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坂の上のつくも|ep5「ねじれたモノ」


episode5 ねじれたモノ「実害」

 事件が動いたのは、3日後のことだった。

「尊!スハラ!大変!!ミズハが!!!」

 見たことのない勢いで便利屋事務所に飛び込んできたスイは、砂ぼこりで茶色くなっていた。
 そのただならぬ様子に、スハラがすぐに反応する。

「どうしたの?テンは一緒じゃないの?」

 そう言いながら、もうすでにブーツを履き終えたスハラは、玄関を出ようとしていた。
 俺は慌ててあとへ続く。急いだせいで、かかとをつぶしたまま履いた靴は歩きにくい。

「テンはミズハのとこにいる。我だけ来た」

 走りながら話すスイは、声が少し震えていた。
 着いたところは、水天宮のミズハ自身である社。
 その真ん中で、ミズハが寝かされていた。その顔は少し青白い。

「ミズハ…!テン、何があったの?」

 スハラは焦った様子を隠すことなく、だけど抑えた声でテンに聞く。
 しかしテンは、おろおろと泣くだけで、話せる様子ではない。
 スイは、そんなテンに寄り添うと、言葉を選んで話し出す。

「ミズハと我らで、見回りに行ったんだ。行った先では何もなかったんだけど、ここへ帰ってくる途中、そこの階段で飛び出してきた人とぶつかって…」

 そこの階段とは、この水天宮へ続く、外人坂から上がってくる急な階段だろう。
 スイの泣きそうに消えていく言葉をスハラが引き継ぐ。

「階段から落ちたの?」

 テンがこらえ切れず、うわーんと泣き出してしまう。
 俺は、テンが落ち着けばと頭をなでてやるが、泣き止む様子は一切ない。
 付喪神は、本体である“もの”が壊されない限り、死ぬことはない。
 言ってしまえば食事も必要なく、眠らなくても特に問題はない。ただ、それらは必要ないというだけで、人と同じように食事をしたり、眠ったりすることもできる。

 だから、人といる時間が長い付喪神ほど、人と同じような生活を営んでいたりする。
 また、けがをしても、本体が傷つくことさえなければ、時間が経てば問題なく治る。
 よって、今回も、本体の水天宮は損傷を受けていないため、ミズハも死ぬようなことはない。
 それは、頭ではわかっている。
 だけど、実際に気を失っているミズハを前に、そう簡単には割り切れない。

「…ミズハ、大丈夫なのか」

 俺は、大丈夫だとわかっていても、心配せずにはいられない。

「本殿に何かされたわけじゃないから大丈夫だと思う」

 スハラが、砂ぼこりのついたミズハの頬を拭う。
 俺は、まだ泣き続けているテンにつられて泣きそうになっているスイに問いかける。

「スイ、ぶつかった人は見たのか?」
「見たけど、見てない。黒くしか見えなかった」

 俺はその言葉に、先日、暗闇で出遭った翔の姿を思い出す。黒い影、虚ろな眼。

「男とか女とか、大人とか子供とか、そういうのはどうだったの?何かわかる?」

 スハラに重ねて問われて、スイは俯いて考え込む。その表情からは、おそらく何もわからないのであろうことが推察される。案の定、

「わかんない。おとこの人のような気はしたけど…」

 少しの沈黙。そして、スイははっとしたように、顔をあげた。

「一瞬、変なにおいがした気がした」
「変なにおい?」

 それってどんな?とスイへ先を話すよう急かす俺に、スハラは、落ち着いてと止めにかかる。
 スイは困ったような顔をして、自信なさそうに話し出した。

「…この間の、尊の同級生のときのような…なんか変なにおいが、すれ違ったときにしたような気がする」

 それは、どういうことだろう。聞きたいことはいろいろあるのに、俺の頭に浮かぶ疑問はうまく言葉になってくれない。
 スハラを見ると、俺と同じなのか、難しい顔をしたまま黙ってしまっている。
 その時、ミズハの動く気配がした。

