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その世界、下から見るか?横から見るか?

「なぁなぁ、花火って横から見たら丸いと思う?平べったいと思う?」
「花火なんて丸いに決まってんじゃん」

『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』

もし「花火の正面」がどこか、どんな形をしているか分からないまま、自分が見た角度から花火を描いてみると、それはどんな形をしているだろうか?

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消費者理論の連載が、第7回をもってひと段落した。理論の一つの集大成とも言えるSlutsky方程式まで辿り着く当初の目標が果たせたため、ここで一呼吸置き、「私が学んだものは何か?」色々な視点から眺めることにしたい。

価格理論を学び始めたのは今年の年初あたりだと記憶しているが、既に今までに触れたどれでもない独特さを感じている。かつて専攻した自然科学とも、日々携わっている投資や経営の実務とも大きく違うので、その独特さがどこからくるのか、何とか言語化したいと思い筆を執った。

結論から言えば、投資・経営実務から見た経済理論は寓話であり、自然科学から見た経済理論は形而上学である

投資実務から見た経済理論は寓話である

私が身を投じる投資・経営実務の目から見ると、もちろん経済理論上のモデルが想定する理想的な状況は望むべくもないが、それでも理論の寓話としての価値には、きらりと光るものがあるように感じた。

Slutsky方程式のテーマである「物価と需要の関係」は、間違いなく2022年~2023年上期にかけての一大投資論点であったと言えよう。コロナ禍や地政学的リスクに端を発する供給制約という「外生的なインフレ」が、コロナ禍後の生活様式の変化とも相まって、これまで数十年続いてきた日本の「慢性デフレ」の社会的ノルムを大きく変容させつつあった。企業が物価上昇を適切に価格転嫁し、それを原資として賃上げに繋げる健全なインフレスパイラルを生み、慢性デフレを脱却できるか、日本は岐路に立たされている。

分野別価格改定の状況(帝国データバンクより)

個別企業においても価格転嫁の巧拙が業績の明暗を分けた局面は多かったと振り返る。私自身も様々な業界の価格改定調査や価格弾力性分析を行ったが、とあるサービスセクターにおける示唆が特に興味深かった。

コロナ禍明けの経済活動再開で、価格改定に成功した企業は多数あったが、それでも地域や価格帯、ブランドイメージによりその効果に濃淡があった。そんな中、あるサービス業界にて消費者サーベイを行い、コロナ禍前後の意識変化を踏まえ、価格転嫁に有利なポジションにいる企業を議論したことがあった。その際、以下の状況にある企業をポジティブに評価した。

  • 特定セグメント(地域や価格帯)における競合がコロナ禍で撤退し、残存者利益を確保しつつある企業。指標は、コロナ禍前後での特定セグメントにおけるシェア上昇幅

  • 消費者の値上げ許容度がコロナ禍前後で大きく緩和されている企業。指標は、コロナ禍前後での離脱率5%を超えない許容値上げ額の上昇幅

両上昇幅が大きい程、価格改定には有利なポジションにおり、かつ前者の競合撤退影響の方が後者の消費者ノルム変化による影響よりも持続的と考え、前者をより重視し分析した。上記の発想の源はSlutsky方程式を用いた価格弾力性分析で、前者の効果が右辺第一項:補償需要の価格弾力性、後者の効果が右辺第二項:所得弾力性の代替指標のイメージから生まれた。

$${-\dfrac{\partial x_i}{\partial p_i}\dfrac{p_i}{x_i}=-\dfrac{\partial \bar x_i}{\partial p_i}\dfrac{p_i}{x_i}+\bigg(\dfrac{\partial x_i}{\partial I}\dfrac{I}{x_i}\bigg)\dfrac{p_ix_i}{I}}$$

価格改定効果は現在進行形で発現しているため、実際にこの仮説通りに各社が恩恵を享受できたか、最後まで検証できたわけではない。しかし企業のポジションを理論という一つの切り口から整理し、「なぜこの競合の値上げ幅より大きくすべきなのか」「値上げ効果は持続的なのか」といった点に一旦の理由を与え、意思決定に繋げられた点は大きい。

このような解釈は経済理論のような厳密なものではないが、理想的な状況で成り立つ性質を手掛かりに現実を表現するという寓話的な活用を試みた、というのが私の卑近な事例であった。

組織の経済学や金融経済学などの応用分野を見渡せば、より直接的に実務に応用されている知見は多い。理論の仮説と現場の検証という「具体の抽象の行き来」により、新たな発想を現場側にもたらすのみならず、理論側にも還元できたらいいなと常々思う次第である。

