした。
「竜胆……。」
「はい……。」
名前を何となく言うと顔を上げてくれた。
「貴女も花の名前なのね。宜しくお願いします。」
と、私はまたつい癖でぺこりと頭を下げたが、
「あの、私は世話係ですので、敬語や礼は入りません。」
逆に気分を害してしまった様だ。
……何だか……気不味い。
「あの、……竜胆。私は何故閉じ込められているのかなぁ?明日の祈祷を止めねばならないし、祖父は?」
と、今尋ねたい事を全部聞いた。
「数百年前の書が出てきたのです。女人の白龍様の。黒龍様と恋に落ちた白龍様は、お二人で此方に仲睦まじく暮らしていたそうなのですが、黒龍様不在の際に反術師の手により、白龍様が亡くなられたのです。その後、黒龍様はお怒りになり、雷や豪雨……凡ゆる天災にて、この近辺の者を苦しめ続けたと、記述が残されていまして。……それで、話し合いの結果この通りに御座います。
祈祷に関しては、予定が詰まっておりますし、待ちもある程。この寺の維持も給仕もそれで生活しているやうなもの。そう簡単には変えられません。
お祖父様には他の者がよくよく説明し、今日は送ったようですのでご安心下さい。」
竜胆は、一つ一つ丁寧に説明してくれたが……。
「……それで、此処に昔からいた気がしていたのかしらん?」
と、私は菖蒲と水の鉄飾りの合間から、外を眺め呟いた。
「……不思議ですね。昔の記憶なのかも知れませぬよ。それより、白龍様……もう遅いですから、着替えになってゆっくりお休み下さい。明日の祈祷が心配でしたら、何かあれば白龍様にもお声が掛かる筈。」
と、竜胆は云うと私を安堵させようとしているのか、微笑む。
「……櫻で良い。……人じゃ無くなってしまったやうで……怖い……。」
月を眺め、この部屋にいた事も……少しずつ思い出そうとし始めた己が怖くなった。
何も知らない方が、幸せって事も……きっとある。
「……それでは櫻様と二人の時だけは。この部屋以外では、叱られます故。」
と、竜胆は云う。
「……我儘を言ってごめんね。着替えぐらい一人で出来るわ。後ろを向いていてくれる?鏡は……?」
聞くと竜胆は綺麗な塗りの姿見を開き、私の前に置き、並べられた着物を横に置き、部屋の隅へ行くと角を見詰める。
「……ちょっと……派手じなない?」
私は着物を広げ思わず云った。
白地の裾に金糸の刺繍や花の染めが、これでもかと云う程絢爛豪華に散りばめられている。
帯は朱色に金糸の蝶。
「此れで寝るの?」
私は呆れて竜胆に聞いた。
「はい、何時黒龍様に緊急のご祈祷が入るか分かりませぬから。」
竜胆がそう答えたので、それならばと思ったが、
「……やはり、斬るには袴が良い……。」
と、思わず云ったのも仕方あるまい。
どうも、足払いが悪くて困る。
「まぁ……お美しい。」
竜胆に着替えたと伝えるとそう云ったが、私は似合わない気がしていた。
私には何時もの稽古着で充分……。
廊下から誰が来る気配を感じた。
剣を取り、廊下側にザッと振り向くと、竜胆も緊張しているのか、部屋の端から身動き一つ出来ずに、小さく震えている。
「他の者には連絡手段は?!」
私は、竜胆を起こすやうに、態と大声で云った。
「御座いません。朝になれば誰か来る手筈でしたので。」
と、竜胆は答えるのだ。
……何て事だ。此れでは竜胆まで巻き込んでしまう。
……ガシャ……ガシャガシャと、何かが擦れる音がする。
竜胆には聞こえていないが、私にははっきりと聞こえる。
「……竜胆、押し入れに隠れて。けして出てはならない。夜明けまで。……良いね。」
私は龍の剣を抜き、足捌きが良くなるやうに着物の合わせをずらす。
「……櫻様っ!」
竜胆は不安そうに私を見る。
「……大丈夫……。」
私は何の確証も無く微笑んだ。
霊雅が居なければ……何も見えはしないのに。
揺れる藤の華は……こんな時でさえ、君の声を探している……。
竜胆……本当は、不安なのは私の方……其れでもね、この剣が鳴く限り……私は自分の運命からは……逃げないと決めたの。
……守るものが無くとも……君にまた会う朝が来るまで……
……生き残ってみせるっ!
ガシャガシャ……ガシャガシャン!ガシャンガシャン!
閉ざされた筈の扉が、ガクガクと鎧の軋む音と重なり揺れている。カキーンッ、バキバキと鋼鉄を剥がす音がする。
……よしっ!扉の鍵が破られた!