「う…ん、あれ、…みんな集まって、こわい顔してどうしたの?」
「ミズハ~!!」

 気が付いたミズハに、テンが泣きながら飛びつく。ミズハは、一瞬びっくりした顔をしてから、優しくテンの頭をなでた。

「ええと、これは…何かあったのかしら?」

 本気で言ってるのかわからない、いつものミズハのペース。

「ミズハ、階段から落ちたって聞いたよ。大丈夫?」

 起き上がるミズハに、スハラは手を貸しながら、何があったか覚えているか確認していく。でも、ミズハからわかることは、スイから得た情報と大して変わりはなかった。
 犯人に関する情報は、スイが感じたという“変なにおい”だけ。
 さすがにその情報だけでは、犯人を特定するのはかなり難しいだろう。

「たまたまぶつかっただけだと思うんだけどね~」

 のんびりと言うミズハは、こんなときでもその雰囲気を変えない。
 でも、あれだけ急な階段で「たまたま」ぶつかるなんて、不自然すぎる。

「ミズハ、せっかくなのに悪いけど、見回りはやめたほうがいいかもしれない。これ以上は本当に危険な気がする」

 スハラの言葉に同意するように、スイが首を縦に振る。テンはミズハにくっついたまま動かない。

「だけど、人手が足りないでしょう?私なら大丈夫。怪我もしてないし…」

 危機感を募らせて怖い顔をするスハラを前に、この期に及んでまだのんきなことを言って微笑むミズハ。いや、それがミズハの強さではあるんだけど。

「でも、スハラがそこまで言うなら、単独で行動することはやめるわ。外人坂の階段も使わないようにする。それでいいでしょう?」

 そもそもミズハはテンとスイと一緒にいるため、単独で行動することはほとんどなかったから、この提案は譲歩したようで譲歩していない。しかし、こうなってしまったミズハが引くことはないとわかっているスハラは、しょうがないかとしぶしぶ頷く。

「ミズハ、無理だけするなよ」

 俺はミズハに念を押して、本堂を出ていくスハラについていった。

episode5 ねじれたモノ「予感」

 水天宮を後にしたスハラは、事務所に戻るのかと思いきや、反対の方向へ足を向ける。てっきり帰るものと思っていた俺は、不思議に思ってどこへ行くのかと聞くが、返って来た返事は意外な場所、旧岩永時計店だった。

「もし、見回りしてるところを狙われたとしたら、オルガも危ないかもしれない」

 旧岩永時計店に着くなり、スハラは中に声をかける。しかし、返事をしたのはサワさんだけだった。

「お前ら、どうしたんだ」
「サワ、オルガは?」
「ちょっと前に図書館に行くって出かけたぞ。それよりお前ら、酷い音だな」

 サワさんに言われて、俺は「火の鳥」を思い浮かべる。「カスチェイ王の魔の踊り」の冒頭のような恐ろしさが、身体中にまとわりついているのかもしれない。
 そんな音を聞き取ってか、普段表情をあまり変えないサワさんが眉をひそめる。

「オルガがどうかしたのか?」

 サワさんの声に、少しの怒気と少しの不安が含まれる。

「まだわからない。…私、探してくる。尊、行こう」

 スハラはすぐに踵を返し、時計店を後にする。背中に、サワさんから声がかけられるが、スハラはかまうことなく足を進めていく。
 オルガが向かったという図書館は、旧岩永時計店から少し離れたところにある。歩いていくなら15分くらいか。
 道すがら、俺はスハラに話かける。

「どうしてオルガが狙われると思うんだ?ミズハだって、偶然だったかもしれないだろ」
「確かに偶然かもしれない。オルガも何ともないかもしれない。だけど、嫌な予感がするの」

 こういうときのスハラの予感は、当たることが多い。

「この間、尊の同級生に遭ったとき、付喪神に否定的なこと言ってたでしょ?あれがずっと気になってるんだ」

 あのときの翔の違和感に、やっぱりスハラも気づいていたようだ。

「今までも私たちの存在に懐疑的な人はいたし、いろいろ言われたこともあったけど…最近はあそこまではっきりと態度に出す人はいなくなったと思ってたんだ。
 だけど、あの人はすごくはっきりと、敵意みたいなものを隠してなかった」

