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世界が平和でありますように。 (多忙のため更新激遅) https://otukisama-kirari.com/

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愛について考える

求める愛、与える愛、条件付きの愛、無償の愛。この世には様々な愛の形が存在しているが、その多くは自己愛との戦いでもあるのではないだろうか。 古代ギリシアでは愛は四つの概念で考えられていた。 エロス(eros) 男女の恋愛 フィリア(philia) 友人との友愛 ストルゲー(storge) 親子や兄弟との家族愛 アガペー(agape) 神の無限なる無償の愛 エロスは由来である恋愛の女神エロースから、一般的には男女の間の愛をさすが、プラトン哲学においてそれは神やイデア界といっ

    • 2月から小説の制作のためなかなかブログまで手が回らずにいました。 たまたま数年前の記事を見返してみて、あまりにも口調が硬かったので、今回はそこを意識しながら読みやすくなるように工夫してみました。

      • 女だけど金髪ベリーショートにした話

        今年の1月に美容室に行ったときに、思い切って初めてベリーショートにしました。 今までも髪は短いほうではあったけれど、縮毛矯正をかけていたためある程度の長さはありました。しかし、毛の長さが2㎝程度かあるいは刈り上げまでしたのはこれが初めてです。 ここまで短くした一番の理由は、まず縮毛矯正を辞めたいからでした。 初めてショートカットにした中学生の頃から10年以上縮毛矯正に依存し続け、「私の髪はくせ毛だから、毛量が多いから」と3ヶ月に一回20000円弱払って髪を真っ直ぐに直してき

        • だから私は、小説が書きたい

          そういえば、マンガってバッドエンド作品はあまり見かけないよな。 というのが、ここ一年で20万円近くWebマンガに費やした私の感想である。数年前までの私は、自分がマンガにここまでお金を使う人間になろうとは思わなかった。 元々は小説だけが好きだったのだが、文章を読むのは案外疲れるものらしい。アニメも昔はよく観ていたが、ぼんやりしているとストーリーが勝手に進んでいってしまうところとか、音がうるさいと感じるようになったりして自然と疎遠になってしまった。その点マンガは、絵と文字の両方

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        愛について考える

        • 2月から小説の制作のためなかなかブログまで手が回らずにいました。 たまたま数年前の記事を見返してみて、あまりにも口調が硬かったので、今回はそこを意識しながら読みやすくなるように工夫してみました。

        • 女だけど金髪ベリーショートにした話

        • だから私は、小説が書きたい

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          この一年は、新たに開設したブログhttps://otukisama-kirari.com/ で投稿を続けていたのですが、今年からまたnoteでも時々投稿していきたいなと思います。

          この一年は、新たに開設したブログhttps://otukisama-kirari.com/ で投稿を続けていたのですが、今年からまたnoteでも時々投稿していきたいなと思います。

          ただ生きるのがつらい

          都会での生活にも限界がきて、私はこれまでの全てをそこに置いたまま田舎へ帰ることになった。 17歳の冬から、6年という歳月を過ごした東京と横浜。アパートを引き払い田舎へ戻る車中から眺める夜の都心は、今も昔も変わらずキラキラと星のように輝いていた。 田舎者の私が都会に出たいと思ったのは、端的に言えば「幸せになりたい」という想いが強かったからだ。 都会は、富・名誉・性愛などの欲望が渦巻く場所である。私は、それらの欲望そのものに関心があったわけではなく、それらの欲に従って生きる人

          ただ生きるのがつらい

          個人のブログサイトを開設しました

          2019年12月25日からnoteを利用してきましたが、2023年4月よりレンタルサーバーを利用した個人のブログサイトにて投稿を続けることになりました。 今後は全ての投稿を新しいブログ内で行いますが、とりあえずは定期的にnote内での記事更新のお知らせもしていきたいと思います。 まだまだ使い慣れておらず、目次が二重に表示される等色々と問題はありますが、少しずつ慣らしながら読んでいて面白いと思える記事を投稿していきたいと思います。よろしくお願いします。

          個人のブログサイトを開設しました

          目上の人に気に入られるデメリット,etc.

          職場で目上の人に気に入られてしまい、結果人間関係で揉めて仕事にも影響が出てしまったため、今回の事のあらましをまとめると共に、目上の人に好かれるデメリットと対処法について考えてみる。 ・何が起こったか まず前提として、私は運送会社のある営業所で働いている(自分の所属先を営業所Aとする)。現在は閑散期で、会社全体の請け負う仕事量が減っているため、週末はいくつかの営業所から仕事と人員を集めて合同で仕事を行う必要がある(合同で仕事をする際の集約先を営業所Bとする)。そのため、営業

          目上の人に気に入られるデメリット,etc.

