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山にもらったこと 「エベレストがあって生まれた、伝説が、文化が、生業がある」 〜ヒマラヤ山行篇④ナムチェバザール→クムジュン→パンボジェ→ディンボジェ→ロブチェBC〜

ヒマラヤ3日目は、ナムチェバザールを発ち、シャンボチェの丘の上に建つ、「サガルマータ・ネクスト」アートセンターからスタート。(3780m)
ここは、ヒマラヤの廃棄物について考え、廃棄物に対する認識を変えるソリューション創出のために活動する 、メンバーたちの基地です。
例えば、捨てられた膨大な量のペットボトルのキャップを粉砕し、それを利用したヒマラヤならではの記念品を作って販売する。アーチストたちの協力
を得て、廃棄物を使ったヒマラヤがテーマの絵画や彫刻、インスタレーションなどを展示販売する・・その収益は全て、サガルマータ国立公園の廃棄物管理の取り組みに使われます。(サガルマータとはネパール語のエベレスト)

(エベレストに眠る遭難者をモチーフにした等身大人形。
近藤さん曰く、とてもリアルだと。本当にこんな感じで遺体がそのままになっているそう)
(色とりどりのキャップ。これが粉砕されて・・)
(エベレストを中心とした山並みのオブジェと、ヒマラヤの石をモチーフにしたキーホルダーに。好みの色で注文すると、2週間後カトマンズに戻った頃に、ホテルに届きます。私は右上のグリーンで作ってもらいました。ネットでも注文できます! https://www.sagarmathanext.com/ )

とても意義深く、その上アーティスティックで美しい取り組みに、背筋を伸ばされて、次の目的地へ。
高度順応のため、3時間ほどかけてクンデピーク(4200m)に登ります。

頂上には、1953年に人類で初めてエベレスト登頂を果たした、ニュージーランドの冒険家エドモント・ヒラリー氏のお墓が。奥さん娘さんのお墓と一緒に、エベレストが見える方向を向いて並んでいます。

ヒラリーさんのお墓に触れ、エベレストの近くに来ているんだな・・と実感しながら、今日の宿泊地クムジュン(3,780m)へ。村に入ると、ヒラリー氏が地元の子どもたちのために作ったという学校があって。彼は病院も寄付で作ったそうで、彼のエベレスト登頂への強い思いと、それを果たすために得たヒマラヤに生きる人たちの力と貢献が、胸に迫りました。

(校内にあるヒラリーさんの銅像。愛されてる感あるわぁ)

ヒマラヤ4日目。パンボチェ村(3,930m)へ。ロブチェピークに登るまで、10日以上をかけて、こうして村から村へと高度を上げながら進み、体を順応させていきます。高度順応のためにもう一つ、ガイドさんから言われ続けていたことが「水を飲め、トイレに行け」。体内のサーキュレーションを活発にすることで、酸素の薄い高所でドロドロ血になることを予防、特に眠ると呼吸が浅くなるため、「夜間は何度もトイレに起きろ、何回トイレに行ったかを競うくらいに」と毎日のように言われます。夕食後と起床時にSPO2(血中酸素濃度)を測るのが日課。地上では98%くらいが正常ですが、高所では80%以上、が目標です。朝はガイドさんたちが各部屋を回ってくれて起き抜けの測定。80%を下回ると「トイレ何回行った?」と怠ったことを見抜かれて(汗)深呼吸を何度も繰り返し、数値を上げていきます。

(なるほど、少しづつ標高が上がっていってます)

パンボチェに向かう途中、不意に道が開いて眺望が広がり、後方からシェルパの「エベレストです!」の声が!