 俺にとってスハラやミズハは当たり前の存在だけど、それを認めない人も確かに存在する。だけど、彼女たちの存在は、この街の歴史において彼女たちの“本体”である建物や物が大切にされてきた証拠で、街の誇りと言ってもいいもののはずだ。それを認めない、否定するということは、ある意味では街の歴史まで否定することになるだろう。

「私たちの中にも、過去にいろいろ言われた経験から人間嫌いを隠さないヒトはいるし、態度にはっきり出さなくても、なるべくなら人と関わりたくないって思っているヒトがいるのも事実だよ。
 だけど、せっかく同じ時代に同じ時間を生きてるのに、そんないがみ合うなんてもったいないと私は思ってる」

 俺も、スハラの言うとおりだと思う。
 俺自身も、ヒトと仲良くするなんてって言われたことはあるし、ヒトから人間のくせにって言われたこともある。だけど、スハラやミズハは変わらずにいて、街のことや人々のことを想ってくれている。

「もし、あの人のような敵意が、人間だけでじゃなくてヒトにも広がっているなら、私もそうだけど、人間と仲良くしてるヒトは危険だろうと思ったんだ」

 話しているうちに、国道まで来てしまった。

「おい」

 突然腕をつかまれて、俺はうわっと驚きの声をあげてしまう。そんな俺の声に、スハラも振り返って身構えた。

episode5 ねじれたモノ「正体」

 しかし、そこにいたのはサワさんだった。スハラの様子が気になって追いかけてきたようだ。

「何の説明もしないで置いてくなんて、ちょっと横暴だろ」

 サワさんは俺たちに文句を言いながらついてくる。
 市役所の辺りで、俺たちはオルガの後姿を見つけた。

「いた!オルガ!!」

 スハラが大きな声で呼びかける。よく通るスハラの声は、離れたところを歩くオルガに届いたようだ。立ち止まったオルガがこっちを振り返る。

 そのときだった。

 飛び出してきた黒い影が、きらりと鈍く光るものを振りかざしてオルガへ襲い掛かる。

「えっ!ちょっとなに?」

 俺たちが驚きの声を上げると同時に、サワさんは走り出していた。
 サワさんはあっという間にオルガのもとへ着くと、黒い影を突き飛ばして馬乗りになり、黒い影が手に持っていた光るものを叩き落した。

 俺とスハラが着いた頃には、黒い影は、サワさんの下で力なく項垂れていた。近くには、サワさんが叩き落したナイフが落ちている。
 俺は、サワさんのあまりの早業にあっけに取られてしまうが、スハラは冷静に状況を確認していく。

「オルガ、けがはない?」
「え、えぇ、大丈夫。サワのおかげでなんともないわ。でもみんなして一体どうしたの?」
「説明はあとで。まずはこいつを何とかしなきゃ」

 そういってスハラは黒い影の顔を確認する。そして、あっ、と声をあげる。それにつられて黒い影の顔を覗き込んだオルガも、それが誰かわかったようで驚きの声をあげた。

「あなた、キタ?」

 黒い影―キタ―は、バツが悪そうに顔をそむける。俺も一度だけ会ったことのある彼は、付喪神の一人で、本体はガラス製の浮き球である。だから、存在としてはスハラ達と同じヒトだ。

「どうしてこんなことを?」

 サワさんの下敷きになったまま、キタは口を開く。

「人間と仲良くしているお前たちが気に入らなかったんだ!俺たちは力が弱いとは言え“神”だぞ。どうして人間に使われなきゃならないんだ!」

 その言葉を聞いて、スハラとオルガはあっけに取られる。サワさんはさらに怖い顔をして睨みつけている。

「しかしあのヒトの言うとおりだったな。お前たちは人間とつるんで何が楽しいんだ?」

 嫌な笑みを浮かべるキタと目が合って、俺は全身に鳥肌が立つのを感じる。この気味の悪さは何なのだろう。
 その瞬間、ぐえっと音を立ててキタは気を失った。サワさんが締め上げたのだ。

