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心について思うこと

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心について思うこと

最近の記事

年末の足音に耳を傾けてみた

眠れないので書いている。書きたいことがあるわけではない。何も悪くない。気になるとすれば休みたいというストレスからスマホを見過ぎてしまうこと。でも忙しい雰囲気に充実感を感じている自分もいる。焦り過ぎている感じがする。今は安定や変わらないことを望んでいる自分がいる。時間の捉え方がマクロからミクロに変わったからだろう。それは子供時間とも言えるかもしれない。確かに頭がパンクして身体も忙しなく動き、タスクが間に合わないと眉間に皺が寄ることも多いのだが、自分の手で時間を紡いでいる様にも感

    • 気付いていないという驚き

      違和感とまではいかない。ぬるま湯というわけでもない。刺激が欲しいわけではない。ただこのまま日々が過ぎていって本当によいのだろうか、と少しだけ思う。どうなりたいのかが沼の中にいるように分からなくなっている。乳児子育て特有の現象だろうか。元々アイデンティティは漠然としていて砂のように無理矢理固めている状態だったので、良くも悪くもその負荷がなくなり、また崩れた。しかも今はただの砂ではなく宇宙空間にでも繋がっているようなまばらで定位置のない存在不明のよく分からない状態。でも現実界では

      • たったそれだけのこと

        いつも寝かしつけの時間は21時。たった一時間早く寝室へ行って敷布団のある部屋でずり這いを始めた子供を遊ばせながらゴロゴロしているだけで疲れがかなり緩和された。昼間は体内リズムや罪悪感もあってか眠れず夜は夫と21時まで会話した後寝かしつけて結局その後皿洗いを済ませるために起きなければいけなかった。それが20時頃おやすみをして自分の部屋で休んでくれたお陰で、家事が終わった後も寝かしつけまで少し時間の余裕があり寝室なので横になって休むこともできるという素晴らしい時間を過ごせるように

        • 寝た方がよいのは確か

          なぜ書いているのだろう。眠気があるにも関わらず。肩周りから背中全体が凝っている。疲れている。子供は可愛い、こんなことをしていていいんだろうかという逡巡もない。というより考える余裕がない。休み方が分からない。やるべきことをやるというタスクで精一杯。一人の時間を欲しているので眠りたくないのだ。眠いのだけど。働かない頭でごちゃごちゃ考えたり迷ったりしているうちに、ごっそり時が経つ。不安が、寄せては返す波のように、ずっとは続かないが何度も訪れる。ちゃんと休めていない。このままではよく

        年末の足音に耳を傾けてみた

          子育ての神様

          勢いに任せて連投。台風の影響で降ったり晴れたり気圧も乱高下。偏頭痛持ちになりつつある。一種の癖のようなものだと私は感じる。腱鞘炎に近い。ある程度温存すれば治るが、気象変動や目の酷使などで容易に発症してしまう。睡眠不足も重なっている。一人の時間が欲しい。書きたくないが溜めたくないので今嫌なことを書き出す。子供を義父母に預けること。なぜだか分からないが、取られる感覚がする。世間的に、親は自分に都合が悪いことも正直に言ってくれる有難い存在なのかもしれないが、私はそうは思わない。第三

          子育ての神様

          子育てを通じて自律とは

          変な天気だ、暑い、夜なのに気温が上がっているのではないかというくらい、どんどん空気が水を吸い上げ、体が急に汗ばんだのでむず痒くなって目が覚めた。同じく泣いて目を覚ました子供を抱きながら暫くあやしていると、ザーッと雨が降り始めた。おかしな天気だ。子供が再び寝付いたので序でに起き出して放置していた食器を洗い、翌朝用の洗米を済ませた。そしてようやく眠ろうという時。明日朝やることが残っているので寝なくてはいけないのだが、すぐに寝付けず、睡眠を妨害するとは分かっていながら、この文章を打

          子育てを通じて自律とは

          子育ても仕事も・・・

          結局追い詰められてくる。転職しても追い詰められなかったことはなかった。子育てももうその状態にきた。愚かで傲慢なのだろう。頼りたいのに頼れなくて、ほとんど意地になっている。どうせ助けてくれない。一人でやらなければ誰も何もしてくれない。このモードになってしまったらなかなか抜け出せない。博打のようなものではないか、ハマったことはないけれど。途中でやめられないのだ、恐ろしいことに。標的もないのに弓を引き始めて、手がプルプル震えて、周りが見えなくなってきて、そこまで辛いのにその手をどこ

          子育ても仕事も・・・

          もやもやを辿って

          もう、爆発しそうだ。というより溶け始めているような、腐っているような。湿気と相まって心がドロドロになっている気さえする。違う、心の状態は悪くない。溜まり過ぎている、のかいないのか毛頭分からない。最早私でいようとした瞬間何かが崩れそうだ。私の存在が、5ヶ月の息子に半分溶け込んでしまっている。これが異常なことなのかは分からない。表面上は何事もなく装っていても、誰かに預けるということだけで、自分が半分闇になるような喪失感を覚える。いやただの罪悪感だろうか。自分本位の子育てになっては

