もっと、noteを。 #毎日投稿70日目
ほらきた。
前回60日目の記事を書いてから、もう10日も経ってしまった。なんてことだろう。
光陰矢の如し、なんてものじゃない。音速とか光速とか、そのくらいはある。
それなのに机に向かっていたら、いつのまにか記事が出来上がっていた、なんて現象が起きることはなく。
これは『note七不思議』として登録するべき理不尽だ。
とはいえこの10日間は、色々なことがあったからしかたない。
特筆すべきは、2泊3日の長野旅行だ。
食事や身の回りのことを自分たちでやらなくてはいけなかったので、文章を書いている時間より、妹が食べ散らかしたものを片付けている時間のほうが長かったと思う。
でもこういうビッグイベントが重なったというのに、投稿が途切れなかったという事実。僕は自分に多少の称賛を送りたい。
毎日投稿がプレッシャーになっている、というようなことを記事にしたけど、それはある意味で事実だ。
だからそろそろ何かしらの工夫をしなくてはいけないな、と感じている。
noteを続け、かつ日々の負担を少しだけ軽減するような工夫。
職務中にnoteを書く。風邪をひいたと連絡して休みをもらう。働くのをやめる。出勤をしない。バックレる。突然、金切り声をあげて暴れ狂う、といったような奇行にはしり休みをもらう。上司にドロップキックをして休みをもらう。夜の校舎、窓ガラス壊して回る。盗んだバイクで走り出す。などなど。
どれもnoteを続けていくために必要なことなので、きっと上司の理解も得られるだろう。
でもやはり、人に迷惑をかけることには抵抗がある。突然大きな声を出すと、周りの人はびっくりしてしまうかもしれないからだ。
しかしこう考えてみると、今のこの状況というものに、奇妙な感覚を抱く。
なぜなら、noteが続いているということは、それ相応の『noteを書く代わりに得られるなにか』を捧げているということにほかならない。
僕はたまに、そんなパラレルに思いを馳せる。
同じだけの時間、逆上がりの練習をしていたら。
同じだけの時間、千羽鶴を折っていたら。
同じだけの時間、けん玉を練習していたら。
同じだけの時間、スワヒリ語の勉強をしていたら。
同じだけの時間、右手と左手で別々の図形を書く訓練をしていたら。
同じだけの時間……
でも、どれもしっくりこない。
やっぱり、僕は部屋でコーヒー片手にキーボードをカタカタやっているほうが、馴染み深いのであった。
そんな感じで、70日目、更新。