「ちょっとサワ、まだ話の途中だよ」

 これどうするのと言いながらも、スハラはあまり焦った様子はない。オルガもしょうがないかという顔をしている。

「こいつ、壊してきていいか?」

 壊すとは、本体のこと。いいと言えば今すぐにでも行きそうなサワさんだったが、オルガからやめなさいと言われ、怖い顔を崩さないままキタをひょいっと雑に担ぎ上げた。

episode5 ねじれたモノ「浮き玉」

 赤く陰る夕焼けの空。
 誰そ彼時とも逢魔が時とも表現されるその時間は、影が濃くなることで、陽の加減によっては近くにいる人の顔さえも見えなくなる。
 これじゃあ、隣にいる人が魔物に代わっていても、たしかにわからないかもしれない。

 俺の気持ちを察するのかのように、どこかでカラスが不気味に鳴く。
 水天宮の境内には、サワさんが担いできたキタを囲むように、俺とスハラ、オルガとサワさん、そして、何事もなかったかのように穏やかな笑みを浮かべるミズハが揃っていた。

「ミズハ、このヒトに見覚えは?」

階段でぶつかったのはこのヒトかもしれないと言われても、ミズハは動じることなく見覚えあるようなないような…と曖昧な返事をする。みんなに囲まれても周りを睨みつけるかのような眼をやめないキタは、ミズハを見て小さく舌打ちをしていた。

「無事だったのか、面白くねえな」

 悪態をつくその言葉は、犯人の自白。

「どうしてこんなことを?」

 そんなヒトを前にしても、普段のペースを崩さないミズハに、キタは、自分の立場を理解していないのか、不遜な態度を崩さないまま、声高に演説するかのように吐き捨てる。

「人間と仲良くしてるお前たちが気に入らないんだ!“神”である俺たちが、なぜ使われなきゃならねえんだ?この街だって、俺たちが支配していいはずなんだ!」

 キタの荒れた声は、悲しい余韻を持って消えていく。前に会ったとき、キタはこんなに荒れた感じではなかった。
 キタの変わりように驚くオルガが、疑問を口にする。

「どうしてそんなことを思うの?人は、悪い人ばかりではないわ。それにあなた、人間と仲良かったじゃない」
「人間なんて、俺たちをただの道具としてしか見ていない。そいつだってそうだ。いらなくなったら俺たちを捨てるんだろう?人間なんて、みんな最後は裏切るんだ!」

 俺を睨みながら叫ぶキタは、一体何があったのかというほど、人間への不満を隠そうとしない。

「あんたがどう考えてるかはわかったよ。だけど、それはヒトを傷つけていい理由にはならないでしょ」

 スハラの言葉にキタは口を閉じるが、スハラは、そんなキタを気にせず続ける。

「公園を荒らしたり、シャッターに落書きしたのも、あんたなの?」
「…そうだよ。俺らを無視しておきながら、楽しんでる様を見るなんて面白くないだろう」

 だからやってやったんだというキタの目は、鋭く鈍い光を放つ。
 そのとき、何かの走ってくる音が近づいてきた。

「スハラ、もってきたよっ」

 現れたのは、スイとテン。テンはなんか変なにおいがするーと言いながら、鼻をひくつかせる。そしてスイは、口に咥えた何かをスハラに渡す。
 それを見た途端、キタが顔色を変えた。

「おい、まさかそれ…」

 スイが持ってきたのは、キタ自身である小さめのガラスの浮き球だった。

「2匹に見つけてきてもらったわ」

 浮き球を受け取ったスハラは、それを夕日にかざす。薄汚れたそれは、もとは薄い緑色のはずだが、夕日を浴びて赤く染まって見える。

「…それをどうするつもりだ?」
「どうもしないわ。ただ、あんたがまた馬鹿なことをしないように、預かっておくだけ」

 焦りの表情を浮かべたキタに対して、スハラはまた誰かを傷つけるようなことをされては困るからとあっさりと答える。
 じゃあこれでいいわねと、スハラはサワへ目配せをし、サワはキタを縛っていた縄をほどく。