自然科学から見た経済理論は形而上学である

私が学生時代に専攻していた化学や物理などの自然科学に慣れ親しんだ目から見た、経済学との大きなギャップは「自然科学が如何に数学と密接か」という点である。自然科学を学ぶ過程で数学を道具として習得してきたが、道具というよりもはや「身体の一部」といった表現が適切であろう。

それ故に、「自然科学に潜む数学的な本質を経済学にも応用しよう」と考えた時、数学と自然科学の「境界」を峻別できていないあまり、「数学的な本質のみを経済学に当てはめる」という作業が困難を極める。例えば次の2つの会話だが、前者は数学と自然科学の「境界」を峻別できていない例、後者はそれを峻別し、数学的な本質を上手く経済現象に当てはめた例である。

  • Aさん「化学反応は外界の変化を打ち消す方向に進むらしいよ
    Bさん「ふーん、そうなんだ…でもそれって経済に何の関係があるの?」

  • Aさん「前もって準備しておかないと、いざという時すぐ動けないよね
    Bさん「確かに!それって自然も社会も同じなんだ、不思議だね!」

この例では、Aさんの後者の投げかけが「前者の化学現象から数学的本質を抽出している」ことが伝わりづらいが、まさにこれ程の難しさが内在している。ちょうどこの問題の奥深さや難しさを取り上げたコラムを執筆したので、ご関心あられる方は以下のリンクからご覧頂きたい。

上記とまさに同じ問題意識について、長沼伸一郎氏は著書『経済数学の直観的方法 マクロ経済学編』(講談社)にて以下のように指摘している。要約すると、例えば物理学で「オイラー方程式」と言えば、物理法則が定めた$${\dfrac{d}{dt}\bigg(\dfrac{\partial L}{\partial \dot x}\bigg)-\dfrac{\partial L}{\partial x}=0}$$の一種類で決め打ちとなっている一方、経済学の「オイラー方程式」は一段抽象化したレベルから議論を開始し、対象により様々な「オイラー方程式」が存在し得るため、経済学では物理学以上に、現象に内在する数学的構造のより一般的な定義や性質に関する理解が求められる、という趣旨である。

「オイラー方程式」は物理においては解析力学、というよりその黎明期の「最速下降線」の時に現れてきたものである。(中略)経済学ではたとえばここで位置 $${x}$$を消費$${c}$$におきかえ、ラムゼイ・モデルの $${\dfrac{\dot c}{c}=\dfrac{r-\rho}{\theta}}$$というのがオイラー方程式になっている。

物理の場合、天体や粒子の動きを決めるラグランジュアンは、いわば天から定められた一通りのものだけなので、オイラー方程式もそれに対応する1種類だけを考えればよい(中略)。

それに対して、経済学部では、企業や政策当局が何を最小化したいのかに応じて、いろいろなパターンのラグランジュアンを考える必要がある。そのためむしろこちらの世界でこそ、一般的な定義や性質に関する説明が欲しいのだが、その話はしばしば理系と文系のギャップに落ち込んで、どの本にもちゃんと書かれちないということが起こりがちなのである。

経済数学の直観的方法 マクロ経済学編』(講談社)

この指摘にはまさに同感であり、自然科学の法則から更に一段抽象化した洞察を得るのは容易ではないが、そこで抽象化された原理は、もはや物理的な実体を離れ、広く一般に利用可能な形而上学的な原理と見なし得る。

2個のボールをどう置いても(くっつけても離しても)、必ず両者を分けるような薄い下敷きを間に差し込むことができる

日本中のどこにいても、その場で日本地図を広げて足元に置いたとき、今いる自分の位置と、地図上の同じ位置は、必ず一点でぴったり重なる

このような何の変哲もない事実が、経済理論の根本にあるとは、なるほど世の中は意外とシンプルにできているのかもしれない。

その世界、下から見るか?横から見るか?

まとめると、これは経済理論に内在しているというより、単にそう私が勝手に使い分けているだけかもしれないが、経済理論には、現実から自然科学まで非常に広範な対象について、その抽象度のレベルに応じて、そこから一段更に抽象度を上げた視点を提供してくれる、というのが魅力的に思う。

自然ほどには密接な数理的構造が自明でないからこそ、その一方で複雑な現実の「モデル化」を諦めなかったからこそ、今の経済学の抽象と具体の独特な距離感があるような気がしてならない。

投資・経営実務から見た経済理論は寓話であり、自然科学から見た経済理論は形而上学である。

あなたの目には、何がどんなふうに映っているだろうか?それは別の角度から見ると、どのように映るだろうか?

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ちなみにこの花火大会は、東京側から見ると「江戸川花火大会」、千葉側から見ると「市川市民納涼花火大会」と呼ぶらしい。

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