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短編小説:彼女と夢と水晶玉

僕の彼女は、早起きが苦手だ。

たいてい、僕のほうが先に1日の活動を開始する。

僕が午前中に起きて、執筆作業をして「そろそろ休憩がてら昼寝をしようか」と、作業を切り上げたときもまだ寝ている。だからそういうときは、そのまま一緒に昼寝をする。


ある日、僕が昼寝から目覚めると、彼女はまだ隣で寝息をたてていた。昨晩、というか今朝、おそくまでマイクラをやっていたせいかもしれない。

その枕元に、ピンポン玉よりひとまわり大きいくらいの、半透明な水晶みたいなものが落ちていた。

なんだろう、と思ってつまむと、急に眠気が訪れてまぶたが重くなった。

そのときみた夢は、とても不思議なものだった。

僕が彼女の家にいて、そこで彼女の家族に料理を作っている夢だ。そこに僕の知らない友人たちがやってきて、僕のことを彼女の名前で呼んだ。友人たちも、僕の作った料理を食べた。

ゆっくりと、まどろみから覚めた僕は理解した。

「いまみた夢は、彼女の夢だ」

不思議だったけど、とてもあたたかい気持ちになった。

それから枕元には、水晶玉が度々みつかるようになった。僕はそれを見つけるたびに、彼女に黙って箱に入れて置いておくことにした。

楽しい夢もあれば、怖い夢もあるし、悲しい夢もあった。

でもどんな水晶玉を触っても、すぐに眠ることができたし、その眠りは深かった。僕は彼女の隣で目覚めるたびに、枕元にそれを探した。


ある日、知人Tさんから、夜うまく眠れない、という相談を受けた。

「仕事がしんどくてさ。そのくせ金がないんだよ」

彼の不眠は、将来への不安が影響しているのかもしれない、と僕は思った。

そこで僕はTさんに、彼女の夢の水晶玉を一つ貸してあげた。

「いやあ、あれいいね! ほんとによく眠れるようになった!」
彼は喜んでいた。

僕はもしかしたら、あの水晶玉には価値があるのではないか、と思った。

僕はTさんに水晶玉を返してもらうと、彼にそれを一万円で売った。お金がなくて将来が不安なのは、僕も同じだった。

それから僕は、うまく眠ることができない人たちをみつけては、連絡をとった。

水晶玉は、特になんの苦労もなく売れていく。

現代社会には眠れない人間がこんなにいるんだな、と思った。

つまり、買い手には困らないということだ。

僕は夢の水晶玉の値段を、一万円から三万円にした。

それでも毎日、よく眠りたいという人たちからの連絡が途絶えることはなかった。


僕が彼女の変化に気づいたのは、バイトを辞めて、一緒に住み始めた頃からだった。

彼女は相変わらずよく寝て、昼すぎに起きるという生活をしている。けれど日中、起きているあいだも、なんだか夢の中みたいにぼうっとしているのだ。

開いた目はどこか遠くの雲を眺めているようで、覇気がない。それに眠っている時間が、少しずつ伸びていた。夕方になるときもあれば、夜に目覚めることもあった。

もしかして、と僕は思った。

彼女がこんなふうになっているのは、あの水晶玉を取り出したことが原因なのではないか。このまま取り出し続ければ、彼女は永遠の眠りについてしまうかもしれない。

僕は自分を恥じた。

彼女の眠る時間が伸びたところで、水晶玉の在庫が増えるならいいか、くらいにしか考えてこなかった自分を。

僕は恐ろしくなって、寝室にいって、深い寝息をたてる彼女のことを抱きしめた。枕元には煙を閉じ込めたような半透明の水晶玉が転がっていた。

「いまどんな夢をみているの?」
僕は彼女の隣に横になって、その水晶玉に触れた。

まぶたが重くなって、彼女の夢が始まる。

しかしその夢は、以前みたものとは何かが違った。

ぼんやりしていて、すべての輪郭が、もやみたいに曖昧だった。

僕が目を覚ましたとき、以前のようなあたたかさもなく、ただ空虚さだけがそこにあった。

「ごめんよ」
僕は泣きながら、隣に眠る彼女に何度もそう告げた。

彼女のその力ない手に、水晶玉を握らせた。

もう彼女のもとから、ひとつの夢すら奪うことは許されない、と思った。

すると、その水晶玉は溶けるように彼女のてのひらに染み込んでいった。

「そうか」

僕はベッドから起きると、しまってあった夢の水晶玉の在庫を彼女の手のなかに落としていった。

水晶玉はすべて融解し、彼女の中へ戻っていった。

僕は急いで、スマホを取り出し、知人のTさんにメッセージを打った。

『今から会えますか? あの水晶を、もってきてください』

僕は今から自分が、どんなに困難なことをしようとしているか想像した。

一度売ったものを取り返すのは、いったいどれほどの苦労だろう。それもひとつやふたつではない。

でも、やるしかないんだ。

「待っててね」
僕は彼女を、もう一度強く抱きしめた。

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