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貧乏ポンコツ人生ハードモードから好きを仕事にする生き方  フリーランスデザイナー

こんにちは。デザイナーのyukasukeです。
先日勤めていた会社を辞めフリーランスとして活動を始めたばかりの新米です。

昨日こんなツイートをしたら応援してくださる方の暖かいコメントをいただき、涙目です。

せっかくなのでデザイナーになるまでの私を知ってもらえたらと思いnoteを書きました。
生まれた場所にはいきなりラスボスがいて人生ハードモード、壁にぶつかりっぱなしの私がなんとか好きを仕事にしていったという話です。


フリーランスになったきっかけ

副業でデザインや販売を始めたのが昨年の11月くらいから。個人で大好きな格闘技まわりのデザインやSNSからお仕事をちらほらいただけるようになってから、こっちを本業にしたいと思い始めました。
あれ、これ食べていけるかもくらいの収入になりました。
とはいえ自分でも先走った感があり収入は安定していません。
しかしながらこれに人生かけてみたいと思ったのです。


貧乏金なしポンコツ児だった私

美大に通っていた言うと、さぞ裕福な家庭で育ったのだろうと勘違いされることもあるのですが、幼い頃はマジで金のないの家に生まれました。母方の片親のなのにいつも母は家にいなかったのでおばあちゃんが母親でした。
なぜかおばさんが家にいて、あれは虐待だったのか、よく分からない理由で怒られては一週間ご飯を食べれないこともありました。なぜかおばさんによくぶたれました。土間に頭を打ち付けられて血を流したことは今でも思い出します。
そんな私の将来の夢は「普通になりたい」になっていきました。
中学生くらいまでは、ただただ尖って人を憎んで生きていましたが、高校生になってから普通になるためには大学に行けばいいんだと安直に思い始めたのでした。


高校を卒業して一万円握りしめ上京

小さな頃から絵を描くことが好きでした。それしか取り柄がなかった私はなんとか美術で大学に入ろうと思いました。
しかし、ろくに勉強もできなかったポンコツがストレートで学費の安い地方の国立大学に入れるわけがありませんでした。小学生の時にラスボスをたおせていないんですから。
私は高校を卒業した3月に、完全に家族と離れ単身一万円も持たずに東京芸大を受験するために家を飛び出しました。


4浪してようやく入った美大で借金

上京した私はアルバイトをしながら予備校に通いました。毎年毎年東京芸大を受けて落ちました。それが4年続きました。4浪目にしてさすがにこのままだとやばい気がしてようやく私立の名のある美大、武蔵野美術大学油絵科に受験し、めでたく入学。
とともに奨学金という名の借金をしました。
それでも「これで普通の第一歩」少し人生が晴れやかに見えました。油絵科に入った私は今までの経験をアートで昇華できさえすれば良いと思いました。


目指すところはアートでもなく、教員でもないと気づいた

大学ではいくつか賞をいただくことができました。ノンフィクションを題材にしていたものは特に評価していただけていました。
でもアートではなかなかすぐに食べていくことは難しく、大学卒業後は美術教育にも魅力を感じていたので、美術教諭として四年間働いていました。しかし、やっぱり直接自分の作ったものが成果物としてあらわれる仕事したいと思い、30歳を過ぎてからデザインの勉強を始めました。なぜデザイナーだったんだろうと思い返すと、お客さんのいる仕事にやりがいを感じたからだと思います。遡ってみると、大学生に家電量販店でバイトをしてた頃、カメラコーナーで話すと10万くらいの一眼レフが1日10台くらい売れる。「お客さんがいる仕事は楽しい」心からそう思いました。お客さんがいて、何か解決したい問題があって、その要望にどう応えていくのか考えたり作ったもので提示することが自分に合っていると思い始めたからです。
どうデザイナーになったのかはこの記事にかいてあるので興味があったらどうぞ。


格闘技との出会いでもう一歩踏み出せた

格闘技好きになったきっかけは近くに格闘技が好きな人がいたからでした。
思い返せば格闘技との接点は祖父がプロボクサー。幼稚園くらいの時に亡くなったので覚えていませんが、亡くなったあとにでてきた古びたライセンスを目にした時、心に熱いものを感じました。
命を削ってリングで闘い、時に光を浴び、時に苦しい姿を見せながら自分と闘い続けいる...そんな生き様に勇気をもらい、一歩踏み出す力をもらいました。
私ができること、身一つで仕事をするという勇気をもらったのです。
闘う背景に必ずドラマがあります。そんなドラマもストレートに私の心に突き刺さります。


「不可能とは通過点だ」モハメド・アリ

私の大学の友人には名だたるアートディレクターのデザイン事務所で大きな案件を担当している子もいます。正直、羨望のまなざしです。
そんな子に比べたらいい歳こいてキャリアも人脈も比べ物にならないデザイナーかもしれません。しかしながら「不可能とは通過点」。いろんな事情で遠回りすることがあったけど、できなかったことはやればできるようになるし、夢や希望を諦めないでいいと思うのです。技術的な力をつけるためにはそれなりに苦しい時間がありました。身体も半分壊れたこともありました。でも今それが血となり肉となっています。いろんなことやったからこそ見える景色があるし、今好きなことやれてると思います。
何にしても、回り道しても無駄は無駄じゃない。
有名なモハメド・アリの名言をここに貼っておきます。

"不可能とは、自らの力で世界を切り開くことを放棄した臆病者の言葉だ。不可能とは、現状に甘んじるための言い訳にすぎない。不可能とは、事実ですらなく、単なる先入観だ。不可能とは、誰かに決めつけられることではない。不可能とは、可能性だ。不可能とは、通過点だ。不可能なんて、ありえない。"



回り道しても好きを仕事にできる

何が言いたいかというと人生ハードモードで回り道をたくさんした私でしたが、今ようやく好きなことで仕事をし始めました。
私が心がけたことはとにかくやってみる、一歩踏み出すということです。右足前に出したら勝手に左足もついてきました。

まずはそこに飛び込む力が大切だと感じます。

アントニオ猪木 『道』
"この道をゆけばどうなるものか、危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし、踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる。迷わず行けよ 行けばわかるさ。"


ここまで読んでいただきありがとうございました。

これからまた、デザイナーとしての仕事をしつつ文章もかけていけたらと思っています。


追伸、お仕事大募集してます。
今までの実績:格闘技イベントのポスタービジュアル、通信・エネルギー・テクノロジー分野・イベント・音楽配信事業・飲食業など、あらゆる業態のセールスプロモーションツールやWebサイト、展示会ブースやショールームの装飾などのデザインを担当。
必要でしたらポートフォリオをお送りします!

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格闘技好きなフリーランスデザイナー。武蔵美→美術教諭→美容メーカー→デザイン会社→フリーランス。紆余曲折あったけど、やっと生きてる感じがしている今日この頃。格闘技好きで好きを仕事にしています。好きな言葉は「やってやれないことはない」と「諸行無常」。twitter→@oiwork8

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アート×デザイン=クリエイティブ
アート×デザイン=クリエイティブ
  • 1761本

アートとは「自己表現を通じて鑑賞者の感情を励起する装置」であり、デザインとは「機能や目的に向けてユーザーの行動をアフォードする装置」である。故に両者の総和たるクリエイティブとは「暗黙知を通じて人々に新しい知見や体験を与えるプロダクトを生む活動」に他ならない。

コメント (1)
個人の評価で勝負する時代とはいえ、一歩踏み出せない人、特別では無いからと諦めている人への指針になると思います。
僕も似たような境遇だったので他人事に思えませんでした。
何かあれば依頼させて頂きます。
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