結局の幸せ

過去の記事を久しぶりに読んだが自分ではない別人が書いたみたいだ。理解するのに時間がかかる箇所がいくつもあり不思議だ。なぜ今日は書こうと思ったのか。YouTubeで時のオピニオンリーダーと呼ばれるような有名大学の教授や経営者やご意見番などの座談会や対談や配信を見て、要はダイバーシティやSDGsの実現・AI革命によってこの社会はどう変化して行くのか。民主主義の崩壊や資本主義の限界をどう乗り越えるのか。結局幸せとは何なのか。今は人気や外見や能力の違いによって豊かさの不平等が甚だしい上に、技術の進歩によってそれらを資本として世界中の人間が自分の手で市場競争するようになり、広告などの情報過多に疲弊する時代となったが、恐らく何十年何百年後にはそれらは同じく技術によって平均化されるのだろう。逆に考えるとテックや政治経済の体制によって、あるいは自分が行う納税や寄付や福祉活動や芸術活動それ自体によって、幸福度が変わるという思い込みがある。どんな天変地異や大不況や災難病苦に遭ったとしても、意味がないと思われるような機械労働にも、不平等にも、プラスの意味を見出し幸せだと感じられることこそ幸せの到達点であるのに。とはいえどうやって幸せを感じるのか。方法の一つは二種類の快感を得ることである。一つはオキシトシン系、家族のように大切な人と触れ合うことで得られる喜び。もう一つはドーパミン系、新たな挑戦や目標達成などの刺激を与えることで心が躍るような体験をすること、つまり好きなことをやること。やりたくないことが山積みであったり、自分より能力の高い人間が山のようにいるような状況であっても。人に迷惑をかけない範囲で気持ちを切り替え開き直ることが何より大事だ。とんでもないような結論に至ったがこれに限るような気もする。

追記
書き終えた後すぐに玉置浩二の"しあわせのランプ"という歌が浮かんできたので、久しぶりに聴いてみたら同じことを言っていたので驚いた。「幸せになるために生まれてきたのだから好きな人と一緒にいなさい」「大切なことなんか分かってくるんだから好きなことをやっていきなさい」天からのメッセージを真っ直ぐにキャッチしたのだろう。それにしてもいい曲だ。

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