見出し画像

坂の上のつくも|ep6「水の衣」

 にゃあ。
 毎週行われる猫の集会。今日集まったのは10匹ほどだ。
 その中で、ひときわ目を引く一匹の猫。特段大きいわけでもなく、小さいわけでもなく。ただ、ある種のオーラを放つ三毛柄のその猫は、金色の眼を細めてあくびをしながら、ほかの猫の報告を聞いていた。

「何だい、噂話って」

 今日3番目に報告をしていたサバトラの話を突然遮って口をはさんだその金眼は、2本の尻尾をゆっくりとくゆらせながら、今、猫の間で広まっているという話について問い質した。

「龍宮閣に何か見知らぬ者が住み着いたって話でさ」

 サバトラは、先の説明を繰り返す。
 住み着いたのが猫ではないのは間違いなくて、人の姿をしていたという猫もいれば、細長かったという猫もいるし、空を飛んでいたなんて話をする猫もいた。
 その本当の姿が何かはわからない。ただ、何者かがいるのは間違いないという。

「あんたはそれを見たってのかい」
「見てないですよ。あっしはギンに聞いたんでさ」

 金眼に問われたサバトラは、とある飼い猫の名前を出す。

「ギンは家猫だろ。外には出てないんじゃなかったかい」

 金眼から言われて、サバトラはそれはそうですねと首をひねる。

「きっとギンも誰かから聞いたんでさ」

 金眼は、そりゃあ大した話だねと言うと、昼寝を再開した。


episode6 水の衣「見回りを求める声」

 便利屋の事務所である旧寿原邸で、俺はスハラと小樽市の地図を前に頭を抱えていた。
悩みの原因は、一つの依頼。
 先日の事件のあと、犯人が判明したにせよ、まちの中にはまだ不穏な雰囲気が漂い、それを心配する声も多くあることから見回りを続けてほしいという依頼が、まちの世話焼き係である安西さんからあったことだ。

 だけど、小樽というまちは結構広い。
 この近辺を見回るだけなら俺とスハラで十分だろうけど、もっと広い範囲でとなると難しいだろう。
 幸い、散歩大好きのスイとテン、その保護者としてミズハが協力してくれることになったから、少しは楽になる。だけど、少ない人数で見回るのは、やはり結構大変だろう。

「いや、悩んでもしょうがない。私たちのやれる範囲でやっていこう」 

 スハラに言われて、俺も少し肩が軽くなる気がした。
 人手が必要だったら手伝うよと言ってくれたオルガとサワもいる。今はまだ2人の手は借りていないけど、その時がきたら声をかけよう。
 悩んで閉じこもっていても、何も進まない。やれることを順にやっていけばいいんだ。
 スハラは、俺が前を向いたことを感じ取ったらしく、早速見回りのスケジュール表を作ると、ミズハに届けにいった。

 2日後。
 ミズハとスイ・テンの見回り組は、小樽公園でソフトクリーム休憩をとっていた。
 昔は遊園地や動物園があって親子連れでにぎわったこの公園は、それらがなくなった今でも、憩いの場として、人々を迎え入れてくれる。
 今日の見回り、別名散歩を始めて1時間は経過していた。まちに特段の異変はなく、空は気持ちよく晴れていて、風が心地いい。
 特にテンは、もともとの目的を理解しているのかいないのか、目の前のソフトクリームのことで頭がいっぱいのようで、目をキラキラさせながら食べていた。
 ミズハも、その様子をほほえましく思って眺める。これがただの散歩ならどんなにいいことか。
 ミズハは、最後の一口を食べ終わると、すでに食べ終えて満足そうな2匹に声をかけた。

「次はどこへ行く?」
「上まであがろう!」

 かつてほどではないにせよ、あちこちから聞こえてくる遊びに来た子供たちの声をすり抜けて、ミズハとスイ・テンは見晴台へと向かっていく。

「スイ、競争しよう!」

 途中で駆け出したテンを追って、スイも走り出す。
 ミズハは、気を付けてねとだけ言って、うしろをゆっくりとついていった。
 到着した見晴台は、ミズハたちのほかには誰もいなくて、カモメの声が響き渡る。
 海のほうへ目を向けると、公園から一直線上に水天宮が見える。