 瞬間、強い風が吹き抜けた。

 突風に目を閉じたスハラの隙を狙って、キタが体当たりをする。
 その衝撃で、スハラの手から落ちた浮き球が転がり、俺のそばで止まった。

「尊、拾って!」

 突然のことに動けないでいる俺を嘲るかのように、またカラスが不気味に鳴く。そして、ひゅっと何かが落ちてくる気配。

―――ガチャン。

 呆気にとられた表情のまま、キタが霧散していく。
 あとに残されたのは、割れて砕けた浮き球と、それを砕き割った石。

「…石なんて、どこから…」

 スハラのつぶやいたその声に空を見上げると、たくさんのカラスが黒い影となって舞っていた。それに混じって違う鳥が見えたような気がしたけれど、それは見間違いだったかもしれない。サワさんのなんだあれとつぶやく声が耳に届く。

 オルガが、キタだった割れた浮き球を拾い集め、それをミズハに渡す。ミズハは悲しそうな目のまま小さく頷いて、それを受け取った。

「今日はもう帰ろう」

 沈黙を割くようなサワさんの声に促されて、俺たちはその場をあとにする。
 俺は、キタの人間への悪意が棘となって刺さったようで、言いようのない不安感に囚われていた。

 後日、俺とスハラは、ミズハに会いに水天宮へ行った。
 いつも賑やかなスイとテンが散歩で不在のせいか、遠くでウミネコの鳴く声がとてもよく響いている。

「キタは、私が供養しておいたわ」

 可哀そうなことをしてしまったというスハラを励ますように、ミズハはいつもの笑顔で応えてくれる。
 ミズハは、スイが買ってきたという団子を俺たちに勧めながら、街の様子などたわいもない雑談をする。ふと、ミズハが何かを思い出したような顔をした。

「そういえば、あのあとテンが気になることを言っていたわ」

 あのあととは、浮き球が壊れたときのこと。キタが消滅した日。

「テンがね、変なにおいがしなくなったって言うのよ。何かしらね?」

 キタの時も、翔の時にも言っていた“変なにおい”。
 俺はそんなにおいは感じなかったし、誰もそういう話はしていなかった。それを感じているのは、この間も、その前もスイとテンの2匹だけだ。

「そのにおいに何かあるのかもしれないわね」

 自分も襲われたのにもかかわらず、のほほんとしたペースを崩さないミズハに、俺は半分あきれてしまう。  
 だけど、それがミズハらしいって言えば、そうかもしれない。

「うん、そのままのミズハがいいと俺は思うよ」

 ミズハは、俺の意図を知ってか知らずか、いつもの笑顔を浮かべていた。

episode5 ねじれたモノ「図書館に行った理由」

※ ※

 旧寿原邸を出て、堺町通りへ降りていく。
 客寄せの威勢のいい声や、ケーキやチョコの甘い香り。ふと聞こえるオルゴールの音。
 人通りは絶えず、たくさんの楽しそうな声が聞こえてくる。
 賑やかさに足を止めた俺の前を、猫が伸びをしながら通り過ぎていく。
 町は、今日も平和なようだ。

 蒸気時計が14時を告げる。
 それを合図にするかのように、俺は歩き出した。
 この間、町を騒がせた事件は、俺たちの目の前で犯人が消滅するという最悪の結果を残してひっそりと幕を下ろした。
 あれ以来、事件そのものについて、スハラとは話をしていない。
 そのスハラは、サワさんとは何か話していたようだけど、それ以外には、特にいつもと変わった雰囲気はないし、サワさんやミズハ、オルガも、特に変わった様子はなかった。

 一連の事件で、翔やキタが言っていたことは、人間と付喪神の関係に大きく関わることだ。
 自分が正当であるかのようなあの言い方は、お互いの存在を決して認めず、敵対するだけのもの。
 あれを聞いて、俺は違和感しかなかったけれど、スハラたちはどうだったのだろう。
 “付喪神”という彼女たち自身の存在をどう考えているのか。