竜胆だけでも逃がせるかも知れない。
ギリギリと歪んだ扉を開けて、鎧がゆっくりと異様にかくつきながら入ってくる。
顔も……手も無い。
次の刹那、私が構えた龍の剣先に突っ込んでくる。
私は取られまいと両手に力を込めた。
凄まじい勢いで何かが、この剣先を握り引っ張っているやうだ。
血にも似た黒い液体が、白銀の剣から鍔へ滑り落ちてくる。
……そうか、この剣でお前の剣の魂を奪ったから……取り返しに来たのか。
甲冑から丁度、見えないが手の辺りからその黒い液体は流れ出している。
素手で奪い取ろうとしているのだ。
痛覚は最早ないのかも知れないが、その底知れぬ執着に、たじろきたくもなる。
けれど、引いてはいけない。……それが、隙になる。
お母様の教えを思い出し、足に力を込めてけして離しやしないと思った。
離したら最後……剣を奪われ、勝ち目を失う。
この魂は……くれてやらない。
強い突風が、部屋中の物を彼方此方に吹き飛ばす。
押し入れに視線を配ると、襖が拉(ひしゃ)げて竜胆の足袋が見えているではないか。
私はギリギリと刀を力いっぱい押し込んで行く。
肉塊のやうなものに斬り込んで行くやうな不気味な感触がする。
其れを通過し、剣が軽くなった瞬間に、私は甲冑の胴を薙ぎ倒し、叫んだ。
「竜胆――っ!今だ、逃げてっ!」
甲冑がその叫びに扉方向を向いた。
私は足袋を滑らせ、扉前に立ちはだかる。
竜胆が通るまでは……。
甲冑の首辺りを狙い、真横下から上に剣を上げたが、何かを切り落とした感触はあるのに、やはり効いていない。
霊雅が具現化してくれなければ、邪と闘うなどまだ早かったのかも知れない。
竜胆が小走りで私の背に隠れた。
「霊雅を……。」
私は、気付けば君の名を呼んでいる。
他の誰でも無い……君でなければ……。
一陣の風は鎌鼬に変わり、身体を刻んで行く。
腕に深い太刀でも刻まれたかのやうな傷が、入った。
竜胆は、
「白龍様っ!!」
と、絶叫にも似た声を放つ。
「……櫻……だよ。行け!」
私はそう云って、甲冑目掛けて声を荒げた。
「破ぁああ――――――――!!」
……一体……私は何と闘っているのですか?
……真っ白な世界は……夢の中……でしょうか。
私の身体はぐにゃりと曲がり部屋が狭く感じる。
身体を見下ろすと、虹色に輝く白い鱗が見えた。
剣を探しても……見当たらない。
小さく見える甲冑を、その大きな牙で噛み砕こうとした。
――――――――――
「……櫻っ!……櫻ぁああ――っ!!」
霊雅が竜胆から話を聞き、慌てて部屋へ向かう。
目の前に広がる光景の悲惨さに霊雅は、オニキスの数珠を強く握り締める。
龍の剣は……白龍に成った。櫻の魂と共に、甲冑を喰らい尽くそうとしている。
その姿を現したならば……深傷を負ったに違いないのだ。
あの美しい白銀の鱗が、甲冑を喰らい剥がれ落ちてきている。
「今、祈祷する!戻るんだ、櫻っ!」
そう霊雅は叫び、邪気を具現化する為に経を読む。
……甲冑を砕いても……呑み込もうとしても……
身体も、体内さえも鎌鼬に刻まれ、身動きが取れない……。
……君の……声が……するのに……。
蝕まれていく邪気に……。
戻らなきゃ……。君のいる場所へ……。
身体中が痛い……。
帰りたい……早く……君に……帰りたい……。
剥がれた白龍の鱗から邪気を帯びた、漆黒の鱗が再生されて行く。
……何方が先だ?!
霊雅は、其れを止めるか邪気を具現化するか見定めながらも、必死で経を唱える。
鎌鼬が霊雅をも襲ってきたが、此処で止めてしまえば危険過ぎる。
術を破られるどころか、その倍の鎌鼬が襲ってくるかも知れない。
其れは、櫻をも巻き添えにするだろう。
あの甲冑の邪気ごと白龍が喰らえば……まだ勝機はある。
しかし……。
霊雅は白龍が踠き乍らも甲冑を加えるその姿を見届け続けた。
あの日の染井吉野が散るやうに、吹き荒ぶ風は白龍の鱗を光らせ舞い上がらせた。
……どんな姿になっても、あの日の君は変わらない……。
やっと、術が効いてきた。
櫻の目からも、暗雲の塊から幾重もの死前喘鳴(デスラトル)が聞こえ見える。
甲冑は重みを増し、具現化していると感じた。
耳からは霊雅の温かな経の声が響いてくる。
剣も使えないならば……この声に応えたいから……。
白龍は一気に甲冑を呑み込むと、大きな唸り声を轟かせた。
霊雅の耳にも、その痛みに耐えた悲鳴が届き、思わず目を閉じる。
……代われるものならば……良かったのに。
それでも悲しむ暇などない。
集中しなければ、経を読み誤る。
結界も張る隙も無く、霊雅は鎌鼬と風に背を壁に打ち付けられたが、それでも経を唱えるのを辞めなかった。
白龍が邪気を喰らい尽くすまで……。
君を治すのは……僕しかいない……。
そう、心に誓い。
荒れ狂う白龍は我を見失い掛けても、邪気を追う。
まさに、櫻の龍の剣のやうに。
その魂は、邪気を逃しはしない。屠るまで荒ぶるのだ。
櫻の視界は真っ白で……お母様と剣術をしたあの日も、二人を失ったあの日も……霊雅の声に真っ白な景色に溶け込んでゆくのだ。
🔸次の↓「縞瑪瑙(しまめのう)の双龍〜オニキスの番龍〜」 第四章へ↓
(お急ぎ引っ越し中の為、校正後日ゆっくりにつき、⚠️誤字脱字オンパレード注意報発令中ですが、この著者読み返さないで筆走らす癖が御座います。気の所為だと思って、面白い間違いなら笑って過ぎて下さい。皆んなそうします。そう言う微笑ましさで出来ている物語で御座います^ ^)
お賽銭箱と言う名の実は骸骨の手が出てくるびっくり箱。 著者の執筆の酒代か当てになる。若しくは珈琲代。 なんてなぁ〜要らないよ。大事なお金なんだ。自分の為に投資しなね。 今を良くする為、未来を良くする為に…てな。 如何してもなら、薔薇買って写メって皆で癒されるかな。