(指先の奥に頭を見せているのがエベレスト。向かって右手の尖りはローツェ、エベレストの前にギザギザと横たわっているのはヌプチェという山です。)

四日目にしてようやく、その姿を(頭だけですが)観ることができて、皆で大歓声。これまでの道中で見てきた山々も十分な迫力でしたが、いやもう、スケールが違います。その場を去りがたくしている私たちを、ゾッキョたちが追い抜き、エベレストに向かって進んでいきました。

5日目。パンボチェ村からディンボジェ村(4410m)へ。

(パンボチェロッジの朝)

そうそう、大切な食事のことを。このキャラバンでは、ロッジは泊まるだけで食事は全食、現地ガイド会社のキッチンスタッフが作ってくれます。近藤さんが長年かけて、日本人の口に合う食事をレクチャーされたということで、毎食いろんな工夫がされていて、美味しい。この日の朝食はリンゴのパンケーキにソーセージ、青菜のソテー。ほの甘い✖️しょっぱい、のバランスが絶妙^^

(夕ご飯には海苔巻きやトンカツなども!)

キッチンスタッフたちは、夜は我々が寝てから食堂に寝袋を敷いて休み、早朝から食事の支度、我々が食べ終わったらマシーンのごとく後片付けを終え、我々より先に出て、次の村に先に到着、昼食で迎えてくれ、その後夕食の用意、という離れ業を毎日繰り返します。

(驚くようなスピードで且つ丁寧に、後片付けをこなすキッチンボーイたち)

彼らにとってはもちろん、生活のための収入手段。けれどその、辛さを微塵も感じさせないホスピタリティの高さに頭が下がり、心から「ありがとう」「いただきます」という気持ちにさせられる。立派な仕事です。

ディンボチェへの山行中は、右手にずっと、ネパール語で「母の首飾り」という名の山「アマダブラム」が見守ってくれていて。

荘厳な姿に拝みたくなる、と思っていたら、地元の人たちが手作りしたと思われる岩の遥拝所が。

(山には確かに、神様がいる。と感じずにいられません。)

お昼前にはディンボチェの村に到着。

(村で一番人気のカフェは、標高が名前に)

実は、これまで高山病的な症状は全くなかったのですが、4000mを超えてから、うっすらとした痛みが頭に張り付いてきて。「気のせい気のせい」と自分に言い聞かせて・・。今日から二日は順応のためここに滞在です。

ヒマラヤ6日目、私たちロブチェピーク隊は裏山(と言っても4700m)までハイキングに出かけます。この日は晴天、そしてそこから見た光景が実に素晴らしく。

(右端から、タムセルク、カンテガ)
(昨日、霧の中に見たアマダブラム)
(遠く、アイランドピーク、マカルー、ローツェ、まで!)

エベレスト街道に聳える名だたる名峰が全て見渡せるという、圧巻の眺望。そして、数日後には登るはずの、ロブチェピークも!

(右手後方に見える岩と氷の山。登れるのか?私!?)

午後はディンボチェ村を散策。ゆーっくり歩いても1周1時間も要らないような規模。新しくできたらしいリゾートホテルの下では、300年前から変わらない牛を使った農耕が行われ、WIFIも充電も完備されたオシャレカフェの横を、荷物を背負ったポーターやゾッキョたちが通り過ぎていく・・。

(がんばれ牛さん)
(表参道?と思わせような・・)
(がんばれポーターさん)

エベレストがあることで開かれた、小さな村の混沌を目の当たりにするのでした。

7日目。ロブチェピークの麓、ロブチェBC(5000m)へ。
クンブ氷河地帯の末端から、ひたすら登っていくキャラバンです。

途中、祈りの旗タルチョが幾重にも巻かれた岩が。朽ちた旗の上に、さらにさらにと重ねられていて、なんだか痛々しいくらい。聞くと、エベレストで亡くなった登山者やシェルパの慰霊碑だという・・。

(エベレストはこんなにも多くの人を飲み込んでいったんだ、と緊張)

やがてロブチェ村到着。当初はロブチェピークのBC(ベースキャンプ)にテント泊の予定でしたが、ロッジの方が体力維持できるだろうと近藤さんの計らいで、ロッジ泊に。

村唯一のカフェでお茶しながらも、私の胸はもうすぐロブチェピークに登ることを思って、不安でいっぱい(苦笑)

(アメリカーノ、800ルピー:約1000円)

ロッジの部屋はなかなか痺れる佇まい。

ようやくここまで来た。明日からが本番。よく眠れますように。あっと、トイレにもちゃんと起きなくちゃ。(続く)

2024/04/14-18







2024/04/14-18

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