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母親をお手本にしない

母親は大切な人だ。

だから、なるべく母の意見も耳を傾けたいと思うけど、どうにも言っていることが納得できず、困るときがある。

そんなゆるやかな“縛り”に悩む女性に、今日の話は届いたらいいな。

愛と違和感。

その間に悩み、そして意識的にやめた私の話です。


■良妻賢母を目指す母の教え

私は、はたから見るとかなりマイペースな人間に見えるかもしれませんが、長く母親だけでなく、親の意見に従う(その結果振り回される)人生を送っていました。

たとえば進学は、父親の意見が絶対的に反映されていたのですが、こと女性像という部分に関しては、母親が考える、「いい妻」という部分が、大きく私の中で影響力を持っていたのです。

ちょっとだけ紹介をすると、私の母は大学を卒業して2年働き、寿退社して専業主婦を今も続ける、昭和型の女性です。

「思えば家事全般は好きではなかったし、得意でもなかった。料理は極力やりたくない」と、今でこそ話してくれるのですが、私が小さい頃はとにかく良妻賢母を目指し、亭主関白で人の話を一切聞かない父親に、努力と根性でついて行き、結婚生活を成り立たせていました。

こうした母が唱える「いい妻」像のルールには、以下のようなものがありました。

女性は愛嬌!ニコニコ笑っているべし

◆相手に合わせて手のひらで転がすの

とにかく上手くやりなさい

正直子どもから見ると、「それ、全然出来てないやーん!」とは思うのですが、3つの中で、とくに「いつもニコニコしてなさい」という発言は、事あるごとに言われた記憶があります。

余談ですが、この教育方針の結果、私は緊張したり気まずくなったりすると笑顔になるという、反射行動を無意識に取るようになっていました。
これはカウンセリングを受け始めた初期に指摘され「笑いたいとき以外笑顔である必要はない」と学ぶことで、手放せたクセです。

■1回目の結婚で陥った「いい妻」の呪い

母親のいうルールは宗教じみているし、実際そういう良妻賢母思想をどこかから仕入れていたようですが、こうした刷り込みが特に私を苦しめた時期がありました。

それは、1回目の結婚をしていたときです。

1回目の結婚が上手くいかなかった理由は、具体的な不満はお互いにあると思っているのですが、根底にあったのは、そもそも将来性にも性格にも不一致が大きくあったことであり、それらを深く話し合わなかったことが、なにより不和を招いた要因だと思っています。

まあ、若かったんですね。

いろんな不一致に気づいたのは、わりと婚約したくらいだったと思うのですが、そのとき私はまだ幼く、相手と“いい関係作りのために対等に話し合う術”すら持ち合わあせていませんでした。

そこでなぜか当時の私は、母親に相談し、そしてこの3つの教えを延々説教されるという、無限地獄を元夫と喧嘩するたびに繰り返していました。

私「お互いフルタイムで働いているのに、向こうが家事を全くやってくれない」

母「でも合わせていくしかないでしょ」

私「『収入の低い方が家事で補うべき』って言われたけど、年齢や業界が違えば収入が違うのは当然なのに、おかしいと思わない?」

母「でも、上手くやるしかないでしょ」

私「せっかくご飯を作っても、『今日はちょっと焦げてる』とか『メニューがいつも同じ』とか、ダメ出しから始まるんだよ!」

母「ニコニコ笑って流しておけばいいのよ」

こんな調子なのです。

当時、私もなんで母親に相談(というか愚痴)をしていたのか、自分でもわからないです。どう考えても、適切なフィードバックをくれる相手ではないと今なら分かるのですが、やっぱり心の中で“お手本”だと思っていた部分は大きかったのかもしれません。

相談しては、母のフォーマット的な答えが返ってきては、それにも納得できず色々愚痴を言う。

でもどんなに粘っても納得できる具体的な解決策は提示されないから、どうにもならない。

その結果私は、自分の問題なのに、元夫のせい、的確なアドバイスをくれない母親のせい、今の状況が悪いなど、自分以外の要素を原因にして、同じ場所をぐるぐると回り、そのうち関係修復も不可能になっていき、離婚を選択したのでした。