「本当、いい天気ね」
「そうだね。気持ちいいよね」

 思わず言葉にしてしまったミズハに、スイが応える。テンは、少し離れたところで何かを追いかけているようだ。

「ミズハは、まちの異変を何か感じてるの?」
「う~ん…今はよくわからないわ」

 ミズハはそう言ってスイの少しだけ心配そうな顔を覗き込む。

「わからないけど、たとえそれが悪意からくるものでも、そこまで本当に悪いっていうものじゃないと思うの」
「我は難しいことはよくわかんないけど、みんなが笑っていられたらいいなって思う」

 ソフトクリームもおいしかったよねと、スイは顔をあげて、ミズハを見つめた。

「ミズハ!大変だよ!」

 突然、ほのぼのとした雰囲気を破って戻って来たテンが、何事かが起きたことを訴える。

「変なのになった!逃げなきゃ!」

 テンは、焦りから説明にならない説明を繰り返す。

「慌てないで、テン。どうしたの?」

 ミズハに促されて、テンはやっとの思いで後方を指す。
 その手の先、少し離れたところには何やら不気味に蠢く一つの影が見えた。

「何かしら」

 ゆっくりとしたスピードで近づいてくるその影は、どうやらミズハたちに向かって来るように見える。
 ミズハは、その塊がはっきり見える位置に来た時、身体中に鳥肌が立つ感覚に襲われた。
 人の形をしたそれは、泥のようなものでできていて、表面はどろどろしているように見える。
 そして、眼は空ろで、ぽっかりと暗く穴が開いているようだった。

「何あれ、こわい」

 いつの間にかミズハの影に隠れていたスイが、震えた声で言う。テンは、その隣で音がしそうなくらい震えていた。
 ミズハは冷静に、周りを見回して何もないことを確認し、さらにはゆっくりと迫ってくる泥人形との距離を考えると、走って逃げればあれに追いつかれることはなさそうだなと思う。
 しかし、震えている2匹は走れるだろうか。

 ミズハが、2匹に声をかけようとしたそのとき、泥人形の後方で悲鳴に似た叫び声が上がった。

episode6 水の衣「ミズハ、スイ・テンvs泥人形」

「なんだ!あれ!」

 ミズハが声のほうを見ると、そこには数人の子供たちの姿があった。
 どうやら、ほかの場所で遊んでいた子供たちが、見晴台に上がってきてしまったようだ。
 泥人形は、空ろな視線をミズハたちから外すと、ぐるんと後ろを向く。
 どうやら子供たちへ照準を合わせてしまったようだ。
 泥人形の暗い視線に絡められて、子供たちは改めて悲鳴を上げる。

「早く逃げて!」

 ミズハは声をあげるが、その声では恐怖に立ちすくむ子供たちを動かすことはできそうにない。
 それなら。
 ミズハは意を決して、スイとテンに声をかける。

「スイ、テン、水の衣をつくるから、あれを倒してきて」

 ミズハは水天宮の付喪神であるため、水天宮の祭神に関連して水を様々に操ることができる力がある。
 普段、その力を発揮する場面は全くないが、実は邪気を祓ったり、悪いものから身を守るように水を扱うことが得意だった。
 ついでに、スイとテンも獅子・狛犬の付喪神なだけあって、普段はただの食いしんぼうだが、邪気などには取り込まれない強さをもっている。

「やだよぅ、我こわいよぅ」
「私がついてるから大丈夫よ」

 泣き言を漏らすテンに、ミズハは容赦なく水をまとわせる。
 程なくして水をまとったスイとテンは、覚悟を決めて、子供たちを守るように、泥人形へ駆けていく。

「うぅ、正面から見るとやっぱり怖い」
「ミズハがついてるから大丈夫」

 怖気づくテンに、スイが自身も声を震わせながら励ます。
 2匹の恐怖が伝わってか、後ろにいる子供たちが息を飲むのがわかる。

「せーの、で行くよ」
「うぅぅ、わかったよぅ」
「せーのっ」

 2匹は声を合わせると、泥人形目がけて飛び込んだ。

———ばちん!

