だから私は、小説が書きたい

そういえば、マンガってバッドエンド作品はあまり見かけないよな。

というのが、ここ一年で20万円近くWebマンガに費やした私の感想である。数年前までの私は、自分がマンガにここまでお金を使う人間になろうとは思わなかった。
元々は小説だけが好きだったのだが、文章を読むのは案外疲れるものらしい。アニメも昔はよく観ていたが、ぼんやりしているとストーリーが勝手に進んでいってしまうところとか、音がうるさいと感じるようになったりして自然と疎遠になってしまった。その点マンガは、絵と文字の両方が使われていて内容が頭に入りやすい上に、自分のペースで読み進められることや、場所を問わずに好きなタイミングで読めることが利点となって、疲れた社会人のちょっとした気晴らしには丁度良いものだと言える。

ここ数年のWebマンガの流行は、現代社会で負け組だった人が転生して知識で無双する話とか、悪役で嫌われ者だった人が愛されヒロインと立場が逆転する話とかばかりで、正直似たり寄ったりな作品が多いなとは感じているが、しかしそこがWebマンガのいいところだとも私は思っている。ネガティブなのは最初だけで、後のストーリーは良くなっていく一方だというのがあらかじめ分かっているのは、正直心が楽なのだ。人生は辛いものだからこそ、フィクションの中までもドキドキハラハラしたり、鬱展開を主人公と一緒に悩んだりするよりは、主人公が救われていく様に自分を重ねている方が心地いいからである。
実際に色々なマンガ作品を見てきて、それらのおかげで現実の悲しみが浄化されたり、ストレスへの抵抗値が高くなったりもした。一人きりでは立ち上がれなかったかもしれないが、マンガの世界が自分のそばにあるような気がするからこそ安心してまた頑張れる、と思えた経験は数えきれないほどある。

そうやってマンガという創作物に救われる回数が増えていくほどに、私の中にある創作者魂のようなものも、共鳴して燃え上がり始めるような感覚があった。
「私も、誰かの心に響くような作品が創りたい」
マンガを読めば読むほど、私の中で眠っていた夢が目覚めていった。ずっと昔に封印していたはずの夢、小説が書きたい、という想いだった。

マンガだってバッドエンド作品はそれなりにあるものの、マンガの魅力はハッピーエンドにあるのではないかというふうに私は感じている。非現実的な世界を鮮明に描くことと、文字通りの“絵に描いたような幸せ“というのは、マンガならではの表現だと思うからである。一方で小説の魅力とは、“負ける過程を美しく描く“ことに本質があるのではないだろうか。。チャールズ・チャップリンは、“人生は近くで見れば悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ“という言葉を残したが、それを最も効果的に再現できるのが小説だろう。最後を見ればバッドエンドだけれど、全体を通して見ればハッピーエンド、それを描けるのは小説だけだと私は思う。

私は、マンガなら思考停止で読んでもクスッと笑えるようなコメディが好きだけれども、私自身にはコメディもハッピーになれる物語も生み出す力はないということに随分昔から気がついていた。なぜなら私は現実主義で、現実は期待通りにはならない辛いものだからである。しかし、そんな中でもより良い人生を目指していくことはできるのではないか、現実は変わらなくても心の持ちようでより幸せになることはできるはずだと、そう思って書き始めたのがエッセイや随想の類だった。
しかし、私は疲れてしまったのだ。幸せになろうとすることに。幸せになろうともがいているうちは、幸せにはなれない。どうやって努力をしようとも、人生が辛いものであることは変えられないのだ。この事実に気付いた私は、もうエッセイが書きたくなくなったのである。いや、書かないわけではないのだけれども、結論や努力の方向性だけを指し示すようなエッセイよりも、人生の過程や辛さや悲しみなどのありのままの全てを肯定するような文を書きたい、それができるのは小説しかないという確信が生まれたのだ。


いや、ちょっと難しいですね

私は、小説こそが私が今書きたいものだと思い立ち実際に書き始めたのだが、4万5千字を過ぎたちょうど物語の半分くらいでいきなり、パタリと書けなくなってしまった。その時は、小説をまともに書こうとしたのは人生で初めてだったから、最初に飛ばしすぎてエネルギー切れで書けなくなったのだろうと思った。しかし二週間くらい休んでも全く書ける気が湧かず、むしろ自分には小説が書けないんじゃないかという思いに支配されるようになっていった。そこで、占い師に相談に言ったのである。どうしたら、小説が書けるという気持ちになれるのか。どうすれば、今書いている作品を終わらせられるのか、と。
「いや、ちょっと難しいですね」
え?それって、私には小説を書く能力がないってこと?それとも、今の作品は終わらせることができずボツになるってこと?いきなり否定から始まった占い師の言葉に、私は唖然とした。
「どの作家もそうなのですが、完成するときは辞めるときですね。終わらないのが作家です」
ええぇ、私はそれを聞いてガクッとなった。なるほど、今の時間軸というか、現在の話をしているのではなく、私の心の奥底の願いをこの人は見ていたのだなと思った。確かに言われてみれば、私は作品を通して表現したいテーマがあったのだが、それをうまく表現できている気がしないから作品をそれ以上書き進めることができず悩んでいたと言える。表面的な物語としてではなく、心の奥底の何かに対していえば、それ自体は一生表現し終わらないものかもしれないなと思った。
結局、小説を書く能力が私にはあるのか、今の小説は書き終えることができるのかは聞くことができなかったが、占い師の話を聞いて背負っていた余計な荷物が外れたような感覚があった。

私は実際に小説を書き始めてみて、終わらない恐怖というものを感じるようになっていた。物語を始めたのは私なのだから、私が終わらせなければ登場人物たちは一生彷徨い続けることになってしまうという重責と、表現したいことがうまく表せなくてもどこかでケジメをつけないと、一生形にもならないのだという恐怖に焦りを感じ、「早く終わらせて楽になりたい」と思うようになっていたのだ。
しかし、本当に作品が完成するときは創作を辞める時なのだとしたら、それは私にとっては死ぬときだと思うから。どれだけ時間がかかっても、作品に対し向き合っていこうと思えるようになって、そうして初めて創作者としての一歩を踏み出せたような気がした。


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