 気づくと、旧岩永時計店のそばまで来ていた。
 あの事件以来、オルガにも会ってないなと思って、俺は時計店へ足を向ける。
 扉越しに中をのぞくと、オルガの姿が見えた。難しい顔をして、何か本を読んでいるようだ。俺は、こんにちはと声をかけながら、扉を開けた。

「あら、尊、いらっしゃい」

 オルガは本から顔をあげて、いつもと同じ笑顔で迎えてくれる。

「今日は一人なのね」
「あぁ、依頼もないし、たまには散歩でもしようかなって思ってね」

 スイとテンみたいに、いつもあちこち行くわけじゃないけど、たまには事件も便利屋への依頼も関係ない、ただの散歩もいいんじゃないか。
 お茶とお菓子を勧めてくれるオルガにお礼を言って、椅子に座る。

「オルガは何見てたの?なんか難しい顔してるように見えたけど」

 オルガの手元に目をやると、それはお菓子作りの本だった。裏には、図書館のラベルが貼ってある。

「お菓子づくりでも始めるの?」

 時計店には、いつもお菓子が置いてある。今日みたいに突然ふらっと遊びに来ても、お茶やたくさんのお菓子でオルガはもてなしてくれる。
 軽い気持ちで聞いた俺に、オルガはため息をついた。

「う~ん…ちょっと、始めてみようかなって」

オルガにしては歯切れの悪い返事だ。

「何かあったのか?」

 俺は何か深刻なことでもあるのかと心配して聞くと、オルガは、部屋の奥を伺うようにしながら、声を潜めた。

「実は…」

「こんにちは!サワー!遊びに来たよー!」

 時計店の扉が勢いよく開けられ、オルガの声をかき消すかのように表れた突然の来訪者。
 ぶんぶんと音がしそうなくらい尻尾を振りながらご機嫌で現れたのは、スイとテンだった。
 そして、その声に呼ばれたサワさんが、いつもの不機嫌な顔で奥から現れる。

「…どこに行く?」

 不機嫌そうな声は、意外にも遊びの誘いに乗り気なようで、いそいそと出ていこうとする。
 その手には、半透明のビニール袋。透けて見えた中身は、たくさんのお菓子。

「…行ってくる」

 サワさんは当たり前のように、スイとテンと出かけて行った。
 1人と2匹が嵐のように去っていったあと、ぽかんとする俺の横で、オルガがため息をついた。

「見たでしょ、今の」

 うん、見た。何だったのだろうかというくらい、一瞬のできごとだったけど。

「最近、ああやって出かけていくのよね。いえ、出かけるのはいいんだけど…」

 オルガが言いたいことはわかる。多分、サワさんが手に持っていたものが問題なんだろう。

「…お菓子が、大量に消えていくの」

 消えていく先は、テンとスイのおなかの中。
 オルガが再びため息をつく。

「…だから、いっそ作ったほうがいいかなって…」

 三度目のため息をついたオルガは、手元の本に目を落とす。
 俺は、そこでちょっとした違和感に気づく。オルガが本当に悩んでいるなら、サワさんは気づくはずだ。
 だけど、さっきのサワさんは気にしているようではなかったし、だとすれば、オルガは本気で悩んでいるわけではないのだろう。だったら、俺が言えることは。

「オルガ、作ったら、俺にも食べさせてよ」

 俺はとびきりの笑顔を向ける。
 それにつられて、オルガも笑顔になる。

「まったくもう。勝手なんだから」

 後日、オルガが事務所に届けてくれたクッキーは、甘くて、とてもやさしい味がした。


※エピソード一覧

・第1部
ep1「鈴の行方
ep2「星に願いを
ep3「スカイ・ハイ
ep4「歪んだココロ
ep5「ねじれたモノ←今回のお話
ep6「水の衣
ep7「嵐の前の静けさ
ep8「諦めと決意
ep9「囚われの君へ

・第2部
ep1「北のウォール街のレストラン
ep2「高嶺の花

※創作大賞2024に応募します!

#創作大賞2024
#ファンタジー小説部門

古き良きを大事にする街で語られる、付喪神と人間の物語をどうぞお楽しみくださいませ。

※コメントはこちらから

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