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山内マリコさんの『選んだ孤独はよい孤独』を読んで、「後悔ばかりの人生に後悔はない」というアイロニーを語るには、このくらいの技量がないと無理ではないか、と、なかば途方に暮れている。



「じゃあ、お父さんは自分の人生に後悔はないの?」

先日、長男を諭している最中に彼が放った言葉が今でも頭の中を駆け巡っている。

横で聞いていた妻が堪らず「ちょっと、そんなこと、ゲームやりながら言う言葉じゃないでしょ」と叱ってくれたおかげでいったん冷静になれたけど、それでも顔からも声からも表情を消して「お前が真剣に質問してるなら答えるけど、ゲームしながら聞いてくるような人間に答えるつもりはない」と冷たく応じた僕は、情けないことに少し動揺が残っていて、自分で期待したほどクールな振る舞いはできなかったと思う。

長男には、その後こっそり「あの質問はいい質問だと思う。君が本当にお父さんの考えていることを知りたいなら、ゲームをしながらではなく、ふたりきりのときにもう一度質問してきなさい」と手紙を書いて置いてきたけど、彼がそれを読んだかどうかは単身赴任先に戻った僕には分からない。

しかし、ひとつ言えるのは、大人の余裕を見せたつもりでも、長男が本当にもう一度質問してきたとき、僕はいったいどんなことを話すつもりなんだろう、ということが自分自身でも皆目見当もつかないということだ。

後悔しないように今からうんぬんかんぬん、と息子には言っておきながら、自分は「後悔のない人生」など歩んでいないのは明白だ。

しかし一方で、「後悔ばかりの人生」を後悔はしていない、というのも事実で、そのことをどんなふうに語ればいいのか、それが僕には分からない。
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山内マリコさんの『選んだ孤独はよい孤独』は、タイトルに惹かれて手に取った。

完璧な短編集というものがあれば、まさにこの作品がそうだというくらい、ひとつひとつの短編のクオリティ、全体の構成とバランスともに群を抜いた作品集だ。

「男のバカさ加減」を冷静なまなざしで軽妙に皮肉りながら、そして時には親密な視線で愛でながら、「男と女のすれ違い」「男という生き物の哀しさ」を描いていく。

どれも20ページにも満たない小品のため、サクサク読み進めることができるし、実際、最初の方は僕も笑い転げながら読んでいた。

だけど、帯の武田砂鉄さんのコメント通り、笑い転げていたはずが、だんだんと逃げ場のない袋小路に追い詰められ、いつの間にか答えの出ない人生の命題を突きつけられていることに気が付く。

最後の方なんて、これはもはやホラーだな、と思いながら、あれ?でも、追い詰められているはずなのに、なんでこんなに気持ちは軽やかなんだろうと不思議に思う。

同棲している恋人の小言が右から左へとまったく心に響かないことも、結婚間近の彼女が出ていってしまった理由が永遠に謎のままだということも、SNSに夢中な彼女の裏アカを覗いてしまったことの報いも、女の子怖いと思う本音も、「ぼくは仕事ができない」という現実も、ひとつひとつは「喜劇」であっても、その集合体である人生という連続性の中では「笑えないよな」というのが実際のところだ。

だからこそ、その連続性をいったん遮断して、ひとつひとつの「喜劇」を笑ってみる、という本書での読書体験は一種の快感を呼び起こすんじゃないのかな、と思っている。

成功することを、成就することを、願い憧れ邁進してきたはずの人生の中で、そこからこぼれ落ちてしまったもの、そして、成功も成就もしなかった結果、この両手に残ったもの、それらがいったい自分にとって何であるかを問いかけてくる作品だ。

山内マリコさんは初めて読む作家さんだけど、とんでもない書き手がいたものだと震撼している。

そして、僕はさっきから、「後悔ばかりの人生に後悔はない」というアイロニーを語るには、このくらいの技量がないと無理ではないか、と、なかば途方に暮れている。

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