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山に目覚めて10年目。出会った感動や体験を、特別な1枚とともに発信していきたいと思いま…

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山に目覚めて10年目。出会った感動や体験を、特別な1枚とともに発信していきたいと思います。

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山にもらったこと〜そして、七合目から!〜

山が好きです。 ガッツリ登るようになって10年目、 今でも登山開始から初めの30分くらいは、 ああ、なんで今日もまた、こんなしんどいことやってるんだろう、 と思います。けれどそれを過ぎると、 アドレナリンがどんどん放出されて、筋肉と視覚の働きが変わってくる。 やがて7合目あたりにたどり着くと、 「やっとここまで来た」「もう少し、もうひと頑張りで頂上だ!」 という勇気が湧き上ってきます。 そしてそこからは、植生も山様も風景も、ガラリと新しくなり、登りごたえが俄然ちがってくる

    • 山にもらったこと 「厳しさも優しさも、冷たさも温かさも。すべては自分しだい」 〜ヒマラヤ山行篇⑥ロブチェBC→エベレストBCの4日間→カトマンズ

      ヒマラヤ11日目。エベレストBCへ向かう朝。 実は近藤隊長は、ディンボチェに入った頃から体調不良だったにもかかわらず、皆のロブチェピーク登頂が終わるまではと無理してくださっていたらしく。この日、療養のためヘリで一旦カトマンズへ戻られることになリました。同じく、同行してたアウトドアブランドColumbiaスタッフの伴さんも、発熱のため次の便でカトマンズへ戻ることに。 伴さんが発つ前、会話した時のこと。「ロブチェ登頂、やりましたねー」と労いの言葉をもらって「あんなに助けられて、自

      • 山にもらったこと 「今の自分の、気力と体力でできること」〜ヒマラヤ山行篇⑤ロブチェBC→ロブチェピーク登頂→ロブチェBC

        ヒマラヤ8日目、ロブチェ1日目。 3日前くらいから続いている軽い頭痛が気になる。軽度の高山病症状なのかな?気のせい気のせいと言い聞かせる。 今日は朝からトレーニング。ロブチェピーク登頂に必要なアッセンダー(登高機)を使った登攀と、エイト環を使った懸垂下降の練習を、現地の岩場で行います。日本出発前に近藤さんのクライミングジムでも、ピナクル(人口岩塔)を使っての練習はしたけれど、外岩で、ましてや現地となると当然1からやり直しで。(大汗) それでなくても運動神経が鈍く且つ岩場が大

        • 山にもらったこと 「エベレストがあって生まれた、伝説が、文化が、生業がある」 〜ヒマラヤ山行篇④ナムチェバザール→クムジュン→パンボジェ→ディンボジェ→ロブチェBC〜

          ヒマラヤ3日目は、ナムチェバザールを発ち、シャンボチェの丘の上に建つ、「サガルマータ・ネクスト」アートセンターからスタート。(3780m) ここは、ヒマラヤの廃棄物について考え、廃棄物に対する認識を変えるソリューション創出のために活動する 、メンバーたちの基地です。 例えば、捨てられた膨大な量のペットボトルのキャップを粉砕し、それを利用したヒマラヤならではの記念品を作って販売する。アーチストたちの協力 を得て、廃棄物を使ったヒマラヤがテーマの絵画や彫刻、インスタレーションなど

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        山にもらったこと〜そして、七合目から!〜

        • 山にもらったこと 「厳しさも優しさも、冷たさも温かさも。すべては自分しだい」 〜ヒマラヤ山行篇⑥ロブチェBC→エベレストBCの4日間→カトマンズ

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          山にもらったこと 「標高2,864mの登山口から見えた、日常という風景」 〜ヒマラヤ山行篇③カトマンズ→ルクラ→モンジョ→ナムチェバザール〜

          カトマンズを後にすると、まずは、世界で最も危険な空港と言われる「テンジン・ヒラリー」空港への飛行。エベレスト街道の入り口である街「ルクラ」に入るためです。この空港、なんと標高2864m(八ヶ岳最高峰の赤岳とほぼ同じ!)、滑走路わずか527m(プロペラ機でも最低1000m必要なのに!且つ斜度付き!)という、世界一事故が多いとも言われる恐ろしい名所。 アドベンチャーガイズの山行メンバーは、エベレスト隊・ロブチェピーク隊・カラパタール隊とガイドを含む全30名。(後から合流する人も

