ただ生きるのがつらい

都会での生活にも限界がきて、私はこれまでの全てをそこに置いたまま田舎へ帰ることになった。

17歳の冬から、6年という歳月を過ごした東京と横浜。アパートを引き払い田舎へ戻る車中から眺める夜の都心は、今も昔も変わらずキラキラと星のように輝いていた。

田舎者の私が都会に出たいと思ったのは、端的に言えば「幸せになりたい」という想いが強かったからだ。
都会は、富・名誉・性愛などの欲望が渦巻く場所である。私は、それらの欲望そのものに関心があったわけではなく、それらの欲に従って生きる人々に興味があった。富や名誉だって、人はそれ自体が欲しいから欲するのではなく、それを手にすることによって幸せになりたいから欲するのだ。つまり、貪欲に生きる人が多い都会というのは、幸せになろうとするエネルギーの強い人たちが多い場所ということになる。
私は、そんな人々に交じれることによって、自身の持つ「幸せになりたい」という想いをより強固にし、自分の力でその想いを叶えたいと思ったのである。

この6年の間に、私は様々なことに挑戦した。お金をたくさん稼ごうとか、スキルを磨いてライフステージをステップアップしていこうとか、いっその事異性から愛されることで満たされようか、などなど。しかし全ての試みは、どれも中途半端なまま失敗に終わることになる。
その度に私は考えた。「失敗したのは、私が欲深かったからだ。もっとハードルを下げれば、いつかどれかは叶うはずだ」と。
たとえば、お金は稼げなくても心が満足する生活を目指そうだとか、異性から愛されなくても友人を沢山作って満たそう、などである。

しかし、そうやってハードルを限界まで下げていってもなお、全ての試みは失敗し、相変わらず私は幸せにはなれなかった。
最終的になりふり構っていられなくなった私は、プライドも投げ捨てて地べたに這うような生活を送っていたのだが、それもまたダメでいつの間にか現実では借金ができてて心はポキッと折れていたので、私はついに自分の限界を悟りこのまま足掻いたところでどうにもならないことに気付いたので、田舎に帰ることを決断したのである。


田舎から東京へ出ていく日、私は二度とここには戻らない決意だったが、結果として何も成せないまま私は戻ってきた。文字通り身一つで帰ってきた私だが心にはぽっかりと穴が空いたようで、今までは生きることに必死で気付かない振りをしていた苦しみが今になって溢れ出し、最近は毎日ただ苦しいとだけ思いながら生きている。
幸せになりたくて、都会へ行ったのに。心の傷だけを増やして、より不幸になって私は帰ってきた。あらゆる努力が失敗したことに対する自己不信感と、「幸せになりたい」という想いを叶えられず、「幸せになれなかった」という現実に対する絶望感。そのせいで私は、本当にただ生きるのがつらくて、毎日のように寝る前にふと涙がつーっと垂れてくるのである。

私は都会にいた頃も、決して多くは望まなかった。億万長者になりたいだとか、有名になりたいだとか、異性にモテモテになりたいだとかそんなものは望まなかった。ただ、幸せになるための努力を続けられて、そしてそれが叶えられる、幸せになれさえすればよかったのに。私にはそれができなかった。これまでの努力や人生が報われず、幸せになれなかったという事実は、呼吸することさえ億劫にしてしまうほど辛く重たい事実だった。

「幸せな人は、今目の前にある幸せに気付ける人だ」と言う人がいる。
確かに、この世には何もしなくても既に手にしている幸福はいくらでも存在している。例えば、ご飯が美味しく感じられたとか、自然の景色が美しかったとか。今の時代が昔より恵まれているのも理解できるし、その中でも日本に生まれられたのはとても幸福なことだと頭では理解できる。
しかし、苦しみもまた人の数だけ違いがある。AにはAの、BにはBの苦しみがあるように、この人生が苦しいものであることは変えようがない事実なのだ。そう、私は苦しみを減らすことで幸せを感じ取れる幅を広げたかったのだ。

例えば、顔にコンプレックスがある人は整形してそれを補おうとするかもしれない。自分に無価値感を抱いてる人は、勉学や技能を習得して価値を見出そうとするかもしれない。私の幸せになろうとする努力はそれと似ている。
しかし、整形してもなお理想の顔とは程遠くて、いつまでも生まれ持った顔立ちからは離れられないことに気付く人もいるだろうし、どれだけ勉強しても自分が得られる知識には限界があって、必ずどこかでは自分は無価値な存在であることに気付く人もいるだろう。私の、幸福の挫折もまたそれと同じようなものである。
ただしこういう場合に、前者であれば整形後の自分の顔にそれなりの良さを見出して満足しようとするかもしれないし、後者は自分の得意分野だけにフォーカスしてそこで成果を残すことで納得しようとするかもしれない。もちろん私だって、望んでいるもののハードルを下げて及第点を見つけようと努力してきた。しかし、その及第点すら見い出せない程に私は無能だったのだ。


思えば、私が今苦しんでいることも、過去に誰かを傷つけてしまったことも、全ては私自身の無能が原因だった。度々反芻されるトラウマも、元を辿れば私自身に力があれば起こらないはずの出来事だった。 
そう考えると私は、自分の力で自分自身を幸せにしてやれないという事実以上に、自分だけでなく他人まで不幸の巻き添えにするほどに自分は無能であるという事実にショックを受けたのかもしれない。
幸せにはなれないのに、何をしても何も成せない程私は無能なのに、どうして生まれてきたのだろうか。どうしてこれからも生きなければならないのだろうか、と。


私は、生きようとすることにすっかりくたびれてしまって、今はただ死ぬために生きている。いつか病や寿命で死ぬために生きているが、死とは生と真反対のものであるように、とにかく全てが煩わしく息をするもの苦痛になるほどただ生きることが苦しくなってしまった。

しかし、この6年の間には何も成し遂げられなかったけれども、むしろ苦しいことばかりだったけれども、都会の中で懸命に努力し懸命に生きていたあの日々は、思い返せば美しくそれはそれで幸福な日々だった気がする。
「人は、失ってでしか今ある幸福に気づけない」と言う人もいるけれど、その幸福への気づきの代償が失ったものへの痛みならば、私たちは痛み苦しむために生まれてきたのだろうか。

私が帰ってきた田舎は、牧歌的で平和だったが、必死になって生きる必要が無くなったことでむしろぼっかりと心に穴が開き、手から溢れる砂を掴もうとするかのようにただ時間が流れるばかりとなってしまった。
必死にならないと生きている実感が得られないけれども、必死になると蟻地獄のようなより深い苦しみへと落ちていく。私は、より深い苦しみに落ちていかないように、今のまま留まっていることしかできない。それはまるで、都会で過ごした日々も、そこで積み重ねた努力の数々も、必死に掴もうとした夢も全部都会に置いてきたままそこで時が止まってしまったかのように。


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