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「人との差を争う」就活という戦場について

みなさま、就職活動お疲れ様です。そして、初めまして!
とあるベンチャー企業で内定者インターンをしている「谷 叶多」です!
就職活動で、うまくいっている人もそうでない人も様々いらっしゃるかと思います。
今回は一足早く就職活動を終えて、現在内定者人事として長期インターンを行っている僕が、恐縮ながら就職活動の支えとなるようなコンテンツを配信させていただければと思います。

目次
1.就職活動は「比較戦争」
2.終戦
3.最後に

就職活動は「比較戦争」

しょっぱなから、何言ってんだ。って思われる方もいるかもしれません。
ただ、就活を終えて思ったんです。就活って「比較戦争」だなって。

「比較戦争」とは何ぞや。
自分と誰かを比較して、ほかの人より優れていること、劣っているところ、強みや弱みを理解し、自身の武器として戦っていくことです。

就職活動をするにあたって切っても切れないものが「自己分析」です。
そして、比較戦争をもたらす最大の要因でもあります。

自己分析には、たくさんのツールがありますよね。
モチベーショングラフであったり、将来像を描くもの、
自分の強み弱みを知るもの、性格診断なんかも一つの自己分析かもしれません。

自己分析とは、読んで字のごとく自分自身のことを知ることです。
自分自身のことを知って、自分の幸せとは何か、どういう人間なのか、強み弱みは何なのか。そういった自分自身が一体何者であるのかについて問い続ける分析です。

僕も就活の相談に乗ることがあるのですが、圧倒的に多い相談内容が「自己分析手伝ってください。」という相談です。

でも、ふと思うのです。
「自己分析」しまくるのに、なんで自分ってわかんないんだろう。
どうして本当の自分と向き合えないのだろう。
僕も就職活動中に、この無理難題に挑戦していたことがあります。
そうなんです。「自己分析」の終わりが見えなかったり、自分のことがわかんないんです。何が強みで、何が秀でているのか。社会に出たときに何が役に立つのか。

だから誰かと比較して自身の立ち位置を把握するんです。
誰かと比べてここは得意。ここは負けている。だから私には存在意義がある。逆に何もなさ過ぎてする意味ないんじゃないのか。

まだ答えも見つかっていないのに、面接ではこんなことを聞かれるんです。

「あなたの将来の夢は?ビジョンは?」
「そのためにあなたは何ができるの?何をしているの?」

そして言われたりするんです。
「自己分析があまい。」
「もっと考えてこなくちゃ。」

そんなもん知るか!!って話ですよ。
どんだけ自己分析をしても自分が何者であるのかわからないし
どれだけ時間を費やしても答えは誰も教えてくれない。
さらに面接ではズタボロにされる。

誰かと自分を比較することで、自身を正当化して何とかモチベーションを保ったり、だめだと思って落ち込んだりする。
そして、周りの友達が内定をもらったりするとより自分が劣ってるんじゃないか。ダメな人間なんじゃないか。と思ってまた落ち込む。
傷も癒えぬまま、次の選考が始まる。

まるで、兵士が戦況からボロボロになりながら帰還して、すぐに次の戦場に行くかのように。

それが比較戦争の実態だと思っています。

比較するのが絶対によくないことと言うつもりはありません。
他人が僕たちに与える影響はよくも悪くもたくさんありますし、他人がいることで自分が何者かをより深く考えるきっかけになると思います。

ただ、こと自己分析や就活に関していうと、
必要以上の他者と比較をしないことがこの戦争を乗り越える一つの解決策だと思います。
では、そのためにはいったい何が必要なのか、そういう人間になるにはどうすればいいのか。
そのことを僕の経験に基づいてお話しできればと思います。

比較戦争時代

僕がこの戦争に参加したのは、2018年の9月から12月の期間です。
当時の僕は、就活を始めてすぐに志望する企業に出会いました。
そして、合計ノート3冊分ぐらいの自己分析を始めたんです。
モチベーショングラフをはじめ、将来像に関するシート、企業から支給された自己分析ツールなど。
たくさんの自己分析を行いました。

企業の人にも相談に乗ってもらい、先輩にも相談に乗ってもらい
少しずつ自分が何者か見えてきたような気がしていたんです。

しかし、事件は起きました。というか、起きてしまいました。

志望していた企業の最終面接で落選したんですね。
このお話については、別の企業の記事の中でお話しさせていただいていますので、そちらをご覧いただけますと幸いです。(谷の就活詳細記事