          山にもらったこと 「標高2,864mの登山口から見えた、日常という風景」 〜ヒマラヤ山行篇③カトマンズ→ルクラ→モンジョ→ナムチェバザール〜

          山にもらったこと 「世界の屋根の下は、玄関口から難関だった!」 〜ヒマラヤ山行篇②個性キツめの街、カトマンズ〜

          名前の響きが好きだな、くらいで、特にイメージのない街でした。 山行に入る前の3日間、ここで過ごすことになったのですが・・ なんというか。これまで、幾つかの途上国の首都に訪れたけれど、一番強烈だったかもしれない・・いや決して悪い意味ではなくて(いい意味でもないけど。苦笑)。で、心に残る『カトマンズ7大珍事・珍景』をご紹介したいと思います! その1:カトマンズ名物?「よくこれで点くよね電線」 その2:街中にひしめく「なんちゃってスポーツブランド店」 その3:冗談かと思った

          山にもらったこと 「世界の屋根の下は、玄関口から難関だった!」 〜ヒマラヤ山行篇②個性キツめの街、カトマンズ〜

          山にもらったこと 「人生で一番若い”今”はどんどん過ぎて行くから」 〜ヒマラヤ山行篇①ロブチェピーク登山を決めるまで〜

          高所登山には、興味ありませんでした。 尊敬する国際山岳ガイドの近藤謙司さんが、2024年4月から、公募エベレスト隊を率いて8回目のエベレスト遠征に挑まれる、と聞いても、自分とはかけ離れた別世界、遠くから声援を贈るのが精一杯、な感覚だったのですが・・。 「エベレスト隊に同行してBC(ベースキャンプ)まで行くツアーもあるよ。僕的にも締めくくりのエベレストになるかもしれないし、BCに一緒に行けるのは最後かもしれない」そんなグラッとくる言葉を近藤さんから聞いたのは、昨年秋のこと。(

          山にもらったこと 「人生で一番若い”今”はどんどん過ぎて行くから」 〜ヒマラヤ山行篇①ロブチェピーク登山を決めるまで〜

          山にもらったこと 「歩かせてもらっている。見えない力にいつも」 〜雲の平篇〜

          「ほら、あれが雲の平。あの小さく見えるのが、雲の平山荘」 4年前の裏銀座縦走の途中、水晶岳の頂上で教えてもらって見た光景に、 私の気持ちは直ちに攫われ。以来、かの地に訪れることに、ずっと焦がれていました。 とはいえ、天上の庭と言われるそこに行くには途中山中1泊、下界に戻るにも途中山中1泊、最低でも3泊4日が必要で、山友たちとも都合が合わず。「よし、行ってしまおう」と、なかなか踏み切れずにいたソロ山行を決意したのは、2023年初秋。想いを遂げるまでに随分時間が経っていました。

          山にもらったこと 「歩かせてもらっている。見えない力にいつも」 〜雲の平篇〜

          山にもらったこと 「それぞれの生きる場所」〜高山の動・植物編〜

          もう何年前だろう。 北アルプスのある山小屋で見た古いポスターに、ドキっとしたことがある。コマクサの花の写真に「ここでしか生きられない命です。」というキャッチコピー。可憐な様相なのに、環境の厳しい高山帯の、中でも他の植物が生えることができない砂礫地に咲く花、コマクサ。その孤高な姿から「高山植物の女王」と称されている。 地上に出ている姿は10cmほどだけど、地下では茎や根を1m以上伸ばして、環境に耐えられる力を蓄えているらしい。山の植物に無闇に手をかける人はいないと思うけど、そ

          山にもらったこと 「それぞれの生きる場所」〜高山の動・植物編〜

          山にもらったこと 「人生には、上書きがある」〜秋川渓谷編〜

          実はトラウマになっていました。沢登り。 2020年の米子沢の一件で。 「初めての沢が米子っていうのはちょっと無謀だったねー」 「クライミングの講習とか何回か受けてからトライしないと」 誰に話しても同じように言われ、身の程知らずだった自分を恥じるばかり。その後の一年、再トライはおろか、山で小さな沢をみるだけでもビクッとするようになってしまい・・まずい、このままでは登山自体ができなくなってしまう!そんな危機感を抱いていたところに「ウチの沢登りに参加したら?楽しくて意識が変わるよ

          山にもらったこと 「人生には、上書きがある」〜秋川渓谷編〜

          山にもらったこと 「身の程を知ることは、すごく痛い!」 〜米子沢編〜

          今ならわかります。 「沢登り」は濡れた岩を登ること、つまり通常の登山より高い身体能力と、クライミングの技術が必要だということ。 今ならわかります。 米子沢(こめこざわ)は沢初体験者が登れるような所ではない、ということ。 「大丈夫だよ、米子沢なら俺、その辺歩いてるおばさんでも上げられる」 秘境系のガイドを得意とするその人が言った言葉に、すっかり安易な気持ちになってしまったおばさん1。ガイドのせいじゃない、何の知識もないのに軽い気持ちで乗ってしまった自分が悪い。 今ならわかり

