もやもやを辿って

もう、爆発しそうだ。というより溶け始めているような、腐っているような。湿気と相まって心がドロドロになっている気さえする。違う、心の状態は悪くない。溜まり過ぎている、のかいないのか毛頭分からない。最早私でいようとした瞬間何かが崩れそうだ。私の存在が、5ヶ月の息子に半分溶け込んでしまっている。これが異常なことなのかは分からない。表面上は何事もなく装っていても、誰かに預けるということだけで、自分が半分闇になるような喪失感を覚える。いやただの罪悪感だろうか。自分本位の子育てになってはいけないと思う。まるで自分であるかのように振舞うのはよくないと思う。ただそれは空論のような気がする。自分が見たいもの、聞きたいもの、行きたい場所、今もこれからも、それに当てはまるものだけを選択すると思う。正直、純粋に子供のためになることなど分からないし、分かりたいとも思っていないのではないか。知育と言われる教材や環境を与えることは自己満足以外の何者でもない。子供のためにやったと証明できるものを家族や人様に提示して、安心したいだけだ。子育ては孤独だ。家族には実際のところあまり理解して貰えない。皆各々の人生に時間を使うのに夢中で、所詮他人事。勿論私も、自分の事で精一杯。育児前は、自分のことをそこまで見ている人などいないから、他人の言動に悩むのは無駄なこと、と言われてもどうもしっくり来なかったが、ようやく腑に落ちた。本当にその通りである。もしかすると比較するという行為も同じことかもしれない、誰が優れているのか一時は皆注目してもすぐに忘れ去られる。砂のような評価に固執することの愚かしさ。
身体を痛めたり体調を崩したりすると口では心配してくれても、実際はきっちり迷惑がられる。一方で外の世界へ出ると色んな人が助けてくれたり共感してくれたりする。何とか手摺に捕まりながら、ぶつかりながらフラフラと歩いている感じがする。どんなに大切だと思う人が目の前にいても、その人のためにと思ってやったことでも、自分が主人公の人生の一部になるだけだ。それでいいのかもしれない。その中でやりたいように一生懸命にやってみれば。

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