■今親から離れないと、一生支配される…

離婚を選択したとき、私は離婚とは別に、大きな決断を意識的にすることになります。

それは離婚を機に、母や父の意見を納得できなければ一切聞かないことを、自分に決めたのです。

キッカケは、離婚時に心配から引っ越し場所や仕事に関して、過剰に介入してこようとしたことだったのですが、「今親から離れないと、私は一生親に支配される」と、直感的に強く感じ、離れるなら今しかないと思ったのを覚えています。

そうして親とは、心も体も離婚直後は絶縁状態まで離れることになります。ただ、そこからいろんなことがあり、今はそれなりの距離感で良好に関係構築がなされています。

と、ここまでが母(と父)と自分を一体化することから脱却するまでの話しなのですが、無自覚の親への縛りは、未だ自分の中に残っているときもあるなと、ふと思う瞬間がありました。

それは、本当に先日。2回目の結婚をした翌日のことです。

2回目の結婚に際し、前回とは異なり、お金のことや将来のことなど、すごく細かく意見を出し合い、話し合いをしてから入籍しました。

だからこそ、私たちらしいパートナーシップの始まりだなと思えたのですが、1日たち、一人でいるとき、胃がせり上がるような不安感がありました。

「幸せを維持するために、もっと努力しなくちゃいけない」

そんな声が聞こえてくるのです。

でも、維持するための努力といっても、具体的に浮かんでくるのは、以下のようなことです。

◆もっと家事をする

◆相手を立てる

◆もっと相手に心地よい空間を提供する

とか。もちろんこれらも大事かもしれませんが、今まで話し合っていたこととは全く別の事がらばかりが浮かぶのです。

しかも「そうじゃないと、捨てられるかも」みたいな妄想も、どこからともなく浮かんでくるではありませんか。

この発想、どこから来た? と驚きながらも、心がひたすらザワザワします。

一人でザワザワした気持ちと向き合っていると、それは手放したはずの、母から刷り込まれた「いい妻」像が呼び起こしていたものだったと気づいたのでした。

私は、結婚したけど「いい妻」を目指しているんじゃなくて、「いいパートナーシップ」を築くために生きる。

そう決めたはずだったと立ち返れたら、私の中の“いい妻幻想”から来る不安は、消えていった感覚がありました。

■特別だからこそ、違う人間だと意識する

母親というのは、私たちが生まれて初めて知る女性なので、何らかの特別視をしていることがあります。

ときにはそれをお手本として、振る舞いや考え方を寄せていることもあるかもしれません。

それを悪いことだと言い切ることはできませんが、そのお手本が自分とは違う人間で、その教えが自分や今の時代にはフィットしてない可能性も十分あるということは、強く意識してもいいと思うのです。

私たちは、それが自分にフィットしていないとき、他人の意見だと「古臭いな」と一括できるのに、こと母親といった身内の意見だと「じゃあ聞き入れないといけないな」と、自然と思い込んでしまう生き物らしいです。

私個人としては、こうした経験から親の意見には感謝しつつも、自分が納得できないことなら、聞き入れる必要はないと思っています。

◆結婚に口出ししてくる母

◆付き合う相手に心配を述べる母

◆娘の将来を危惧してあーだこーだ意見する母

こうした悩みを、今では聞く側に回ることが多くなりました。
一般論や母親論ではそれは正解かもしれません。

でも、1番大切なのは、私たちの心の中での正解です。

人生は選択の繰り返しですが、その上で幸せを感じるためには、正解を選ぶことよりも、納得した選択をすることのほうが、人は幸せを感じるそうです。

つまり、誰かに言われて納得していない正解を選ぶことは、幸せに結びつかないときもある。だからどんなときも、母親をお手本にしない。

自分は自分にとっての正解を探す努力を怠らない。

そんなふうに生きるようにしています。

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