          山にもらったこと 「身の程を知ることは、すごく痛い!」 〜米子沢編〜

          山にもらったこと「完全な片想い。だから、この好きは終わらない!」 〜穂高縦走編〜

          つくづく思う。私は山に向いていない。 高いところが怖い、岩場や鎖場が怖い、運動神経が鈍い。 山では不眠になる(小屋でもテントでも)、トイレが近い、お腹を下しやすい、方向音痴(自信を持って間違った方向へ)。いろいろ致命的すぎる。なのに、こんなに山が好き。好きになるのに理由なんてない、無理があるほど萌えるんだ、相手がヒトであれモノであれ、コトであれ・・! とはいえ高山に岩場はつきもの、なんとか怖さを克服したくて、クライミング講習なんかに参加するものの、毎回お話にならなくて。・・

          山にもらったこと「完全な片想い。だから、この好きは終わらない!」 〜穂高縦走編〜

          山にもらったこと 「生きているから行ける天国がある」 〜五色ヶ原・薬師岳縦走編〜

          「天空の楽園」に向かうか、「最後の秘境」を選ぶか。 いずれも標高2500メートル越えに広がる、想像では超えられない大地、 「五色ヶ原」と「雲の平」。迷ったあげくその夏の私は、山友の“立山から五色・スゴ・薬師を経て折立へ抜けよう”という素敵な誘いに乗って「天空の楽園」を選択。その前月は嵐に見舞われた「薬師岳」のリベンジを含む、3泊4日の旅が始まりました。 1日目は山友と室堂で落ち合い、雄山だけ登って一ノ越山荘に泊まる、ゆるっとスタート。 思えば初めての立山の時も嵐で、三山縦

          山にもらったこと 「生きているから行ける天国がある」 〜五色ヶ原・薬師岳縦走編〜

          山にもらったこと 「山は“系”じゃない“出会い”に溢れてる」〜八ヶ岳・赤岳編〜

          「俺、まだ雲海って見たことないんすよ」会社の後輩男子がそう言って、「じゃあ、見にいく?」と簡単な会話で決まった、2015年秋の八ヶ岳行き。この山行が、私がガッツリ山に嵌るきっかけでした。 一番初めの登山は10年前(2012年)の富士山。日本人だし一度は登っとこうというノリで、その際に最低限の山装備を買ったこともあって、それからは年2回ほど富士山仲間でどこかに登る、くらいの、趣味とも言えないレベルだったのですが・・。 「私、まだテント泊ってした事ないんだよね」と私が呟いて、

          山にもらったこと 「山は“系”じゃない“出会い”に溢れてる」〜八ヶ岳・赤岳編〜

          山にもらったこと 「どんなブルーより、裏銀ブルー」〜裏銀座縦走編〜

          晴れ女の自分を恨みたくなるほど、快晴で暑すぎた初秋。 北アルプス3大急登の一つ“ブナ立尾根”を登り、 裏銀座6つのピークを経て(槍には向かわず)新穂高温泉に降りる、 4日間の旅でした。 1座目は烏帽子岳。今よりもっと岩場が苦手だったこの時は、 この風貌がもう恐ろしくて・・ 「槍に登れたんだから大丈夫!」と自分を鼓舞してなんとか登頂。 のち、1泊目の宿・野口五郎小屋へ。一度泊まってみたかったそこは、なんとも味わい深い風情で、切り盛りするご家族はにこやかで温かく。 噂の揚

          山にもらったこと 「どんなブルーより、裏銀ブルー」〜裏銀座縦走編〜

          山にもらったこと 「きっと、神様たちの運動場」〜平ヶ岳編〜

          「大丈夫だよ、プリンスロードがあるから」 “百名山最難関?”で知られる平ヶ岳に誘ってくれた山友ダンディさんが、 怯む私にそう言いました。 登山口に辿り着くまでも、新幹線とバスと船!を乗り継いで1日がかり。 山中には小屋など一切なく、テントを張ることも許されていないから日帰り必須、往復12時間の山行。日本百名山の著者・深田久弥氏が当時(60年くらい前?)登頂までに3日を費やした、という山なのです。 で、プリンスロード。なんでも登山好きの天皇陛下が、皇太子時代にお忍びで登られた

          山にもらったこと 「きっと、神様たちの運動場」〜平ヶ岳編〜