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山にもらったこと 「歩かせてもらっている。見えない力にいつも」 〜雲の平篇〜

「ほら、あれが雲の平。あの小さく見えるのが、雲の平山荘」
4年前の裏銀座縦走の途中、水晶岳の頂上で教えてもらって見た光景に、
私の気持ちは直ちに攫われ。以来、かの地に訪れることに、ずっと焦がれていました。

2019年の夏、水晶岳から見た光景。左手に黒部五郎岳。真ん中に広がる台地(標高約2600m)が雲の平。右端中央に小さく、山荘が。

とはいえ、天上の庭と言われるそこに行くには途中山中1泊、下界に戻るにも途中山中1泊、最低でも3泊4日が必要で、山友たちとも都合が合わず。「よし、行ってしまおう」と、なかなか踏み切れずにいたソロ山行を決意したのは、2023年初秋。想いを遂げるまでに随分時間が経っていました。
夜行バスで早朝、折立てに降り立ち、黙々と太郎平へ。1泊目を太郎平小屋にするケースが多いけれど、少しでも雲の平に近づきたくて、そこはスルーして薬師沢小屋へと向かいます。(き、キツかった^^;)

黒部源流と薬師沢の出合いに位置する薬師沢小屋、なんとも趣のある風情。

翌朝。薬師沢小屋から目的地までは、ひたすらの急登を3時間。

高天原に向かうと秘湯が!次回は訪れたいっ。
苔まみれのごろごろ岩をひたすら登る。

これでもか、の急登樹林帯を抜けると・・・!

悠然と黒部五郎岳、左奥に笠ヶ岳。
遠く、槍ヶ岳までくっきりと。

名だたる名峰たちに、ぐるりと囲まれる標高2600mの台地。こんな場所があるなんて・・!いつ誰が施してくれたのか、古びた木道がどこまでも続いていて、その上を夢中で、歩く、歩く。

するとやがて、あの山荘の姿が!

・・これが雲の平山荘!

一体どうやって、北アルプス奥地のこんな秘境の地に、こんな魅惑的な建造物を創ることができたのか?!?! 内部も実に素敵で。

フロントはまるでカフェ
いつまでも居たくなるオープンギャラリー

内部探索にそそられつつも、それより周囲の風景でしょう、とチェクインもそこそこに飛び出し、天上の庭へ!

そう、山荘の正面には水晶岳が!近づきたくて、木道を夢中で駆けます。

あの頂上から、この地を見下ろして、今ここにいるんだ。感無量です。
「スイス庭園」と名付けられた場所で水晶岳を存分に愛でたあとは、山荘裏手側にある祖母岳(ばあだけ)へ。小高い丘のようなここは「アルプス庭園」と名付けられていて、山荘と水晶岳を一緒に眺めることができる絶景ポイント。

いつまでもいつまでも見ていられる光景。
祖母岳に一緒に行った山女子が、撮ってくれました。

山荘に戻るとワインと一緒に、暮れていく北アルプスの山々を味わいます。

夕食の後。山荘主人の伊藤二郎さんが、約62年前にお父様の伊藤正一さんがこの地を拓き雲の平山荘を建てられるまでの歴史を、そして約13年前にご自身が、この山荘を当時の姿のまま再建するまでの経緯を、古いフィルム映像などを上映しながら語ってくださった。昼間私が当たり前のように踏み駆け回った木道は62年前のままだということ、雲の平が国立公園になってからも、山の自然環境整備への行政の理解は深まらず、登山道整備をはじめとする公的機能のほとんどを、山荘とそこを取り巻く人々の有志が担っていることを教えてもらった。それは雲の平に限らず、日本の山々と山小屋全てに共通する問題。思えばあの山もあの山も、誰かが施してくれた登山道が、鎖場が、梯子がなければ、進むことは出来なかったはず、、。ただ登山が好きで、自分の力で楽しんでいる気になってはしゃぎ、現実を見てなかった私の目は、ありがたい気持ちに溢れて、潤んでしまっていました。

夕焼ける水晶岳と木道。

翌朝は、黒部の源流を経由し双六小屋へ向かいます。祖父岳(じいだけ)を上りながら振り返って見た雲の平は、ただ憧れだけで見た地とは、少なからず違うものになっていました。

決して、山を傷つけない、山で傷つかない、歩かせもらっていることを、その力への感謝を、常に想う。当たり前のことすぎるけれど、自分が最低限できることを今一度胸に刻みながら、雲の平を後にしました。

きっと、また訪れよう。一人でも。仲間たちとも。
この地を歩くことができるようにしてくれた力に、敬意をこめて!

@2023/09/02-05 








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