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エスカレーターはビジネス書100冊に勝る

人間関係に悩んだら、エスカレーターを眺めよ。
やりたいことが見つからなくなったら、エスカレーターを眺めよ。
良いリーダーになりたければ、エスカレーターを眺めよ。

毎日の通勤通学で、エスカレーターという最高の教科書を目の当たりにしているとしたら、それは非常に幸運なことだ。ビジネス書100冊に勝る。

あの乗り物、よくよく考えると実に不思議である。関東では急がない人は左側に寄り、急ぐ人は右側を通る習慣は、いつどのようにできたのか。なぜ関西では逆なのか。なぜ急いでいる時に限って1人だけ逆サイドに立たれ、流れをせき止められるのか―。今ではありふれたこの風景は、以下の新聞記事によれば1992年頃から「自然発生的に」見られるようになったらしい。

東京のサラリーマンの通勤風景に、「新秩序」が生まれつつある。地下鉄駅などの長いエスカレーターで、急がない人は左側に寄り、右側を急ぐ人が追い越していく。先を急ぐビジネスマンの間で自然発生的に生まれた習慣らしい。一方、関西ではすでに駅側が音頭をとって始めているが、なぜか逆の左側あけ。しかも、これがほとんど定着していない。「お行儀のいい」東京流と、ごっちゃごちゃの関西と、エスカレーターにもお国ぶりが表れている。

(中略)JR東日本では「この1年ぐらいで、朝や夕方のラッシュ時に目立ちはじめました。平らな動く歩道では呼びかけていますが、エスカレーターでは危ないので何も流していません。お客様間の自然発生的な秩序でしょうか」という。

(中略)この「左右分流」は英国式のマナーといわれる。これまで識者から提案されたことはあるが、「急ぐなら階段を」と定着しなかった。今回の「新秩序」は、ラッシュ時にもきちんと並ぶ整然乗車で有名な東京ビジネスマンの「生活の知恵」と見られる。

朝日新聞1992年2月24日夕刊15面「エスカレーター『新秩序』お急ぎの方右へ」

この乗り物には、大きな一つの特徴がある。それは、

急がない人が全員同じ側に立てば、急ぐ人も含めて全員がハッピーになる

ということだ。関東なら全員が左側に寄れば急ぐ人は右側を追い抜けるし、自分だけが右側で立ち止まった場合、急ぎの人は追い抜けず、自分も背後から並々ならぬプレッシャーを受ける(私は新大阪のホームでよく間違える)。

エスカレーターの利用者全員にとって「急がなければ左(右)側を、急ぎたければ右(左)側を選択する」ことは全員にとってベストな戦略であり、全員が「自分一人だけが戦略を変えても得をしない状況」にある。つまり、急がない人が全員同じ側に立つことが、急ぐ人も含めて全員にとって最もハッピーであり、エスカレーター利用者全員の利害が一致している。

また、全員が右側に立とうが左側に立とうがどちらでも良い、というのがこの状況のもう一つの特徴である。利用者にとっては「全員右側に立つ」と「全員左側に立つ」の2つの正解が存在し、どちらが実現しても利用者の満足度は変わらない(=両者は対称な選択肢である)。

このように、集団全体のある目的のために、当事者全員が自分や他人をハッピーにするように採るべき戦略を調整することをコーディネーションと呼ぶ。つまり、エスカレーターに乗っている私たちは毎日、ランダムに抽出された見ず知らずの他人と利害一致型(=スムーズな通勤通学の実現が皆のハッピー)のコーディネーションにトライし続けている、と言えるわけだ。

基本的には毎日スムーズにエスカレーターを利用できているが、これはよくよく考えると奇跡的な状況だ。職場や学校の気心の知れたチームメイトとのコーディネーションにすらしばしば苦戦しストレスを抱えるのに、毎日見ず知らずの人と、何のコンタクトもとらずにコーディネーションに成功し、最良の選択肢をとり続けているのだから。

何故エスカレーターにスムーズに乗れるのか

ではなぜ、我々はエスカレーターにスムーズに乗れるのか。

おそらく想定される答えの一つは「関東では左側に立つのが常識として定着しているから」であろう。もしくはこの常識を知らない外国人でも「前の人に倣って乗れば」スムーズに乗れるはずである。実はこんなに何気ない回答が、私たちの社会生活に付きまとう問題のエッセンスを的確に捉えている。