          もやもやを辿って

          幸せを願うとき

          人は幸せになりたいがために努力する。この欲求は死ぬまで続く、生きることそのものだ。目標達成することで得るか、現状のまま認識を変えること(感謝など)で得るか。そもそも幸福感というのはそれほど重要なものなのだろうか。確かに子供には幸せになって欲しいと心から願う。この幸せとは一体何をさすのか。やはり目標達成や感謝、恵まれた人間関係などから得る歓喜をより多く味わうことだろう。幸せを求めると時に喜びが、時に苦しみが訪れる。つい幸せ=喜びという単純な図式に惑わされてしまう。実際は喜びも苦

          幸せを願うとき

          睡眠不足の末路

          色々なことに飽きたような気になっている。情報中毒。カフェインや砂糖やタバコと同じ、ないと落ち着かない。心身にとって必要でないにも関わらず。要は過剰摂取。やめられない。それで仕方なく文章を書いてみる。眠いのもある。授乳で夜間三回起きる日々が三ヶ月続いていてどうしても日中の集中力に欠ける。子供にとって何が大切か、人類の未来はどうなるのかという大それたことを考えてそれらしい答えに辿り着いてみても、現実は睡眠不足の、家事と子育てで手一杯の専業主婦、ただそれだけ。別に蔑みたいわけではな

          睡眠不足の末路

          デジタルに欠落しているもの

          アナログとデジタル。最近思うのはデジタル=便利に対する疑問。便利な反面、不安がどうしても残る。本当に契約や注文が成立したのか、口頭確認がないので自分が何を契約、注文したのか記憶に残らない。ノンバーバルな伝達手段がカットされているので、やはり受け取る情報量や定着力が物足りない。その人の表情や声や空気感のようなものなどから読み取る情報もかなりあることが再認識できる。逆に言えばそれらによって事実が曇ってしまうこと、流されてしまうこともあるのだが。デジタル技術でノンバーバルな伝達を再

          デジタルに欠落しているもの

          子供たちが出遭う未来

          幸せの定義。中二病が再発。ウェルビーイングやSDGsやダイバーシティといえば良いだろうか。ほんの少し引っ掛かりがある。困ったこと、苦しいことがあると普通人は苦労して工夫し乗り越えようとする。もし環境あるいは現実の捉え方を変えることに成功して苦しみがなくなったとして、それだけで幸せといえるだろうか。個人の苦しみがなくなったとしても世界の誰かの苦しみはなくならない。少なくとも私が生きている間の現実世界では。少し前に書いたが幸せとは苦しみの原因となる出来事そのものではなく、出来事に

          子供たちが出遭う未来

          途切れた日記

          まもなく生後三ヶ月の子育て中。眠気がすごい、、なぜこんなに眠いのだろう。朝は以前より一時間くらい早起き、夜は2、3回起きて授乳、お昼の二、三時間は散歩や図書館や子育て支援センターに行ったりしている。仕事に比べれば、あの狭いスペースで機械作業をして、通勤と合わせて8-20時まで拘束されていた時期に比べれば、マイペースに予定を立てられるし、作業中は好きな動画を見られるし、料理も洗濯も食器洗いも必需品の買い物も嫌いではないし、散歩も好き、行き先を考えるのも楽しい、我が子と戯れるのも

          途切れた日記

          結局の幸せ

          過去の記事を久しぶりに読んだが自分ではない別人が書いたみたいだ。理解するのに時間がかかる箇所がいくつもあり不思議だ。なぜ今日は書こうと思ったのか。YouTubeで時のオピニオンリーダーと呼ばれるような有名大学の教授や経営者やご意見番などの座談会や対談や配信を見て、要はダイバーシティやSDGsの実現・AI革命によってこの社会はどう変化して行くのか。民主主義の崩壊や資本主義の限界をどう乗り越えるのか。結局幸せとは何なのか。今は人気や外見や能力の違いによって豊かさの不平等が甚だしい

          結局の幸せ

          平凡な暮らしの中で

          久しぶりの文章。4/19だから息子か生まれて二ヶ月半が経った。徐々に余裕が出て来たがそのせいで少し無理をしてしまったようで、今日はお昼前後三時間ほどを眠って過ごしてしまった。我が子は本当に可愛い。趣味を始めたり、一つの仕事に没頭する余裕はないけれど、子供に付きっきりという訳でもなく、大変というほどでもない。よく眠っているし、お散歩中も割と静かだし、だからといって泣かない訳でも万事順調でもなく、大声で泣いて発散することもあるし、試行錯誤もまあまあしている。ただ仕事をしていた時の

          平凡な暮らしの中で

          人生のもつれの解消

          恐怖に囚われてしまった。孤独感にも。ネガティブな空気に呑まれそう。久しぶりに大好きなウインナーコーヒーを飲んだ。ウインナーコーヒーになら呑まれてもいいなぁ。久しぶりの切迫感。これは必要不可欠な部類に入る気もする。対策するには、何を、何を。。正直分からない。何も手に付かない。訳の分からない焦燥感だけがある。自由が無くなるかもしれないことからの逃走だろうか。息が出来なくなるような。窒息しそうな。食べても寝ても埋まらないような。忘れるしか。それだけ私には自由が大切なんだろうか。大丈

          人生のもつれの解消