簡単に要約すると、
「谷くんらしさが見えない。」
「本当の姿がわからない。」

と言われたんです。

これでもか。ってぐらいに、自己分析をしたはずなのに、
わからないって言われるんですよ。
もう自分が何者なのか、何が強みなのか全くわからないわけです。

さらに言うと、タイミングも最悪で、ゼミの友人が第一志望の会社に内定をもらったその同日に僕には落選メールが届くんですね。

もう気分は最悪。
本当に内定をもらえるのかとか、このまま就職できないんじゃないのかって。人生終わった…とまで思いましたね。

その後は、負の連鎖でした。
メンタルが持ち直していない状況の中、ほかの会社の選考に参加するんですが、落選に次ぐ落選で、もう精神ボロボロなわけですよ。

この時は本当に就活しんどい。ってなってました。

終戦

しかし、そんな戦争にも終わりは来るんです。
何があったのか。
何かを変えなければいけないと思ったとき、
僕がとった選択は、「自分の弱さと向き合ってさらけだすこと」です。

比較戦争時代の僕は、誰かと比較して、
「自分は優秀だ」「こんなに自分にはできることがある。自分には存在意義がある」そうやって自分を騙し続けて、自分から逃げるために自分で自分を肯定しようとしていたんです。

もちろん自己分析でもダメな部分はたくさん出てきました。
でも、無意識のうちに見ないようにしてたんです。
「できない自分」を認めたくなくて。
自分を知るのが怖かったんです。それを認めちゃうと自分が自分でなくなってしまいそうで。

だから、ダメなことを見つけても自分にはこれがあるから大丈夫。
企業の人がこう言ってくれてるから大丈夫。
そんな前だけを向いている自分がかっこいいと思ってましたし、
そういう優秀な人材を企業の人は求めている!って思ってたんです。

でもだからこそ知ったんです。自分は弱い人間であることを。
何者でもない、何も優れていないただの人間であることを。

僕は22年の人生の中で、小さなものも含めて15回のリーダー経験をしてきました。その中には、自分から立候補したものもあれば周りの人から推薦されたものもあります。
でも、何か目標があったわけじゃないんです。
自分が正しいと、優秀な人間であることを信じたかったんです。

「独り」になりたくない。

だから、だれからも見られる「リーダー」という言葉に惹かれていたんです。みんなにとって意味のあるリーダーであることが、僕の存在意義でした。

僕は自分の意見でみんなを引っ張っていくようなリーダーではなく、僕以外の人の意見をうまい具合にまとめる人。だったんです。

僕は、自分に嘘をついて生きてきたんです。
自分がどうしたいか、どうありたいかというものに目を向けることから逃げてきたんです。それでも、周りの人からリーダーに推薦されていたからそれが正しいとばかり思ってたんです。

周りの期待に応え続けることが、「独り」にならない解決策だったんです。

だから、人に弱音やできない自分を見せることが怖かった
だって、それを見せてしまうと「独り」になりそうだから。
期待に応えられないと、人が離れていってしまいそうで怖くてたまらなかったんです。

だから、自己分析をしてても弱い部分が出てきても
「これができるから大丈夫」「周りから求められているから大丈夫」って。

自分自身をだまし続けて、自分を正当化することに必死だったんです。
周りの人と比べて、自分はあの人にはここが勝っている。ダメじゃない。大丈夫って。

けど、選考に落ち続けることでこう思うんです。
「やっぱダメな人間だ。社会にとっては、必要のない人間なんだ。」

そんな戦中に、自分に本気で向き合う!という目標の4DAYのインターンに参加しました。
そこで、気づいたんです。

そんなダメな自分も「谷叶多」という自分であることを。
弱い自分も含めて僕であることを。
それをひたすら隠してきたことを。

「あぁ、こういうことか。自分と向き合うって。」
4日間のうち、初日以外の3日間、泣き続けてました。
恥も虚勢も捨てて、みんなの前で号泣しました。人に弱みを見せたんです。

