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”美味しくなぁれ”の呪文の秘密 「つまらない文章ばかり書くようになってしまった」と私が嘆くようになったワケ
学生食堂の料理長を取材したときのことだ。美味しい料理を作る秘訣について訊ねると次のような言葉が返ってきた。
「”美味しくなぁれ”の呪文をかけることですよ」
と語った料理長は、学生たちから「オッちゃん!」と親しみを込めてよばれている。格闘技を覚えた熊のような厳つい男の口から、よもやこんなに可愛らしい仕事論が語られるとは思っておらず意外だった。
答えるのが面倒だから煙にまかれたか。やれやれ俺はインタビュアーとしてまだまだ至らぬなぁ・・・などと思ったのはつかの間で、詳しく聞けば「美味しくなぁれ」の呪文とは、論理的に無意識を制御するために用いるある種のメソッドと理解した。
つまり、こういうことだ。
「食材は毎日変わります。食べてくれる人は体調が毎日異なりるのが当たり前です。自分の調子や感性も日々ぶれていると感じます」
「定められた手順通りにやっても美味しいものはできないわけです」
「今日の鶏肉は仕入れがあまりよくなかったから、下味の漬け込み時間を長くとろうとか。テストシーズンは学生たちが疲れているから、胃にもたれないように油を少なめに調整しようとか。こういうことに気づかなければならない」
つまり、イレギュラーを察知する必要があるわけだ。
「だから、”美味しくなぁれ”の呪文を唱えるんです。お料理を美味しくするために必要なことを、最後までやりきるために必要な儀式なんです。マニュアル通りにやったからOKなんていう気持ちは起こらなくなりますね」
本音を言えば、料理長の言葉に私はドキッとした。ちょうどそのころはインタビュアーの仕事に慣れてきたころで、作家性を求められるタイプの書き手ではないから、要件の通りに文章を書けばクライアントチェックはだいたい通る。しかし、料理長の言葉を聞いてこのように思ったわけだ。
「そこに面白さはあるのかい」
ここでいう面白さとは、「読む価値」というぐらいに広義で捉えてほしい。クライアントの顔ばかりを見て仕事をしていた私は、読み手の顔を想像していなかったように思う。自分は作家じゃなくてライターだから、という言い訳をしていたように思う。いつか作家として脱皮できるのだからという鼻につく意識の高い系の性根があったのかもしれない。
要するに、反省したということだ。以来、クライアントの目的に競合しないよう調整しながら、トンマナに沿った面白さを模索するため苦心するようになった。
面白いと心底思える文章はついぞ書けたことがない。しかし、つまらないとすら以前は思わなかったのである。退けば拓けた視界に恐れ入り。
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