 何かが大きくはじけるような音が響いて、辺りが光で一瞬白く染まる。
 その一瞬で泥人形は消えて、さっきまで蠢いていたものはただの泥となって落ちていた。

「…消えた?」

 子供たちの一人がつぶやく。
 その声に、他の子供たちも恐怖から解放されたのか、消えたと騒ぎながら、勢いよく走って去っていく。
 残されたスイとテンは、駆け寄って来たミズハの大丈夫?という声に我に返ると、口々に怖かったと騒ぎ鳴く。
 ミズハは2匹をなだめながら、泥人形だったものへ視線を向ける。
 ふと、その中にひらめくものを見つけた。

「何かしら」

 2匹と近寄ってみると、それは破れかけていたが、人の形をした小さな紙片だった。

「そうだ、これがさっきのになったの!」

 テンが言うには、さっき追いかけていたのはこの紙片だったらしい。そして、それが地面に落ちたかと思うと、急に泥をまとって動き出したとか。

「我、びっくりしたよ!」

 その時を思い出して、テンは少し大げさに身震いする。

「なんだろ、それ」

 つられて身震いしたスイは、紙片に鼻を近づける。
 ふんふんと匂いを確認していると、横からミズハが紙片をつまみ上げた。

「ミズハ、それどうするの?」

 まだ少し恐々と見ているテンの鼻先へ紙片を差し出す。

「持って帰って、スハラにも見せるわ。このまま放っておいてまた悪さをしたら困るしね」

 ミズハは、紙片をハンカチに挟むと、落とさないようにポケットへしまい込んだ。

episode6 水の衣「スハラ、尊vs泥人形」

 小樽公園でミズハたちが泥人形に遭遇していたころ、俺は、スハラとの見回りで北運河に来ていた。
 竜宮橋へ差し掛かると、目の前には北海製罐の大きな工場が見えてくる。とある特撮シリーズで登場した建物は、いまだその威厳を保って堂々と佇んでいた。

「スハラ、そういえば、北海製罐の話ってどうなったんだ?」
「どうって?」
「新たな活用って何か決まったのか?」

 北海製罐第3倉庫の取り壊しのニュースが報道されたのは、少し前のこと。
 そのあと、取り壊しは1年延期になって、その間に使い道の検討がされることになったと聞いている。
 だけど、その検討がどうなっているのか、特にニュースにもなっていないし、まちの話題にもなっていない。

「…まだ、何も決まってないよ」

 少し暗い声のスハラは、立ち止まって北海製罐第3倉庫を見上げた。その眼には何が見えているのだろうか。

「あそこには、仲間がいるんだけどね」

 ぼそりとつぶやくスハラの声は、風に消えそうだったが、何とか俺の耳に届く。

「スハラは北海製罐のヒトと仲良かったよな?」
「うん。私のほかに、オルガやミズハ、リクも仲が良いよ」

 俺は以前、リクが北海製罐のヒトの話をしていたのを思い出す。差し入れを持って行ったとかなんとか。
 そのときは単純に仲が良いというより、姉を慕う弟のように見えていた。