逆に、こんな状況を想定しよう。①エスカレーター利用者の全員が、上記のような「共通の常識」を一切持ち合わせていないとする。更に、②前の利用者の乗り方を参考にできない状況を想定する(例えばエスカレーターの前に扉があって先が見えず、自分は扉の前で左右どちら側に乗るかを選んでから扉を開けてエスカレーターに乗る。前の利用者がどちらを選んだのか、自分からは見えない、という状況)。そして③エスカレーターに乗った後は、最初に選択した側から逆サイドに移ってはいけない

この状況で、あなたはエスカレーターを急いで渡りたい時、左右どちらを選ぶだろうか。またこのエスカレーターで、スムーズに渡り切れるだろうか。

イメージして頂ければ、この状況でスムーズに渡るのは、相当難しいと感じるのではないだろうか。あくまで利用者全員は「全員片側に寄れば全員ハッピー」ことを十分認識し、そのために全員が最善を尽くそうと考えていたとしても、である。

このことは、全員の利害が一致していたとしても、コーディネーションが必ずしも成功するとは限らないことを示す事例である。職場や部活のチームメイトとの共同作業において、共通の目標の下で利害が一致しているにもかかわらず、しばしばコーディネーションに苦労する。エスカレーターの事例はこのような「共通の目標を持った多くの人が、プロジェクトを成功に導くべく各々が意思決定を行う状況で、コーディネーションがどのような場合に上手くいき、または失敗するのかを考える格好の題材」と言える。

以下では「皆がスムーズにエスカレーターを利用するために、どんなことが行われているか、どんなことをすればよいか」という問いに、いくつかの回答を試みた。いずれも企業や学校での組織活動に重要な示唆を与えるアプローチである。もちろん下記以外にも無数に回答があり得るし、それらが現実の組織課題へのどのようなアプローチに繋がるかまで考えると、我々がエスカレーターから学べることは多い。

回答①:どちら側に寄るべきか、駅員にアナウンスしてもらう

エスカレーターのどちら側に乗るべきかについて、おそらく多くの人が次のように考えるのではないだろうか。「急がない人がどちら側に立つか、駅員がアナウンスで指示すれば即解決だろう」と。確かにこの状況において、利用者全員が指示に従うと予想する限り、自分から指示に背いて得することは何もない。結果としてコーディネーションに成功しそうである。

このアプローチは「決定の集権化」と呼ぶことができる。決定権限を組織の階層上位に集中させることによって、コーディネーションを成功させる方法である。エスカレーターの問題では場所や時間帯でアナウンスされることもあるが、基本的にはそれぞれ独立に行動を決定する「分権化」と見なせよう。集権化のメリットはコーディネーション問題を解決することだが、逆に臨機応変に当事者同士が譲り合うといった分権化のメリットを失わせてしまうリスクもあるため、権限移譲の範囲設定には注意を要する。

回答②:前の人についていく

仮に駅員のアナウンスがなくても、コーディネーションを成功させる方法がある。先頭の人に注目すればよいのである。例えば先頭の人が左側で止まれば、後続の利用者は「急がない人は左側」と判断できる。すると、コーディネーションに成功しやすくなりそうだ。

このアプローチは「リーダーシップ」と呼ぶことができる。利用者全員が左右を同時に、独立に選択するのではなく、最初に選択を行う利用者をリーダーとし、リーダーの選択を観察してから行動する利用者をフォロワーとする戦略により、コーディネーション成功の可能性は高まる。このような選択の順序付けも、状況次第では有用なアプローチとなり得よう(なお、上述したエレベーターの前に扉を設置した仮想的な状況では、リーダシップを機能させることができない点には注意を要する)。

回答③:自分の選択を人に言う

第三に、利用者間での事前の明示的な「情報伝達(コミュニケーション)」を行うことが考えられる。例えばある利用者が「私は左側で止まる」と宣言してから(しかし実際に宣言通りに選択しなければならないという制約はない)、他の利用者に選択を促せば、仮に他の利用者の乗り方を参考にできない状況にあったとしても、その情報を手掛かりにコーディネーションに成功する可能性がある。