すると、驚くことに周りの人が助けてくれるんです。
一緒に歩み寄ってくれたんです。

「独り」じゃなかった。

そのことに気づけたのは、大きかったですね。
僕の人生観が変わったんです。

その経験をした2日後に、内定先のこの会社に出会ったんです。
奇跡的なタイミングでした。
僕が大事にしてきたこと。経験してきたこと。これから大事にしようと思ってたこと。「谷叶多」のすべて詰まってるんじゃないのかってぐらいの衝撃を。雷に打たれたみたいでした。
説明してくださった社長に、会社に惹かれたんです。

同じ過ちは繰り返さない。
そう思って、この会社の選考では僕のすべてをさらけ出しました。
自分のダメなところも、しんどかったことも、これからのことも。
ほんとありとあらゆるすべてを。会社に受かることよりも自分をさらけ出すことに全力を注ぎました。

最終面接は、東京のオフィスで社長と一対一。
面接の40分前に着くという気合の入りよう。
面接会場に通され、社長が入ってこられたとき、
選考から落ちたときの嫌な思い出が、脳裏をよぎりました。
面接中、緊張して、何しゃべったのかほとんど覚えてません。
ただ、自分のすべてを出し切ることだけを意識してました。
なんども涙が出そうになったことだけ覚えてます。後悔はしたくなかった。

「合格です。一緒にがんばろう!」

一瞬固まったあと、
自然と涙があふれてきました。
自分でも制御できませんでした。

内定をもらえたことも、もちろん嬉しかったのですが、
それよりも「独り」でないことを教えてくれた気がして。
求められる人を演じなくても、求めてくれる人がいることを知って、
涙が止まらなかったんです。

「谷叶多」を認めてくれた最初で最後の会社。

こうして、僕の戦争が終わりました。

最後に

優秀な人、そうじゃない人って誰が決めるんでしょう。
自分がダメな人って誰が決めるんでしょう。
誰かに勝ってる負けてるって誰が決めるんでしょう。

全部自分な気がするんです。
勝手に自分の中でだれかを判断して、勝手に誰かと比べて、そう思ってませんか?

人間って、自分の恥を数えることに必死で、他人の恥に対してさほど興味持たない生き物だと思ってます。
友達のここが弱みだとか、こんな失敗してるからこいつは駄目だ。
って思うことありますか?
笑い話になったり、そんなこともあったな。ぐらいじゃないですか?
人は自分が思っている以上に、ほかの人の恥とか弱みを「ダメな部分」って判断してないんですよ。

「人に弱みを見せられない人ほど、本当は弱い人間である。」
弱みを見せれる人は、人間味があるように見えるんです。
だから、人が助けてくれるんです。「独り」じゃなくなるんです。

逆に見せれない人は、どんどん「独り」になっていくんです。
そして、自分を守るためにこう思い始めるんです。
「今の自分は、本当の自分じゃない。もっとできるはずだ。こんなはずじゃない。」

自己分析において、就活において、足りないものは「愛」だと思います。
自分を愛すること、ほかの人を愛すること。
それができないから、それを感じることができないから、
自分自身を出すことを、自分を認めることができないんじゃないのかなと思うんです。

じゃあどうすればいいのか。
これは、あくまで僕の考え方ですので参考程度に聞いていただければと思います。

自分の人生を歩んできたのは、そして歩んでいくのは自分しかいない。
同じ経験をしてきた人はこの世に誰もいない。
だから、誰かが自分のことを完璧に理解することは、できるはずもない。
だって、自分ですら自分のことがわからないのだから。
だからこそ、自分を愛してみよう。
自分がだれかを「すごい・うらやましい」と思うように、
自分のことを認めてくれる人が、会社が絶対にある。
他人を変える以上に自分を変えることは、簡単。
愛されるよりも愛するほうが、簡単。
まず、自分を愛してみよう。

と。

ただ、自分のことを愛するのが難しいのは百も承知です。
なので、この比較戦争中に「誰か愛してくれる人を見つける。」
ということを目的にしてみてもいいかもしれません。

それは、もしかすると友達かもしれないし、家族かもしれない、
はたまた企業の人かもしれないし、先輩や後輩かもしれない。
そんな人を見つけてみてはいかがでしょう。

そして、何よりここに一人あなたを愛することができる人間がいます。
僕にも仲間がいたように、あなたにもきっと見つかります。
きれいごとかもしれませんが、僕は本気でそう信じてます。

最後に、僕が一番大事にしている考えをお伝えします。

「違いは違いであって、間違いじゃない。」
みなさんが幸せになることを心から願っています。



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