「俺は会ったことないんだよなぁ……北海製罐って、どんなヒトなの?」
「セイカ…彼女はあまり外に出られないからね。付喪神でも会ったことのある人は少ないんだよ」

 建物自体はあまりにも有名なのに、存在は希薄な北海製罐の付喪神。
 港のシンボルのように佇みながらも、取り壊しが近づくという市内でも稀有な建物。

「…会ってみたいな」
「興味本位なら、会わないであげて」

 俺の望みはスハラにあっさりと砕かれる。
 あまりにもきっぱりとしていて驚いた俺を無視して、スハラは歩き出した。

「この辺は変わったことはなさそうかな」

 総合博物館の近くまで来て、スハラは辺りを見回すと、さてどっちに行こうかなと考え出す。

「そろそろ帰らないか?」

 俺の提案に、スハラは頷く。
陽は傾いて、辺りは暗くなり始めていた。

「じゃあ、もうちょっと行ってから、小樽駅前を通って帰ろうか」

 博物館を越えて、手宮洞窟まで行く。
 つい先日、ここで翔と会ったんだっけ。
 あの時は真っ暗闇での遭遇だったし、翔の醸し出す異常な雰囲気にかなり驚いた。
 あの時の翔が削ろうとしていた壁は、今は修復されて何事もなかったかのように夕日に照らされている。
 小樽駅前へ向かうように移動し、総合博物館の裏へ差し掛かったとき、俺は妙な気配を感じて振り返り、思わず声をあげる。

「うわぁ!!」

 俺の驚いた声にスハラが振り返る。そして、短く悲鳴を上げた。

「何、それ」

 そこには、どろどろとした人の形をしたものが蠢いていて、俺たちに襲い掛かろうと目前に迫っていた。
 幸いなことにその泥人形は動きが緩慢で、逃げるのは簡単そうだ。だけど。

「何かわからないけど、ほかの人を襲ったら困るわ」

 スハラは、迷わず泥人形に向き直ると、そばに捨てられていたビニール傘を拾い、泥人形へと立ち向かう。
 袈裟懸けに振り下ろされた傘は、見事に泥人形を砕き裂く。
 しかし、泥人形はすぐに形を戻すとスハラを追ってくる。
 スハラが何度砕いても、泥人形はその形を戻し、倒れる様子がない。

「も~なにこれ!」

 半ばヤケになったスハラが、傘を振り回すが、それに合わせて泥人形は崩れては戻ることを繰り返す。

「いい加減にして!」

 スハラが、大きく薙ぎ払うと、泥人形はとうとう崩れ、ただの泥の塊へと戻ったようだった。

「本当、何なの。これ」

 少し息の上がったスハラは、泥の塊に近寄り、傘の先でつついている。俺は、呆然としたまま立っているのがやっとだった。

「ちょっと尊。何呆けてるのよ」

 付喪神はこれまでたくさん見てきたけど、こんな異形のものは初めて見た。
 それをスハラに伝えると、私もこんなものは初めて見たとスハラにしては珍しく険しい顔をする。

「こんなイキモノ聞いたこともないし……あれ、これなんだろう」

 何かを見つけたスハラは、泥を突いていた傘を止めてしゃがみ込むと、泥の中から紙片をつまみだした。それは人の形をした小さな紙片で、破れてちぎれそうになっている。

「……これ、何かの術かな?」

 スハラは参考までにと紙片をしまう。
 俺は、今目の前で起こっていたことの情報処理が追い付かず、あいまいに頷くことしかできなかった。

※ ※

 北海製罐第3倉庫は、解体されるのか。否か。
 何らかの活用方法を考える上では、耐震や法律などいろいろな問題が絡んできてしまう。
 これは誰か一人の意思で決まるものではないし、もちろん存続を願う人たちがどうにかしようと活動しているのも知っている。
 だけど。
 解体まで1年の時間がもらえたところで、具体策が見えてこない限り、それはただの余命宣告でしかなく、自分が消える日を待つだけの、心が歪んでしまいそうな日々を1年間過ごさなければならないということだ。

「セイカ、大丈夫?」

 いつも心配して様子を見に来てくれる目の前のヒトに弱音を吐くことは簡単だろう。
 だけど、自分以上に顔色の悪いヒトに、これ以上の心配はかけられない。

「大丈夫よ、心配してくれてありがとう」

 できる限りの笑顔を作ってみるけれど、どれだけ笑えているのかわからない。
 いつかまた、心から笑える日が来ればいいのに。
 そんな願いを、神様は叶えてくれるのだろうか。

episode6 水の衣「依り代」

 得体の知れない泥人形に遭遇した次の日。
 スハラと俺が、先日拾った奇妙な紙片を持って水天宮に行こうという話をしていると、来客を知らせるインターホンが鳴った。
 玄関には、ちょっと困ったような顔をしたミズハとスイ・テン。

