トラウマは乗り越えたから見るものである

私は最近、何度もトラウマを思い出す。
今の職場は従業員の数が数百人もいて、人数やら上下関係やら仕事の内容的にも、色んな意味で学校の環境と似ているのだが、そのせいで学生時代のトラウマがフラッシュバックしてしまうのである。
私は学生時代、散々人に迷惑をかけ周りに白い目で見られながら、追い出される形で学校を中退した。あの時の後悔や悲しみ、恐怖が、まるで今起こっているかのように鮮明に湧いてくるのだ。そしてまず、「また私は何かやらかしてしまったのだろうか」と不安を感じ、次にパニックになって「現在進行形で私は同じ過ちを犯しているに違いない」「私さえいなければあらゆることが上手くいくのに、私のせいであらゆる人に害を与え、環境をかき乱しているに違いない」という気持ちになって自分を責め始める。
きっと、この溶けるような暑さのせいでもあるだろう。今、ここにある現実と、過去のトラウマが重なって見える様は、まるで蜃気楼のようである。

ところでトラウマというのは、過去の出来事だからトラウマなのである。現在進行形で起こっているならば、トラウマとしてそれを見ることはなく、きっと全く別の感情を抱いているに違いない。現在進行形で起きていることならば、トラウマは襲ってこない。良くも悪くも、過去は何もしてこないのだ
トラウマとは、その出来事を乗り越え過去にした、強さの証である。

これ読んでいる人も、一つや二つ、トラウマを持っているだろう。私は、トラウマがフラッシュバックすると、動悸がしてパニックになって、どうも気持ちの制御ができなくなって、自分を責めて傷つけたい衝動に駆られてしまうのだが、"トラウマは過去だから、乗り越えたから思い出す""現在進行形で過ちを犯しているならば、トラウマとして襲ってはこない(つまり今は何も失敗はしていない)"という、この二つを思い出して冷静に対処していこうと思う。
これを参考に、これを読んでいる誰かの、トラウマを乗り越える手助けになれば嬉しい。私たちは一人ではない、お互い頑張ろう💪(←誰宛なのか笑)



・愛は先取り

番外編として、愛される方法について書いてみる。
私のトラウマは、居場所を失うこと、他人から疎外されることに起因しているのだが、そのことで恩師に相談をしたら、こういうアドバイスを頂いた。

愛は先取り。
心を開いて欲しい時もまず自分から開いてみる。
本当の事を話して欲しい時も、まず自分から。
優しくして欲しい時も、癒されたい時も
まず自分から。

全部、循環しているだけだから
先に出したから損とか得とかは何も無く
出したものが帰ってくるだけ。

投げたブーメランが自分の所に戻ってくる。

愛はいつも、先出しなのです。
なぜかというと、
空いた所に、入ってくるから。

あなたの放ったものが世界を作ります。

misa k先生

これを聞いて、愛とは循環するものであるということにとても驚いた。
言われてみれば確かに、農作物などの食物、命、社会福祉、あらゆるものは循環していて、概念として循環社会(持続可能な社会)と言ったりもしている。
しかし、何故だか愛とは別格な存在で、通常の生の営みとは隔絶されていて、崇高な努力が必要なものだという気がしていたのだ。
私はトラウマのフラッシュバックと共に、居場所を失う恐怖、他人から拒絶される恐怖を感じていたのだが、アドバイスのように、まずは自分から心を開き、人に笑いかけていきたいと思った。

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