今回のような利害一致の状況では、一人の宣言に全員が追従すればハッピーになるが、利害対立の要素がある場合は全員に宣言させた方が良い場合もある。また当然ながら、宣言の信ぴょう性もコーディネーションの成功率に大きく影響を与える。もっとも、毎日知らない人に「私は右側で止まりますので」と宣言して乗っていたら、信ぴょう性以前に変人扱いされそうだが。

回答④:左側に寄った方が良さそうな空気を作る

このエスカレーター問題の難しいポイントは「片側どちらかに全員寄ることが正解だが、それは左右どちらでも良い」ということである。仮に全員にとって右側に寄ることが、左側に寄ることよりも少しだけハッピーであれば、常識が無くとも、また他の利用者を参考にできずとも、自ずと全員が右側によってコーディネーションに成功する可能性が高まろう。

このように、全員がハッピーとなる同等の選択肢がいくつかある場合、利用者たちの明示的な情報伝達無しに、簡単に同じ選択肢に着目させる特徴が見つかることがある。そのような特徴を表す原理・ルールはフォーカル・ポイントと呼ばれている。エスカレーターの事例では「全員が右側に寄ること」と「全員が左側に寄ること」の間に、スムーズに移動するという観点での違いはなく、従ってフォーカル・ポイントが見いだせないことが、この問題の難しさである、とも言い換えられる。

一方、より微妙な文化や慣習の特徴がフォーカル・ポイントを形成する可能性もある。例えば「安全な移動」が重視される世の中で「利き手は常に自由であった方が良い」という空気がある場合、大多数の日本人は右利きなので左右の選択肢に非対称性が生じ、左手で手すりに摑まれる左側を急がない側、という形でコーディネーションに成功する可能性がある。

このアプローチは「企業文化」の醸成と考えられる。例えばレディーファーストの文化、顧客第一主義、年功序列などの文化や慣習が、一見同等な選択肢の間にフォーカル・ポイントを形成し、コーディネーションを成功に導く可能性がある。組織にとって、甲乙がつけがたい選択肢が複数存在することは往々にしてあり得るが(最も安い方法 vs 最も早い方法、など)その時の道しるべとなり得るのが、どの選択肢に着目すべきかを暗黙裡に教えてくれる企業文化の存在である。また、自分がやりたい事や行動理念と企業文化が一致するとき、自分のベストと組織のベストが重なる可能性が高くなる。その意味で、自身と企業の理念の一致は重要な問題である。

回答⑤:全員止まる or 全員動くようルールを作る

そもそもエスカレーター問題は、片側で止まり、片側で追い越すという前提の下、左右どちらで止まればよいかという問題を論じていたが、そもそもそのような利用方法を廃し、全員が止まるもしくは全員が動くべし、とルールを設定すれば、これまで考えてきた問題は一切なくなる。

このような「ゲームチェンジ」によって、そもそもコーディネーションの阻害要因となっていた「止まる」「追い越す」のパターンをなくすことで、コーディネーションの問題をそもそも無くしてしまうことも、解決策の一つと言えるかもしれない。この場合は、別のゲームでは別の問題が発生することを覚悟しなければならない。全員止まる場合には通勤ラッシュ時の渋滞の問題、全員進む場合には止まりたい人も動くことによるペースの差異によるトラブルが頻発する可能性などである。

***

「決定の集権化」「リーダシップ」「情報伝達」「企業文化」にはコーディネーションの問題を解消する役割があり、「ゲームチェンジ」はそもそもの問題構造をガラリと変える効果が期待できる。このように、毎日何気なく利用しているエスカレーターには、日々の組織課題を解決するヒントが詰まっており、自分の着眼点や発想次第でそのアイデアは無限に広がる可能性がある。通勤通学で必ず出会う状況が最高の教科書になれば、こんなにラッキーなことはないだろう。

今後エスカレーターを見かけたら、今一度この言葉を思い出して欲しい。

人間関係に悩んだら、エスカレーターを眺めよ。
やりたいことが見つからなくなったら、エスカレーターを眺めよ。
良いリーダーになりたければ、エスカレーターを眺めよ。

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