子育ての神様

勢いに任せて連投。台風の影響で降ったり晴れたり気圧も乱高下。偏頭痛持ちになりつつある。一種の癖のようなものだと私は感じる。腱鞘炎に近い。ある程度温存すれば治るが、気象変動や目の酷使などで容易に発症してしまう。睡眠不足も重なっている。一人の時間が欲しい。書きたくないが溜めたくないので今嫌なことを書き出す。子供を義父母に預けること。なぜだか分からないが、取られる感覚がする。世間的に、親は自分に都合が悪いことも正直に言ってくれる有難い存在なのかもしれないが、私はそうは思わない。第三者のそういった存在は有難いことだと思う。親は子供が自立するや否や出来るだけ早めに撤退した方がよいと思う。健康で楽しく過ごしている、できればその情報はあった方が良いという程度。思い通りにならないことを試行錯誤する経験こそが人生の意味ではないだろうか。親は反面教師の側面が実は一番子供の為になるような気もする。ああしなさい、こうしなさい、すべき、あるべき。言葉にしていなくても、べっとりと子供に擦りつけるバイオレンス。最低な行為。少々過激な表現になってしまったが、自分もそうなる可能性があるが故に戒めとして書いてみる。核家族がそんなにいけないことだろうか。寧ろ親との関係は必要最低限でよいとすら思う。将来的には親よりも自分の人生の意義を果たすために様々なことを教えてくれたり、支えてくれたりする、自律することによって新たに縁が結ばれた仲間の方が大切。親は子に何の見返りも求めない。果たしてどれだけそうなれるかは皆目分からないが、最近は心が苦しくなる理由を辿ると、どうも子供への執着から来ているようなのだ。自分の人生に視点を立ち戻らされる。意識的に距離を保つ必要性。適切な距離を持って母なる海のような穏やかで広い心で子供と接することができた時、子育ての神様は舞い降りる、と思う。踏ん張ろう。

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