「スハラ、尊、今いいかしら?」

 俺がミズハと2匹を迎え入れると、突然の来訪にちょっとびっくりしたような顔をしたスハラが、一拍の間をおいてお茶を入れ始める。
 みんなが座って落ち着いたところで、ミズハは眉をひそめて話し出した。

「昨日のことなんだけどね、」

 ミズハは視線を一瞬だけ2匹へ落とす。
 すると、ミズハは心配そうに見上げる2匹と目が合ったようで、一度深呼吸して、改めて話し出す。

「昨日、見回りで小樽公園へ行ったの。そしたら奇妙なものに遭っちゃって」

 そう言いながら、ミズハがポケットから取り出したハンカチを開くと、そこには昨日俺とスハラが見つけたものと同じに見える人型をした紙片が包まれていた。

「多分これが依り代みたくなって、泥をまとって動く人形になったんだと思うの。意思は感じられなかったけれど、襲ってくるような感じはあったわ」

 視線を紙片へと落としたミズハは、軽くため息をつく。

「あまり考えたくないけれど、誰かがやったことだと思うの。こんなものが勝手に動いたりはしないだろうし」

 悩ましい表情を浮かべるミズハ。その足元の2匹は、落ち着きなく尻尾を振っている。

「スハラはどう思う?これ、ほっといたらだめなやつだよね」

 俺は今まで、ミズハが誰かや何かを悪く言うのを聞いたことがない。
 どんな場面でもヒトや人を信じているように見えていた。そんなミズハが、疑いを持たざるを得ないような事象。
 紙片を見たまま黙って何かを考え込んでいるスハラに、ミズハは言葉を重ねていく。

「また誰かを襲いだしたらどうしよう。まちの人も危ないのかな」

 不安を隠さないミズハに、スハラがやっと口を開く。

「…これの意図はわからない。だけど、私たちで何とかできるならしなきゃ」

 決して明るくはないけれど、強い意志を宿すスハラの声。

「ミズハ、協力してくれる?」

 うん、と頷くミズハを見て、やっと口元を少し緩めたスハラは、昨日、俺たちに起きたことを説明していく。

「実は、私たちも昨日、その泥人形に遭ったの」

 スハラが取り出した紙片を見て、ミズハは目を丸くする。

「これ…!」
「そう、ミズハが持ってきたものと同じだと思う」

 違う点は、それらが破れている部分くらいだろうか。
 スハラが出したものは、胴の部分でやぶれており、ミズハが持ってきたものは全体的にぼろぼろになっていた。

「昨日、私たちは手宮方面へ行ったの。これは総合博物館の裏辺りで遭ったわ。なかなか倒れないからどうしようかと思っちゃった」

 スハラは昨日を思い出したのか、苦い顔をしている。
 俺は、空ろに見えた泥人形の目を思い出し、背筋が寒くなる。

「これで2体。考えたくないけれど、まだ出てくると思っておいたほうがいいと思う」

 スハラもミズハも、そして俺も難しい顔をしていたのだろう。
 スイとテンが不安そうに見上げている。

「ところでミズハ、これどうやって倒したの?私、何回切っても復活したのに」

 振り回したのは傘だったけどと付け足すスハラに、ミズハは今日初めて、ふふっと微笑む。

「スイとテンと、水でね」

 あぁそうか。そういえばミズハは水を操れたっけ。それで祓ったというミズハは、スハラも倒せたんでしょう?と問う。

「私は…なんで倒せたかわかんないんだよね。本当に何回斬ったかわからないし、なんで急に復活しなくなったのか…」
「その紙、破けたからじゃない?」

 急に足元で喋り出したテンは、ぴょんぴょん跳ねながらテーブルの上を覗き込む。

「だってさ、依り代ってそういうものでしょ?」
「そうなのか?」

 そういうことにあまり詳しくない俺の問いに答えたのは、ミズハだった。

「確かにそうかもしれない。媒体となる本体が壊されれば、具現化して形を得ていたものも消えてなくなるのはよくあることよ」

 よく気付いたわね、とミズハがほめると、テンはうれしそうにちぎれるんじゃないかというくらいに尻尾をぶんぶんと振る。だけどすぐさま、ミズハは声のトーンを落とす。

「でもその場合、泥人形の内部にある媒体を的確に壊さなきゃならないから、結構大変かもしれないわね」
「ミズハは水を使えば、泥人形の本体全部を吹っ飛ばせそうだから大丈夫じゃない?」
「あ、そっか」

