子育てを通じて自律とは

変な天気だ、暑い、夜なのに気温が上がっているのではないかというくらい、どんどん空気が水を吸い上げ、体が急に汗ばんだのでむず痒くなって目が覚めた。同じく泣いて目を覚ました子供を抱きながら暫くあやしていると、ザーッと雨が降り始めた。おかしな天気だ。子供が再び寝付いたので序でに起き出して放置していた食器を洗い、翌朝用の洗米を済ませた。そしてようやく眠ろうという時。明日朝やることが残っているので寝なくてはいけないのだが、すぐに寝付けず、睡眠を妨害するとは分かっていながら、この文章を打つ。正直今は居ても立っても居られないくらい、自分の方向性に違和感を感じている。何かが猛烈に不足しているような気がしていて、それが漠然としてどうしたらよいか分からない。子育てを頑張ろうと思っていたけれど、どうもそれに人生を賭けるのは違うような気がしてきている。とにかく可愛い。抱きしめたまま一日が終わってもいいとさえ思える可愛さだ。なのに夫の仕事を兼ねた八日間のギリシャ旅行を予約した後に、子供も連れて行きたかったが周りの反対もあり、義父母に預けることになったこと。夫には絵画展のオープニングパーティー出席もある為同伴してほしいと言われ断る訳にも行かず、義母は預かることを承諾してはくれたが、8ヶ月、離乳食も進みつつ、普段は完母なのでミルクに切り替えなければならないし、心配でならない。海外に行きたい気持ちも0ではないが、罪悪感が影を落とす。それに加え義母に週一回はシッターとして半日預けた方がいいという話になり、精神的にキツいのは正直な所ではあるが、やはり預けるのは母親としての義務を放棄しているような罪悪感にかられるのと、せっかく自分を必要としてくれる存在に出逢えたのに、大袈裟だが、義母に懐いて私に素っ気なくなってしまったら、その関係が失われてしまったら生きていけないという恐怖や執着心のようなものもあることは否めない。とんでもないことかもしれないが、これが自分の偽りない本心なのでまずは受け入れるのが先だろうか。生後一年位は親だってベッタリ子供に依存したってよいのではないかとも思う。悪い独占欲なのだろうか。早くも愛が歪んできているのだろうか。自分の存在意義を他人に委ねるのはよくないとは思う。自立を阻害する一番の要因だ。親の存在意義を子供で証明しようとすれば、子供の自然な成長を妨害するのは目に見えている。そのことに気付かせて貰っているのだろうか。このまま行くとそうなってしまうと。幸せに生きるには経済的な自立も勿論必要だが、精神的に自律することが最も重要なのかもしれない。自分の存在意義を自分で考え行動し信じられること。私は正直これが出来なかった。自分の存在意義を作り出せていないし、信じることもできていない。その為に今も苦しんでいる。書いていてようやく分かってきたが、この猛烈な不足感は、母親としての存在意義に全振りしていたのが、急に揺らぎ始めたことによる不安からだ。妻としての自分、母としての自分に満足していたのが、突如それでよいのかと疑問に思い始めたのだ。実際どうだろうか。やはり自分で考え行動する必要があるのかもしれない。具体的には。少し気持ちが落ち着いたので今日はここまで。

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