          幸せを考える

          今まで何度か似たようなことを書いてきた気がするが、自分の気持ちの整理のために、雑文として私の考える幸せについてまとめてみる。 幸せとは、心が満ち足りており、不満のない状態のことをいう。 世の中には色々な幸せの形がある。他人から愛されたり、認められること。自分の好きなものに打ち込めたり、自分の能力を活かせること。たまたま道端でキレイな花を見つけたとか、運のいいことがあったなど、小さくてささいなことも幸せに繋がったりもする。 私にとっての幸せとは、「世界平和」そのものである

          幸せを考える

          創作者としての悩みと気持ちのあり方を考える

          産みの苦しみ。私も、一創作者として悩みや葛藤を抱えている。今回は私自身の経験を元に創作者の気持ちのあり方を考えてみる。 ・承認欲求と自尊心 創作者には二種類いると私は思っている。一つは、読者(観者)のニーズに応える者。もう一つは、自身の内側の声、内なる神の声に応える者である。 私は、自分は後者であると思っている。自分の中に理想や究極の目標があって、その抽象的な存在にいかにして形を与えるかが使命であり、創作意欲の原点となっている。 私自身がどういう人間であるか、どういう人

          創作者としての悩みと気持ちのあり方を考える

          人間関係の安定は諦めよう

          人と関わる、人の中で生きるのは辛いものがある。 人の温もりはこの世で最も暖かく、人との触れ合いが育む幸せは人生で一番眩しく尊い存在だろう。 しかし人生で最も大きな悩みも、苦しみも、その元を辿れば、それは全て人間関係からくるものに違いない。 お金、仕事、自分自身の目標。生きるとはそれらをこなす作業であるが、しかしそれだけを見つめていても、人生は回らない。人生とは、出会う人全てを含めて自分の世界を構成していくということなのだから。 他人と仲良くできる日もあれば、できない日もある

          人間関係の安定は諦めよう

          メンクリ、再び

          メンタルクリニックに再びお世話になることになった。治療目的での通院は5年以上振りである。 通院に至るまでの経緯と結果、投薬の効果についてまとめていく。 ・性格について メンタルを故障させる原因の殆どは、本人の性格や気質によるものであろう。まずは、私自身の特徴について説明する。 まず私は、真面目で責任感が強く、完璧主義な性格である。他人に気を使いすぎてしまい、他人の機嫌や顔色に過剰に反応しがちである。また、気持ちのオンオフの切り替えが苦手で、就労を終えてからも毎日のように、

          メンクリ、再び

          トラウマは乗り越えたから見るものである

          私は最近、何度もトラウマを思い出す。 今の職場は従業員の数が数百人もいて、人数やら上下関係やら仕事の内容的にも、色んな意味で学校の環境と似ているのだが、そのせいで学生時代のトラウマがフラッシュバックしてしまうのである。 私は学生時代、散々人に迷惑をかけ周りに白い目で見られながら、追い出される形で学校を中退した。あの時の後悔や悲しみ、恐怖が、まるで今起こっているかのように鮮明に湧いてくるのだ。そしてまず、「また私は何かやらかしてしまったのだろうか」と不安を感じ、次にパニックにな

          トラウマは乗り越えたから見るものである

          主体的な人間であってほしいと思うことは、欲張りなのだろうか

          私は基本、他人に何かを求めることはしない。 性格、外見、仕事、etc。その人がどんな人であるかよりも、一緒にいて心地よい関係を育めるのならば、それで私は満足である。しかし、時にどうしても「こういう人であってほしい」「こういう人と関係を築きたい」と思うものがある。それは、その人が生産的な人間であるか、何かを創り出す側の人間であるかということだ。 何かを創り出すということは、なにもクリエイターだけの特権ではない。全ての人が、可能性として持っているものである。 食べ物、娯楽、電気

          主体的な人間であってほしいと思うことは、欲張りなのだろうか

          自慢は悪いことなのか

          自慢や自分話(自己アピール)は、基本敬遠されがちなきらいがある。 理由は主に二つあるだろう。 ひとつは、比較・自分のほうがより優れていることを誇示している場合があるということ。それにより煽られるような形で、聞き手は嫉妬や劣等感を抱いたり、「私ももっと〇〇しなきゃ」と自分自身のあり方に不安を感じやすくなる。聞き手にとってそれは、間接的な非難と同義なのである。 ふたつめは、誰もが根底に「他人から認められたい」という欲求を持っているということだ。人の話を聞くよりも自分の話をす

          自慢は悪いことなのか

          振り返る

          季節が巡り、今年も残り僅かとなったが人々は何を思うのだろう。 今年はどんな年だったかと振り返ろうとする時、殆どの人は例えば「富士登山に挑戦した」とか「楽しい時間を過ごした」のような、出来事や結果を思い起こすに違いない。しかしそれらは現在にある結果であり、果たして過去とは言えるだろうか。かつては現在であったものは、どのようにすれば過去として認識できるのだろうか。 私が今感じているのは、時間が過ぎ去ったという感覚と、昨年とは同一ではない自分がいるということだけである。 あの

          振り返る