 スハラに言われて自分の能力を思い出したのか、ミズハは表情を明るくする。

「でもそれなら、私には難しいかな」

 確かにスハラは、そういう力は使えない。もちろん、人間の俺にもそういう力があるわけがない。

「スイとテンはどうなんだ?」

 俺は2匹を見るが、当の2匹はお互いを見合わせて首をひねっている。だから答えたのはミズハだった。

「この子たちならできると思うわ。泥人形自体はそんなに力の強いものじゃなさそうだし、スイとテン単独でも十分対応できると思う」

 ミズハにそう言われた2匹は、ミズハが言うならと胸を張る。

「対応できるなら、見回りも考えなおさなきゃ…」

 スハラが言い終わる前に、インターホンが来客を告げる。そして、それと同時に玄関ドアが勢いよく開けられる音が響いた。

episode6 水の衣「被害は街へ」

「尊くん!スハラ!いるかい!」

 玄関から聞こえるのは、焦ったように俺たちを呼ぶ声。
 何事かと2人で顔を出すと、そこには堺町通りでお店をやっている沢田さんがいた。

「あぁよかった、2人ともいたんだな。ちょっと来てくれ!」

 説明もなく俺たちを引っ張っていこうとする沢田さんに、ちょっと待ってと靴を履くが、間髪入れずに腕をひかれる。

「通りに変なものが現れたんだ。店先のものを手あたり次第に壊していて、でも俺たちじゃ止められない」

 走りながら、沢田さんの説明にならない説明を聞く。
 だけど、何かが起きているってことがわかるだけで、全容がわからない。
 いつの間にか並んで走っていたスイとテンが、先に行くね、と俺たちを追い越していく。

 坂道を下って堺町通りにつくと、そこは逃げ惑う人々で混乱していた。
 俺たちはその中を逆走するように、騒ぎの中心と思われる場所へ向かう。

「あれって…」

 旧戸出商店の前でゆっくりと蠢めく2つの影。
 それは、俺たちが昨日遭った泥人形だった。
 先についたスイとテンが、泥人形に向けて唸り声をあげている。

「やっぱりまた出たんだ」

 スハラの怖い声が耳に届く。
 予想されていたとはいえ、こんな短期間に現れるとは。しかも、はっきりと悪意を持って人々を混乱させている。
 俺たちの到着に気づいたスイとテンが、叫ぶ。

「ミズハ!これ、どうすればいい?」
「昨日と同じようにしてみて!」
「でも水がないよ!」
「大丈夫!あなたたちなら祓えるから!」

 ミズハに言われて、泥人形に向き直ったスイとテンは、地面を蹴ってそれぞれ泥人形に突っ込んでいく。
 気のせいか、スイとテンの身体が白く光っているように見える。

「でやっ!」

―――ばちん。

 何かがはじけるような音が響いて、辺りが光で白く染まる。
 しかし、それは一瞬のことで、すぐにもとの景色に戻る。
 泥人形は、スイとテンの足元でただの泥と化していた。
 その様子を遠巻きに見ていた人々が、あれは何だったんだと口々につぶやく。

「尊くん、あれは一体…?」
「俺にもわかんないですよ。ミズハとスイとテンだけがあれを倒せるってことしか……」

 沢田さんに聞かれても、俺は答えを持っていないし、きっと今、あれが何かわかっている人は誰もいない。
 スハラも、ミズハでさえもよくわかっていないんじゃないか。

「尊、行こう」

 不意にスハラに呼ばれて振り返ると、スハラはすでに歩みを進めていて、その後をミズハとスイ・テンがついていっている。
 俺は、沢田さんに、またなんかあったら声かけてくださいと頭を下げて、急いでそのあとを追いかけた。

