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「もちろんです」という言葉の違和感。
書店員の必須業務に「カバーをかける」というものがある。店によって色々なデザインがあって面白い。
「カバー、おかけしますか?」
文庫やコミックなどを買っていくお客さんには、毎回尋ねている。
たまに端折って「このままでもよろしいでしょうか?」と訊いたりもする。
忙しいときは、こう訊くだけでカバーと袋の有無を同時に問えて、一石二鳥の最効率だ。少なくとも僕はそう思っている。
ある日、お客さんに「もちろんです」と返された。
「商品のお渡しはこのままでもよろしいでしょうか?」
「もちろんです」
『なにもいらないってことね』と僕は素直に理解した。
でも、あとになって思った。
『もちろんです?』
つまりあのお客さんの中で、本にカバーと袋をつけないのは常識だということだろう。
いや、わかってる。別にひっかかるようなことじゃないのかもしれない。
執事だって使うじゃないか。
「もちろんでございます。ご主人さま」
あれ? これもどうなの?
王様が勇者に告げる。「魔王を倒してきてくれ」
勇者は答える。「もちろんです。陛下」
なにかおかしい。
「道を教えていただけますか?」「もちろん、喜んで!」
違和感。
よくよく考えてみれば「もちろんです」という言葉は、意味的には「あたりまえだろ」とほぼ同義ではなかろうか。
もちろん、言い方が違えば、相手に与える印象が違うというのはわかっている。あ、この『もちろん』は『折り込み済みだよー』というニュアンスで。
ただ、僕はそれがわかったうえでなお「もちろんです」という言葉の圧は強いなあ、と思う。
その証拠に「もちろん」の場面をすべて「あたりまえ」に変換しても意味は通じるのではないか。
「あたりまえです。ご主人さま」
ご主人さま、キレる。
「あたりまえです。陛下」
なんか怒ってる?
「あたりまえ! 喜んで!」
熱血キャラか?
「商品のお渡しはこのままでもよろしいでしょうか?」
「あたりまえです」
……出禁だろ。こんなひと。
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