 スハラが向かったのは旧岩永時計店で、店の前には、サワさんが仏頂面で立っていた。

「やっぱり来たか」
「どうしてそう思うの?」
 問うスハラに、サワさんは聞こえたからとだけ答えて、店のドアを開けてくれた。

「いらっしゃい」

 俺たちを迎えてくれたオルガは、すでに人数分のお茶と、スイとテンにはお菓子を用意してくれていた。
 だけどスハラは、席に着くことなく、立ったまま話し出す。

「オルガ、私たちに協力して」

 ストレートなお願いに、オルガは微笑む。

「えぇ、もちろん。でも、とりあえず座りましょう?」

 お茶が冷めてしまうわ、とオルガはにこやかに俺たちを促す。最初に席についたサワさんにつられてみんなが座ると、オルガが切り出す。

「さっき、通りで何かがあったんでしょう?」

 スハラが詳細を話していく。今日のこと、そして昨日のこと。
 話を聞き終えたオルガは、表情が曇っていた。

「思っていたより、深刻かもしれないわね」
「えぇ。だから、見回りだけでも手伝ってほしいの」
「私にできることなら、喜んで協力するわ」

 オルガが快く引き受けてくれたことで、スハラは早速、見回りの相談を始める。

「泥人形を祓えるのは、ミズハとスイとテン。スイとテンはばらばらでも祓えることがさっきわかったから、そこは別行動にしよう」

 スハラはバランスを考えてチームを分けていく。テンとオルガ、スイと俺、スハラとミズハ。

「ちょっと待て」

 ずっと黙っていたサワさんが、スハラに異論を唱えた。

「オルガは行くな」
「じゃあ、あんたが行くの?」

 スハラがサワさんへ鋭い目を向ける。

「あぁ、俺が行く。それでいいだろ」

 有無を言わさない目のサワさんに、スハラは随分な心配性だと軽くため息をつくと、わかったと了承した。
 そんな2人のやりとりに、オルガは苦笑いを浮かべている。

「じゃあ早速だけど、みんな、明日からお願いするわ。見回りの時間はそれぞれに任せるから。だけど、無理だけは絶対にしないで」

 スハラに言われて、みんなが頷く。

「1週間後に、また集まりましょう。みんな気をつけて」

 この時はまだ、この泥人形の事件があんなことになるなんて、俺は考えもしなかった。

※ ※

 今日も様子を見に来てくれたヒト。
 昨日よりもずっと暗い顔をして、余命が尽きるのを待っているのが一体どちらなのかわからないくらいに、落ち込んだ顔をしている。

「セイカ、顔色が悪いよ」

 私を見て、明るかった表情に差した影。
 このヒトはこんな顔もするんだなんて考えながら、私は空を見上げる。
 鳥のように自由になれたらと望んだこともあったけれど、今の望みは、みんなや、私を心配してくれるこのヒトを悲しませたくないということ。

 だけど、今の自分にそんな力はない。
 だったらせめて、消えるその日まで、少しでも悲しませないようにできれば。

「あなたこそ酷い顔をしているわ」

 私を覗き込む光を失ったかのような眼に、自身の表情のない顔が映る。私はこんな顔だっただろうか。

「無理、しないでね」

 私を心配してくれる、大切なヒト。


※エピソード一覧

・第1部
ep1「鈴の行方
ep2「星に願いを
ep3「スカイ・ハイ
ep4「歪んだココロ
ep5「ねじれたモノ
ep6「水の衣←今回のお話
ep7「嵐の前の静けさ
ep8「諦めと決意
ep9「囚われの君へ

・第2部
ep1「北のウォール街のレストラン
ep2「高嶺の花


※創作大賞2024に応募します!

#創作大賞2024
#ファンタジー小説部門

古き良きを大事にする街で語られる、付喪神と人間の物語をどうぞお楽しみくださいませ。

※コメントはこちらから

最後までお読みいただきありがとうございます。
もしご感想等ございましたら、大変励みになりますのでよろしくお願いします!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?